またまた、小学生の殺傷事件が起こった。それも、地元の京都の学習塾で。非 常に、ショックな事件だった。地元の大学生が犯人で、塾の教室を密室にし て、そこで事件が起こった。 学習塾の本社は京都の市内中心部にあり、成岡のオフィスへの京都駅からの通 り道にある。以前の印刷会社の得意先でもあり、他人事とは思えない。 ここ最近、毎週のように小学生への殺傷事件が相次いで発生し、治安の良さを 謳歌した日本が、なにやらおかしくなってきたように感じた矢先の出来事だっ た。 これからは、安全、安心を提供するビジネスが注目を浴びるんだろうが、何 か、釈然としない気分になるのは、成岡だけではないように思われる。 いやな日本になってきた。何か、明るい話題を探さないといけないかな。 *********************************************** 今回から新しく配信させていただく方もいらっしゃいます。 毎週月曜日の配信です。 ぜひ、ご愛読ください。 また、別のアドレスに送信希望の方は、ご連絡ください。 最新10号分のバックナンバータイトルは、下記の成岡 マネジメントオフィスのホームページのURLにあります。 http://www.nmo.ne.jp/letter.htm バックナンバーご希望の方はホームページからお申込ください。 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第85回配信分2005年12月12日発行 成長と膨張の区別をつける 〜三洋電機はなぜこんなにおかしくなったのか〜 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ●先日のIT経営塾勉強会の京都例会でも少し触れましたが、関西のGEとかって は称された三洋電機が解体寸前の危機に瀕しているといわれています。それで なくても、相対的に関西企業の地盤沈下が言われているときに、非常に残念な 状態になっています。 ●どうも、相当な荒療治がないと、この経営危機は乗り切れないように感じら れます。銀行からの役員が意見の相違を理由に突然辞任したかと思うと、次に 派遣されてきた役員は、企業再生ではなく、企業解体の専門家だと報じられて います。 ●管理職の大幅賃金カットでモティベーションは下がる一方なのに、創業一族 や同族の役員さんはほとんど痛みを感じないようになっていると聞きます。ま して、一族が役員に名前を連ねる不動産の管理会社は、依然として不透明な取 引を継続していようです。 ●非常に高い収益を上げている事業があるのに、総合家電メーカーへの幻想を 追ったために、大きな赤字を出している家電事業の負担を、孝行息子の事業部 で面倒を見ていたという構図なのでしょう。一番大事な「集中と選択」ができ ていなかった。 ●岐阜の養老工場の正面玄関に、大きな太陽電池の「ノアの箱舟」をデフォル メした建造物を作った頃からおかしくなったのではないでしょうか。成長では なくて、企業が膨張していたとしか思えません。成長と膨張は違います。 ●人間の体にたとえると、筋肉質の体質ではなく、皮下脂肪が厚くなり、コレ ステロールも増加し、生活習慣病に次第に侵食されていったという構図に近い ようです。加えて、体重も増加し、血糖値も上がり、無駄な脂肪がお腹の周り にべったりとついています。とてもハーフマラソンなどを走れるような体質で はありません。 ●なぜ、優良な事業へ経営資源を集中することが出来なかったのか。それは、 創業一族からの経営者が、綿々と過去の栄光と誤った未来への判断をしたから でしょう。指摘や批判はあったのでしょうが、それを誰も阻止することはでき なかった。 ●創業家支配への執着、長年のカリスマトップの弊害、韓国企業との特別な関 係、中国家電メーカとの安直な提携、「大型家電」への過剰な投資、不透明な 半導体事業への内製化など、挙げればきりがないように思います。 ●赤字やトラブルの責任を生え抜きの経営陣に負わせ、創業家の後継者を守っ て傷がつないように温室的に育てた。その膿やつけが一気に出てきたのだと思 います。これだけの名門企業でも、あっという間にデフォルトの危機に直面す るという、他人事とは思えません。 ●私的な側面をことごとく排除し、会社を公のものと認識し、当たり前のこと を当たり前にやる。単なる企業規模の拡大、膨張ではなく、きちんとしたコン プライアンスとマネジメントに基づき、「成長」を継続的に遂げること。それ が、規模の大小に関係なく、企業の社会的な責任ではないでしょうか。 ●それを放棄したとたんに、社会からの自浄作用の洗礼を受けます。誤魔化し も、トリックも通用しません。全うに、粛々とやるしかないのです。ショート カットするより、フェアウエイの真ん中にきちんと球を打つこと。それが、大 事なことです。そして。変なところに球を打ったら、一打損しても、きちんと したリカバリをすることです。