**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第1067回配信分2024年10月07日発行 大谷翔平の座右名に学ぶ 〜戦国武将武田信玄の至言〜 **************************************************** <はじめに> ・日米での二刀流の活躍、WBC世界一、ドジャースでの「50―50」達成など 数々の偉業を成し遂げている大谷翔平選手が、花巻東高校時代から大切にして いた座右名が「真剣にやっていたら知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。い い加減だと言い訳ばかり」というものだ。戦国武将・武田信玄の言葉でスポー ツ指導者や経営者の間で語られることが多く、大谷は高校時代に本を読み、印 象に残った言葉として寮のベッドに手書きの紙を張っていたという。その画像 が今もSNSで取り上げられており、共感の声であふれ返っている。筆者は何を 隠そう、この言葉は知らなかった。今回、スポーツ新聞やNETで取り上げられ るのを読んで、初めてその存在を知った。 ・「愚痴と不平不満に悪口陰口。今からでも善意で生きれば来世には大谷レベ ルになれるかも」。「言い訳や愚痴を言いたくなった時に自省している。若い のに人生を悟っている」。「昭和のおじさんが居酒屋で説教するときに使いそ う」。「意識がスカイハイ」。「もっと取り上げられるべき言葉ですね」。 「結果を出す男は違うな」。多くのファンにも響いているようだ。親元を離 れ、青春期に寮生活を送る中で、孤独で辛い毎日を励ます意味でこの言葉を毎 日見ていたという意思の強さがうかがえる。気持ちが萎えたり、やる気が失せ たり、体調が悪くなったり、高校生活の間にはいろいろな後ろ向きの場面が あっただろう。そのときに、周囲の友人知人や、先輩、教師からの励ましも大 事だが、最後の最後は本人の意志の強さだ。継続して毎日を完全燃焼すること は、並大抵の努力ではできない。 ・武田信玄。この戦国時代の名将の多くの言葉には、含蓄が含まれている。織 田信長、豊臣秀吉、徳川家康が御三家と言われるが、武田信玄を推す経営者も 多い。これを機会に、武田信玄とはどのような人だったのかを、少し調べてみ た。1521年12月生まれ。甲斐の守護を務めた武田氏の第18代当主・武田信虎の 嫡男。先代・信虎期に武田氏は守護大名から戦国大名化して国内統一を達成 し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で、越後国の上杉 謙信(長尾景虎)と五次にわたる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化 し、甲斐本国に加え、信濃・駿河・西上野および遠江・三河・美濃・飛騨など の一部を領した。次代の勝頼期にかけて領国をさらに拡大する基盤を築いた。 西上作戦の途上に三河で病を発し、没した。1573年5月、享年52歳。肺結核、 胃がん、肝臓病ではないかといわれている。詳しい死因は当時のことだから当 然分からない。 <人は石垣、人は城> ・さて、50歳少し超えて病没した武田信玄だが、名言は多い。まず、どなたで も知っている「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」。特 に、最初の「人は石垣、人は城」というフレーズは、ほとんどの人がそらんじ ているだろう。意味としては、「立派なお城を築くよりも、国を支えるのは人 だから人を大切にしよう」という風に解釈することが多いようだ。あるいは、 戦い(いくさ)において、人(人材)は城や石垣よりも大切だという解説も見 たことがある。特に、決まりはないが、武田信玄が人材を大切にしていいたと いう逸話は多い。甲斐の国に温泉地が多いのも、戦で負傷した兵隊をリハビリ するために開発したという説が正しいようだ。有馬温泉を開いた豊臣秀吉も同 じだ。「有馬兵衛」というのは、「兵隊」を「衛る」と書く。 ・もうひとつの解釈として、「適材適所を心掛ければ、人材は城にも石垣にも 堀にもなる。また、人材をいたわる気持ちをもって遇すれば味方になるが、恨 まれるようなことをすれば敵になってしまう」という、信玄の人材マネジメン ト術という説もある。20代で父・信虎を追放して家督を継いだ信玄が、歴戦の 猛者たちをいかにマネジメントしたのか、その基本的な考え方がうかがえる。 さらに、「甲州金」。信玄の領地である甲州で用いられていた金貨で、日本初 の管理された貨幣制度だといわれている。信玄は、この金貨を袋に入れて戦場 へ持っていき、手柄を立てたものにはその場で与えた。まさに、成績優秀者へ の「報奨金」といえる。信玄が指摘するように、適材適所の人材配置を行え ば、個々人が持てる能力を存分に発揮し結果を出しやすくなる。成果が出れば モチベーションが上がり、さらなる成果を求めて仕事に励むようになる。 ・次に含蓄の深いのは、「自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ。この 心構えさえあれば、道の途中で挫折したり、身を滅ぼしたりするようなことは ないはずだ」。これは、特に解説は要らないだろう。解説は要らないが、この 嫌なことを先にする、嫌な人に会いに行く、嫌な人と付き合う、などはわかっ ていてもなかなかできないことだ。あるいは、経営者というトップの地位に就 くと、どうしてもおべんちゃらを言う取り巻き連中や、耳障りのいいことしか 言わない人が周囲に寄り付く。耳の痛いことや諫言を素直に聞くという態度 は、どうしても取りにくい。少し、表現を変えて、嫌なことではなく、したい ことより、しなければならないこと、と置き換えてみればいい。損か、得か、 という基準ではなく、正しいか、間違っているか、という軸で判断するとい い。 <風林火山> ・次に、マネジメントで参考になる言葉。「いくら厳しい規則を作って、家臣 に強制しても、大将がわがままな振る舞いをしていたのでは、規則などあって なきがごとしである。人に規則を守らせるには、まず自身の言動を反省し、非 があれば直ちに改める姿勢を強く持たねばならない」。これは、なかなか耳に 痛い言葉だ。部下や組織には厳しいルールをあてはめ、自分自身や一族には甘 い扱いをする。特に、中小企業で、一族がほとんど株主で、経営も同時に行っ ている企業では、ガバナンスが効かない。自分自身が足元を見つめ、謙虚にな り、誤った解釈をしないように注意することだ。しかし、現実にはいくら注意 しても間違いは起こる。その際に、再び原点に帰る勇気を持たないといけな い。 ・戦いに関する至言も多い。「戦いにおいて四十歳以前は勝つように、四十歳 からは負けないようにすることだ。ただし二十歳前後は、自分より小身の敵に 対して、負けなければよい。勝ちすぎてはならない。将来を第一に考えて、気 長に対処することが肝要である」。あるいは、「五分の勝ちであれば今後に対 して励みの気持ちが生じ、七分の勝ちなら怠り心が生じ、十分つまり完璧に 勝ってしまうと、敵を侮り驕りの気持ちが生まれる」。慢心するな、驕るな、 謙虚であれ、弱者への労り、など多くの示唆に富む言葉だ。売上の規模のみを 追いかけ、没落した企業も多い。利益のみを考え、足を踏み外した企業も多 い。資本主義の世の中だから、売上、利益を追求するのは間違いではないが、 その先にどういう絵を描いているのかが、問題だ。 ・「風林火山 - 疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火 の如く、動かざること山の如し」。戦場での旗に掲げてある「風林火山」とい う四文字だ。これは、なかなか含蓄が深い。情報は時間をかけて、可能な限り 集める。意思決定は迅速に行い、決まったら速やかに行動に移る。情勢に変化 があり、想定外のことが起こったら、冷静に見極める。おおよそ、通常凡人は 逆のことを行っている。意思決定に時間をかけ過ぎる。100%わかることは、 ないと心得る。どの辺で意思決定するかは難しいが、半分見えたらするのがい いだろう。全部見通せることはない。情報やデータを集めるのにエネルギーを 使い果たすというのも、よくあることだ。聡明で、頭のいい人ほど、研究肌の 人ほど、意思決定に時間がかかり、評論家になる。できない、やらない理由を もっともらしく語る。 <もう一押しこそ慎重になれ> ・「勝敗は六分か七分勝てば良い。八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十 分の勝ちは大敗を招く下地となる」。先ほどもあったが、勝利は6割か7割で いい。完全に勝つと、逆に反感を招いて失うものも多い。10割で完全に領地を 征服すると、土地の農民からの反逆がある。武士は生産をしないから、農民領 民からの年貢で暮らしている。農地を開梱し、治水を行っても、台風や大雨の 災害は避けられない。農民を助けるための領地のマネジメントに注力する。戦 場では、完膚なまでに勝利するのではなく、幾分かの逃げ道を残す。お城を落 とすときは、女、子供の逃げ道は必ず作っておくという。無益な殺生は、か えって反感を招く。織田信長が失敗したのも、こういう気持ちがなかったこと が、災いしたのかもしれない。 ・さらに、驕りを戒めるために、「もう一押しこそ慎重になれ」という名言が ある。物事を成し遂げるには、最後こそ、気持ちを引き締めてあたらなければ ならないという教えだ。信玄自身、信濃統一まであと一歩というところで勢い に任せて進軍したが、北信濃の戦国大名・村上義清に敗れ、重臣や多くの将兵 を失うことになった。こういった経験から自分への戒めとして、この名言が生 まれた。ビジネスにおいても、成功まであと一歩というところで油断してしま い、足元をすくわれることがよくある。視野を広く取り仕事を俯瞰して眺める ためには、ある程度の心の余裕は大切だが、余裕と油断はまったくの別物。99 %うまくいっていても100%に達しなければ成功とはいえないことがあるの で、最後の最後まで気を引き締めて取り組む姿勢が重要だ。 ・最後に経営者自身に。人は、周りの評価というものを完全に無視できない生 き物だといわれる。そのため、より多くの人に受け入れられる行動を選択しが ちな人も多い。しかし、多数意見が正しいとは限らないと信玄は言う。「百人 のうち九十九人に誉められるは、善き者にあらず」。人の評価を聞いたとき、 100人中99人が誉めるからといって良い人とは限らない。99人の中には、「み んなが良い人といっているから、良い人なのだろう」と周りに流されている人 が含まれている。むしろ、周りに流されず、一人だけ違う主張をしている人物 の意見にこそ、耳を傾ける。周りと異なる意見を表明するには、勇気がいる。 周りのほとんどが自分と異なる意見の中、それでも自分の考えを貫くからに は、それなりの根拠や信念があるはずだ。それを見極める眼力が必要だ。