**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第1074回配信分2024年11月25日発行 日産の復活はあるか 〜技術偏重の社風が原因で生んだ悲劇か〜 **************************************************** <はじめに> ・日産自動車が業績の大幅な悪化を理由に、大リストラを発表した。全世界で 9000人の人員削減と、数か所の工場閉鎖、生産量の20%ダウン、役員報酬の カットなどを打ち出した。中国やアメリカ市場での不振が直接の原因だとされ ている。日産の凋落は、今回に始まったことではない。以前は、ご存じのよう にカルロスゴーン氏がトップに就任し、大リストラをやってのけた。その手法 には批判の嵐も起こったが、屈せずやり通し日産はリバイバルした。しかし、 ゴーン氏もその個人の収入など多くの問題で糾弾され、司法からパージを受け た。国外に不法な手法で逃亡し、いまだに決着がついていない。当時、ゴーン 氏の大リストラで日産を追われ、工場の閉鎖で行く場のなくなった人を多く存 じ上げている。 ・当時、日産の不振の最大の原因と言われていたのは、「技術への過信に基づ いた商品づくり」だったと思う。個人ごとに解釈は異なるだろうが、成岡自身 はそう思っている。実は、個人的なことを書けば、成岡家の車は代々日産だっ た。トヨタではなかった。母が昭和30年代の前半という非常に早い時期に免許 を取得した。父が大学の教授で、我々子供が私学の小学校に通っていたという 家庭の事情と、父親が全く車に興味がなく、生涯免許証を持たなかった。母の 両親と同居していたので、祖父がしきりに母に免許証を取ることを勧めた。当 時、車の免許証は運転教習所というものがなく、京都では師団街道の竹田に警 察の免許試験場があり、一発勝負でそこに通って10回試験で落ちたが、11回目 に合格した。苦難の免許証だった。 ・初めて買った車は、日産のダットサン。脱兎=ダット+サン=太陽(だと思 われる)の組合せで、ダットサンだった。当時、トヨタはまだ大きな車のメー カーではなかったはずだ。昭和30年代の前半に中古のダットサンを買った。女 性の免許証を持っている人が、まだ京都ではそう多くなかった時代だ。祖父が 大手企業の代表者をしていたので、運転手さんが常勤していた。その運転手さ んに車の運転のコツを教えてもらい、車両の扱いの手ほどきを受けていた。当 時の車は故障だらけで、すぐエンジンが止まり、バッテリーはあがり、ラジエ ターには穴が開くというしろものだった。悪路を走ると、プラグがすぐダメに なった。キャブレターがすぐ詰まり、タイヤはしょっちゅうパンクした。故障 したら女性ではあお手上げだった。もちろんJAFなどという団体もない。 <トヨタは市場の声を取り込んだ> ・当時から「技術の日産」だった。買った車は、まず中古のダットサンから始 まり、女性専用車(当時はそういう車種があったのだ)のファンシー、次にブ ルーバード。プリンスと合併しローレル、またブルーバードと日産の車でずっ と通した。まだ、トヨタは大手メーカーではなかった。昭和30年代後半にトヨ タが大衆車を売り出すというので、車名を公募するということもあり、当選し たら車がもらえるというので、全国的に大きな話題になった。その車の名前は 「パブリカ」になった。パブリック=大衆、カー=車という造語だった。うま いネーミングだと思う。その後、トヨタは大衆車路線にシフトし、次々とファ ミリーカーの市場にコンパクトで運転しやすい車を投入する。最大のヒット は、カローラだろう。 ・ネーミングも相当の期間、頭文字が「C」のつくネーミングで統一した。カ ローラ、クラウン、セリカなど。消費者を意識してスタイリング、運転のしや すさ、乗り心地などを重視した。フロントからの見栄えも、後ろからの見た目 も重視した。後ろの車を運転している人は、前の車の後ろ姿しか見ていない。 ずっと長い間、前の車の後ろ姿を見ながら運転している。後ろ姿は非常に大事 なのだ。女性に優しい使い勝手のいいことを大事にした。トランクの広さなど は、買い物に使う主婦から大きなヒントを得たという。女性が洋服、着物を着 て、乗り降りがしやすいとはどういうことかを徹底的に追求した。加速度、 コーナーリングなどのハイスペックは要らないと割り切った。市場の声を大事 にした。 ・逆に日産は、技術の日産に拘った。ゼロから400mまでの加速を、「ゼロヨ ン」というが、この加速の速さに拘った。いかに早くトップスピードになる か。カーブでのコーナーリングにも拘った。カーブからいかに早く脱出できる か。遠心力を振りほどくことができるか。しかし、これらはカーレースでは必 要だろうが、市内の40キロ道路では必要ない。信号が次々にあり、狭い交差点 を曲がるのにコーナーリングは関係ない。自宅から近くのスーパーに奥さんが 買い物に行くのに、早い加速も関係ない。それより、荷物の積み下ろしが楽な 方がいい。次第に、女性が運転する機会が増え、乗り心地、使い勝手の良さ、 故障の少なさが重視されるように変化した。市場のニーズが明らかに変わっ た。トヨタはこの潮目の変化を敏感に取り込んだ。 <日産は技術にこだわった> ・日産がプリンスと合併したのも、あまりプラスにならなかったか。プリンス も日産も技術陣の意向を非常に尊重する社風だったのだろう。見た目、乗り心 地などという定性的な指標より、数字でわかる技術的なスペックに拘った。確 かに、それを優先する顧客や市場は一定程度あるだろうが、大半はそれとは関 係ない。とにかく技術陣が自分たちの満足、納得する車を作ることに執着し た。結果、作りたい車がたくさんできて、乗りたい車が少なくなった。車種が 増える一方で、売上、業績は低迷した。挙句の果てに、カルロスゴーン氏の大 リストラとなった。この過ちを今回も繰り返していないか。ガソリン車と電気 自動車にシフトし、PHVなどの車種がない。悪いことに、中国やアメリカ市場 で、EVへの転換が遅れている。 ・売れないので値引きを繰り返し、負のスパイラルに落ち込んだ。三菱自動車 と提携しているメリットも活かせないまま、現場からは売れる車、売りたい車 がないという悲痛な叫びが上がっている。車の開発は、非常に長い時間がかか る作業だ。新車種を開発、販売まで漕ぎつけるのに最低3年、普通なら5年は かかるだろう。日産はもっとEVへの転換が進むと踏んで、PHVなどの技術はあ まり見向きもしなかった。ライバルのトヨタがPHVではるかに先行し、いまさ ら追いかけるのはおかしいとの社内空気があったのだろうか。その結果、ガソ リンか、EVだけに絞り込んだ。これは、結果論だが失敗だった。まずいと思っ たが、変更、転換することを逡巡した。変えるのにためらうことなかれという 格言に逆らった。手痛いしっぺ返しが来た。 ・ここまで経営方針が迷走すると収拾がつかなくなる。今回のリストラ案発表 で批判の矢面に立っているのは経営陣だが、その非常に高額な役員報酬に大 ブーイングの嵐が押し寄せている。責任をとって、役員陣の報酬の減額が発表 されたが、数億円という報酬を受け取っている役員陣に対し、たったそれだけ で済むのかという痛烈な批判が挙がっている。リストラを受けて、失職し、転 職を余儀なくされる従業員にしてみれば、やるせない。俺たちはクビになり、 経営陣は相当のカットを受けたが、そのまま居座る気か。組合がどう対応する のか。ドイツでは、EV車の販売不振で、かの有名なVW(フォルクスワーゲン) が工場閉鎖を発表して物議を醸している。組合は認めないという方針で、スト ライキも辞さない構えだ。 <自部門のことだけを考えてしまう> ・もともと気候変動対策から始まったEV車へのシフトだが、自動車メーカーは 本当に振り回されている。確かに、経営判断は難しいだろう。トヨタもガソリ ン車、PHV車、EV車、燃料電池車と、全方位にラインナップを揃えると方針を 決めたが、これはこれで、その際に大いに批判が上がった。しかし、いま、こ れが脚光を浴びている。日産の経営陣が誤ったのは、このような経営判断もさ ることながら、技術への過信、自信過剰、外部からの耳の痛い諫言を無視す る、という空気、風土ではなかったか。カルロスゴーン氏が、この社風に穴を あけたと思うが、ゴーン氏がいなくなり、裁判で追及されるに及んで、また元 の木阿弥に戻ったか。やはり、居心地がいい空気に汚染されると、なかなか振 り払うことができない。 ・技術への過信は、どの製造業にもあるだろう。しかし、消費者が直接選ぶ製 品を製造している企業の場合は、販売店から多く市場の声が寄せられているは ずだ。だが、そういう耳の痛い、あるいは参考になる意見を、上に揚げない空 気があるのだろう。販売店からは、もっとこういう車が欲しいとか、このよう な改造をして欲しいとか、多くの参考になる情報があったはずだ。最初は小さ な声でも、それが複数になり、そのうち大きな波になって押し寄せる。そこで 初めて気が付くのだが、最悪それを無視する、切り捨てることが、往々にして 行われる。官公庁もそうだろうし、金融機関も、一般企業もそうだ。組織が大 きくなると、組織は自己防衛に走り、内部を守ろうとする。逆に、意外と少人 数の中小企業は風通しがいい。 ・だが、中小企業も人数が30名を超えていろいろな機能別の部門、部署ができ てくると、途端に組織は閉鎖的になり、自部門の最適化を図ろうとする。営 業、製造、開発、管理などの部門ができて、それぞれの責任者がいるようにな ると、全体最適を考えているのは社長だけになる。その中でも、勤続の長い、 年齢が高い、声の大きい人の意見が通りやすくなる。特に、営業と製造は利害 が対立することが多い。かたや、売れる物を作れと言い、かたや作ったものは 売って来いと言う。日産もこれがあったのではなかろうか。途中で修正した り、戻ったりするチャンスはあったはずだ。しかし、面子、体面、立場に拘 り、戻ることはできなかった。このような事例は、規模の大小にかかわらずよ くある。日産の事例から学ぶことは多い。反面教師にしないといけない。