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・・・・・経営の現場から・・・・・
【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行)
第1091回配信分2025年03月24日発行
今年は昭和100年の記念の年
~100年以上続く老舗企業はどこが違うのか~
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<はじめに>
・ご存じのように今年2025年は昭和で通算すると100年目にあたる。1925年が
昭和元年だから、ちょうど100年目の節目の年だ。100年という途方もなく長い
時間が経過した。京都では、創業後100年以上経過した企業や事業者を、「京
都の老舗」として表彰する制度がある。府政100年を記念して、昭和43年当時
の蜷川京都府知事が始めた制度だ。既に、2000社近くの企業や個人事業者が表
彰されているはずだ(正確な数は成岡不詳)。それくらい、100年と言うのは
企業経営にとっては、意味がある年数だ。まず、経営者一代ほぼ30年。100年
なら少なくても三代、もしかしたら四代以上の経営者が受け継いでいるはず
だ。この間、多くの経営環境の激変があった。それを何とか乗り越えて立派に
経営を続けてきた努力は、賞賛に値する。

・この間、世界不況、太平洋戦争、戦後の復興、高度経済成長、オイルショッ
ク、バブル経済崩壊、リーマンショック、大震災など、多くの激変に見舞われ
た。京都の老舗の定義は、祖業の生業を引き継いでいること、経営状態が良好
なこと、公序良俗に反しない事業であること、などが条件になっている。つま
り、祖業の事業を発展、成長させて、長きにわたり順調な経営を営み、世間や
社会から認められる存在でないといけない。しかも、創業から数代にわたり経
営者が変わっても、変わらず経営理念が継承され、同時にその時代、時代に
マッチした事業に変えていかないと続かない。祖業に拘り過ぎて没落した企業
もあれば、急激に変えすぎて失速した企業もある。法律や制度の変更で撤退を
余儀なくされた企業もあれば、大きな社会的な出来事で事業基盤を失った企業
もある。

・規制の強化、逆に規制の緩和などで、経営環境が大きく変わった業界もあ
る。ガソリンスタンドなどは、その典型か。技術革新が急激に進んで、事業の
価値が大きく棄損した事業者もあるだろう。レコードがCDに変わったかと思っ
たら、いきなりデジタルの世界に激変した。活版印刷がオフセットになり、そ
の後NET社会の到来でWEBに印刷物が移行した。市場形式の小売店が、食品スー
パーになり、コンビニに転換し、ドラッグストアが進出している。百貨店も以
前の売り場から様変わりしている。公衆電話がなくなり、ガラケーの携帯電話
が普及したと思ったら、いきなりスマートフォンに変わった。度量衡が尺貫法
からキロメートルになり、これもデジタルに変わった。そろばんが使われなく
なり、電卓に置き換わった(最近、そろばん塾も、また見直されつつある)。

<多くの困難を乗り越えてきた>
・昭和が100年なら、戦後は80年。昭和20年、1945年の終戦から80年が経過
し、ほとんどの戦争遺構がなくなりつつある。この時期に日本被団協がノーベ
ル平和賞を受賞したことは意義深い。受賞の理由のひとつに、世代を超えて継
承している活動が評価された。多くの若い戦争を知らない世代が、語り部の世
代の人から、原爆の悲惨さを伝えることを継承している。被爆した人たちの年
齢も、ほぼ90歳近くなり、生き証人がどんどん減っている。この悲惨な出来事
を、後世に伝えることが最大のミッションだ。先日、代表チームが石破総理に
面談したが、木で鼻をくくったような対応に大きなブーイングが巻き起こっ
た。米国の核の傘に守られている日本では仕方がないことだろうが、政治家の
矜持のかけらもない。

・京都は、幸か不幸か、ほとんど空襲の被害がなかった(少し爆弾が落ちたと
いう記録はあるが)。逆に、市内はいまだに細い路地が縦横無尽に走り、田の
字地区のほとんどは一方通行だ。町家も多く残り、高齢の両親が逝去したあ
と、空き家になっている場所も多い。間口が狭く、奥行きが深いので、狭く長
い長方形の土地になっている。1軒だけが更地になっても使い勝手が極めて悪
く、隣近所が数軒まとまらないと、大きな建物が建てられない。まして、面し
ている道路が狭いので、解体工事も難航する。相続が隣近所で起こって、土地
がまとまるのに、長い時間かかる。その間、空き家が増え、不動産業者が土地
を取得しても、長期間にわたり税金を払って所有しないといけない。再開発と
簡単に言うが、市内の実家終いは簡単ではない。

・阪神大震災も30年経過した。先日、多くの30年周年の記念イベントが行われ
たが、この震災を記憶し、記録を後世に伝えるのも、大事な仕事だ。あまりに
悲惨な震災だったので、逆に思い出したくないという遺族もあるだろう。家族
が倒壊した建物に閉じ込められ、迫りくる火災に何もできず、呆然と立ちつく
した苦い記憶を呼び起こすのが耐えられないという人もある。マンションが傷
んで、その復旧に住人の意向がまとまらず、管理組合の役員が長い時間対応に
苦しんだという記憶がある人もいる。幸いというべきか、阪神大震災は地震の
パターンが東日本大震災と異なり、津波がなかった。その代わりに建物の倒壊
が多く、火災が各所で同時多発した。この反省から、新しい耐震基準が決めら
れ、耐震工事が進んだ。

<100年以上続けるには覚悟が要る>
・以前在籍していた印刷会社は、100年老舗表彰を受けた直後に経営が行き詰
り、他社に事業譲渡し、会社は破産した。旧式の印刷事業に拘泥し、新しい印
刷ビジネスに進出するのに、はるかに他社に比較して乗り遅れた。要するに、
経営陣の器の問題だ。初代から通算すると五代目にあたると思うが、大正の終
わりに創業し、戦時中の企業解体を乗り越え、戦後は大きく成長した。従業員
も70名を超え、年商も30億近かった。多くの優良な得意先を抱え、業績は悪く
なかった。しかし、平成になり急激にデジタル化が進んだのに対し、経営陣の
対応は遅かった。成岡も、在籍中に多くのデジタル化プロジェクトを推進した
が、経営環境を劇的に変えるには至らなかった。忸怩たる思いを抱えながら、
社外に去った。

・100年以上を乗り越えるには、相応の覚悟が要る。まず、時代環境を見る眼
が要る。大局を見誤らない見識が必要だ。社内には旧勢力があり、新しいもの
の導入を忌避する傾向がある。行動経済学で言えば、「現在バイアス」だ。免
疫があると、外部から侵入した異物を排除する方向に動く。特に、人材に関し
て、その傾向が強い。従来の価値観と異なる人材に対して、旧組織の人達は防
衛本能が働く。今で言う、パワハラ、モラハラなどは日常茶飯事で、当然のご
とくの誹謗中傷が飛び交う。「いじめ」のような態度を平然ととる管理職が横
行し、せっかく受注した案件が社内では進まない。トップからの明快なメッ
セージがないので、優先順位がわからない。何が大事で、何を捨てるのか、何
を後回しにするのか。

・これと異なり、事業内容を見事に転換した事業者も多い。同じ受注産業では
あるが、独自の製造技術を磨き、発注企業からはなくてはならない存在の下請
け企業になった。スーパー外注企業という名称を賜り、企業グループ団体の
トップになっている。あるいは、受注製品だけではなく、独自製品を開発し、
営業力が乏しいので代理店で営業してもらい、売上の3割くらいを占めるまで
になっている企業もある。日本酒のメーカーが子会社を設立し、別法人で居酒
屋チェーンを展開している。協同組合形式の公設市場が、食料品だけを扱う小
型スーパーに転換し、市内に多くの店舗を出店し成功を収めている。飲食業で
はあるが、直営店とフランチャイズ店を、巧みに使い分け、フランチャイズ店
の独自性を尊重し、業績を伸ばしている。コロナでも業績は悪化せず、メ
ニューを値上げしても客足は落ちない。

<100年以上続く企業はどこが違うか>
・今年は干支でいえば「巳年」でヘビの年だ。よく言う、「脱皮できない蛇は
死ぬ」と言われる。また、ヘビは後退できない。前に進むしかない。また、自
分のお腹の数倍の大きさの動物をうまく飲み込むことができる。カエル、ネズ
ミ、小鳥などは簡単に飲み込んでしまう。成長するために脱皮して、古い皮を
脱ぎ捨てる。脱ぎ捨てて、新しい皮になるたびに、大きくなり、強くなり、成
長する。しかし、脱皮は簡単ではない。脱皮の最中に天敵に襲われるリスクも
ある。企業経営で言えば、事業構造を変えていく途中は不安定になる。新規事
業に投資はしたが、まださしたる結果は出ない。事業が安定して収益を挙げる
には、数年はかかる。その間、赤字になるかもしれないし、キャッシュは減っ
ていく一方になる。

・新規事業も、新店出店も、中途の新規採用者も、効果が出て収益に貢献する
には、3年くらいかかると思わないといけない。また、すべての新しい試みが
成功するわけではない。むしろ、難渋してうまくいかないことが多い。そうな
ると、同時並行か少しずらしていくつかの新しいタネを撒いておかないといけ
ない。農家が田植えをする田んぼを少しずらしながら行うのと同じ理屈だ。そ
のためには、コンスタントに利益を出して、そのうちの多くを戦略的に次世代
に投資できる環境に置かないといけない。蛇が脱皮するのに多くのエネルギー
を割くのと同じだ。成長するための、人材、設備、環境などへの投資ができな
いと、いずれ事業は行き詰り、停滞し、収支はマイナスになり、赤字が続くこ
とになる。そうなってからでは遅い。

・昭和で100年。戦後で80年。阪神大震災から30年。この阪神大震災の年、
1995年平成7年は世の中が騒然としていた。1月に震災が勃発。3月にはオウ
ム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。何か、世の中が暗い方向に突き進
んでいる雰囲気が蔓延していた。成岡が在籍していた出版社も資金繰りに行き
詰り、特別清算を申請して倒産。300名、100億の企業があっけなく破綻した。
経営陣の迷走、方針の混乱、理念の欠如など、多くの稚拙なレベルが露呈し
た。ほとんどの従業員が会社を離れた。残った少数の社員で第二会社を設立
し、再興を目指したが、それも数年後に頓挫した。親会社の印刷会社も、今か
ら3年前に破綻した。昭和が100年になった今年、いかに事業を100年継続する
ことが難しいか、大事か。京都の老舗企業には、その哲学がある。学ぶことは
多い。