**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第1101回配信分2025年06月02日発行 日産の復活はなるか? 〜窮境の原因はどこにあったのか〜 **************************************************** <はじめに> ・日産自動車の再生案が揉めている。大規模なリストラに伴って、日本国内の 工場閉鎖も避けられない状況に追い込まれている。工場閉鎖の候補になってい るのは、神奈川県の二つの工場だ。大きな事業所でもあり、働いている人は数 千人規模になるのではないか。家族も含めると膨大な数になるだろう。このよ うな大規模工場の周辺には、この事業所に関係した下請け企業、飲食店、宿泊 施設、タクシー会社などがあり、単なる従業員の解雇、離散ではすまない。製 造業なので、出入りの運送業者、電気工事会社、設備工事会社、人材派遣会 社、アパートなどの住宅関連事業者など、関係した企業群が多くある。ほぼ、 このような企業群は日産の仕事100%で稼働している。工場がなくなれば、完 全にお手上げになる。 ・神奈川県知事が早速、工場閉鎖を避けて欲しいと陳情したが、企業側の答え は曖昧だった。まだ、何も決まっていないという。このような企業城下町とも いえる自治体は、今回のような事態に対しては無力に近い。高度経済成長時代 には、このような企業城下町という地方自治体が数多くあった。その都市、街 自体が完全にその企業一色という街も多かった。旭化成の延岡市、松下の門真 市などはその典型か。そこまでいかなくても、その企業や事業所に大きく依存 している自治体は、いまだに多い。事業所から収められる事業所税、従業員が 収める源泉税、宴会やイベントなど落としてくれるおカネ、日常消費されるお カネなど、直接、間接を合わせると非常に大きい。場合によっては、自治体収 入の半分近くを占めるだろう。 ・おカネ以外の影響も深刻だ。従業員の家族には子供が多くいるはずだ。学校 の配置、定数なども、それを前提に計画、運営されている。公共交通、バスの 循環経路、バス停の配置などもそうだ。仮に大きな工場、事業所がなくなると すると、それらの前提が全部白紙に戻る。しかし、そう簡単に明日から変える わけにはいかない。数年かけて、徐々に削減、変更することになる。その移行 期間は事業としては赤字になる。環境の変化に伴う現状変更費用は、結構膨大 なものになる。このような大きなマイナスの影響が起こることは、誰もがわ かっている。分かっているにも関わらず、事業の縮小を余儀なくされるという のは、よほどのことだ。企業の存在そのものの意義が問われる事態だ。経営陣 としては、まさに断腸の思いだ。 <世間の感覚と乖離した意思決定> ・日産の経営状態が悪化したのは、中国やアメリカでの販売が落ち込んだから だという。売れる車がなかったからだ。現在人気のPHVなどのハイブリッド車 がないからだ。ガソリン車から次はEVだと大きく舵を切ったのが裏目に出た。 経営判断のミスと言えばそれまでだが、すべてが経営陣の判断ミスとも言えな いだろう。要するに、大企業病以上の大企業病に罹患し、組織が硬直化し、部 門最適に陥り、経営判断が迷走したのだ。意思決定に関わる取締役の人数も膨 大で、臨機応変に対応できない。議論のための議論が続き、早急な決断ができ なかった。15年ほど前に、同じような迷走の時点では、あのゴーン氏の強権発 動で乗り切ったが、いまやそのゴーン氏もいない。過去の反省から復活したか と思ったが、病気自体は完全に治癒していなかった。 ・最近の報道で驚いたのは、退任する取締役に6億円近くの退職金が支払われ るという。全世界で2万人の希望退職を募集するという経営危機に陥った企業 の経営者たちが、責任を取って辞任するときに、この高額な退職金を払うとい う神経が理解できない。経営責任をどう感じているのだろうか。退職を余儀な くされた従業員に対して、申し訳ないという気持ちになれないのか。この高額 の退職金を受け取るときに、後悔と自責の念は抱かないのか。普通の神経の持 ち主の人では、あり得ない。これを決議した取締役会も異常だ。このような世 間の感覚と乖離した意思決定が、平然と行われるところに、日産窮境の根本原 因があるのではないか。反省がないといえば、全く反省がないと言わざるを得 ない。立ち直りは可能だろうか。 ・本社の売却も取りざたされている。トランプ関税の影響で、もう一度ホンダ とよりを戻すのではないかという報道もある。いずれにしても、単独での生き 残りは難しいだろう。どこにラブコールを投げるのだろうか。しかし、相手が どう感じ、どう対応するかは未知数だ。以前、ホンダとの協議の際よりもっと 状況は悪化している。どんどん、負のスパイラルに落ち込んでいるようだ。製 造業の製造ラインを変えたり、止めたりするのは、大きなリスクがある。その まま製造していると、毎日膨大な資金が流出しているのだろう。信じられない くらいのスピードで、現金が外に出ていく。いったん、このような状態に陥る と、なかなか戻るには時間がかかる。その間、さらに資金の流出が続き、リバ イバルプランの実現にも相応の資金が要る。果たして、そこまで会社が維持で きるか。 <社内の内向きばかりに目が行った> ・ビジネス雑誌やメディアのニュースで多くの情報が溢れているので、窮境の 原因に関しては別に譲ることにする。中小企業経営の参考になることとして は、経営が負のスパイラルに落ち込んだ時の対応の遅さを反省材料としないと いけない。犯人捜しをするのも大事だが、ことの重さを認識して、早く手を打 たないといけなかった。その意思決定に時間がかかり、患部の病状が悪化し、 もう手が付けられないところへ行ってしまった。意思決定に時間がかかったと いうのは、ひとえにマネジメント体制の問題だ。多くの利害関係者の意見調整 をし、役員同士が忖度をしていると相応の時間がかかる。お客さんの方を向い て経営をしていない。社内の利害関係者の方を見て、経営をしている。分かっ ているのだが、修正ができない。 ・車が売れないのには理由があるはずだ。売れる車がないというのは、市場が そっぽを向いているからだ。日産以外の車を買うお客さんが増えて、日産の顧 客が離れていったからだ。正直に原因と理由を分析し、受け止めて、対応すれ ばよかったのだが、ベクトルが社内の内向きに行ってしまった。こうなると、 会社の存在意義が薄くなる。最後には、生き残ること自体が難しくなる。そも そも、人口減少が進む国内市場で、多くの自動車メーカーが生き残れるのか。 国内で難しければ、海外で売るしかない。海外で売るには、国内以上の激烈な 競争を勝ち抜かないといけない。中国やEUのメーカーなどとの競争になると、 果たしてどれくらい分があるのか。日産がここまで疲弊すると、立ち直りは難 しいか。相当な重症だ。 ・製造業は他の業種と異なり、生産設備という大型の設備投資を伴う。土地、 建物も大規模な物件が必要で、そこに多くの種類の製造機械を並べ、流れ作業 で完成品である車を製造する。ひとつのラインで多くの車種を効率的に製造す るには、単に部品を集め人員を配置すればいいという単純な話しではない。数 万点の部品を管理し、何が、いつ、どこに、何点必要かという非常に複雑な生 産計画と、それに関連する部品や部材の調達や配備をしないといけない。最近 では、ロボットを導入し、効率的に製造ができるようになっているが、それで も一部の部品の供給が停まると、すべてのラインに大きな影響が出る。2つの 国内工場を生産停止にするとなると、しばらくは大きな混乱は避けられないだ ろう。 <小異を捨てて大同につけるか> ・製造業で、稼働を2割や3割落とさないといけないというのは、非常事態 だ。3割落として果たして黒字でいけるのだろうか。計算上はそうかもしれな いが、優秀な社員は辞めていき、今後に希望が持てないので、モチベーション が高まらない。やはり、どこかと提携するか、どこかに吸収合併されるほうが いいのではないか。社内的には反対が当然あるだろうが、瀕死の重症で退院も おぼつかない病人なら、思い切って大きな手術をするべきだろう。考えれば、 不良債権処理があり、リーマンショックがあったおかげで、日本の金融業は再 編され、いまや4つのメガバンクに集約された。製鉄業も、新日鉄と住金が合 併した。もともと、新日鉄は八幡製鉄と富士製鉄が合併したものだ。どちらが 残るかは別にして、小異を捨てて大同につくべきだろう。 ・日産自動車が今後も自力で再生できるとは思えない。どこかの支援が必要に なるだろう。まず、金融機関からの債権放棄か、新規融資か。同業者からの技 術提携か、資本提携か。新車開発の技術援助か、生産協力か。それが相当大き なものだと、日産自動車というブランドが大きく棄損することになる。それな ら、いっそどこかの傘の下で雨風を凌いだ方がいい。顧客や従業員も、そのほ うがいいだろう。万が一、日産自動車がおかしくなったら、長い年月利用する 「車という製品」のメンテナンスや品質保証にも大きなマイナスの影響が出 る。経営陣の面子や世間体などという問題ではない。株主からも大きな非難が あるだろうが、地獄を見るよりいいのではないか。会社更生法などの法的処理 になるとは思えないが、内容的には近いかもしれない。 ・小職が関係する多くの中小企業では、業績の悪化で苦しんでいる企業も多 い。しかし、昨日、今日で業績が悪化したのではない。数年前から徐々におか しくなり、コロナで一気に落ち込んだ。本来、そこで思い切った手を打つべき だったが、コロナ融資が数回あり、干天の慈雨のごとく、無意味な融資が行わ れ、生き延びてしまった。今になり、やはり立ち直りは難しく、ご臨終を迎え る局面になった。結局、入院が長引き、意味のない延命治療が行われ、公的な 資金が浪費された。もっと以前に結論を出すべきだった。決断ができなかった 事情は分かるが、経営陣の勇気と覚悟のなさが原因だ。判断の遅さが事態の深 刻さを一層際立たせた。日本軍が敗戦に突き進んだ状況を分析した「失敗の研 究」に詳しく書いてあるのと同じだ。歴史は繰り返している。