**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第1129回配信分2025年12月15日発行 多孔性金属錯体の未来は明るい 〜ノーベル賞受賞の技術は近い将来実装される〜 **************************************************** <はじめに> ・京都大学特別教授北川 進氏がノーベル化学賞を受賞し、10日にストックホ ルムで表彰式があった。少し古い話題だが、この研究成果が今後大いに利活用 され、世界的な実績を生む大きなドライビングフォースになるだろうと確信し た。実は、少しこの技術と小職は縁がある。まず、北川教授は同世代。小職も 当時同じ大学で化学系の講座に所属していた。京大の当時の工学部化学系は5 学科。小職が所属していた合成化学学科を始め、高分子化学学科、石油化学学 科、工業化学学科、化学工学学科。それぞれ、少しずつやっていることは違う が、石油由来の化学ベースであることは間違いない。小職が所属していた合成 化学学科は、熊田 誠教授(故人)で当時クロスカップリング反応という後に 脚光を浴びる研究が主体だった。 ・色々な条件で実験を行う。金属触媒を変えたり、反応温度を変えたり、紫外 線を照射したり、相手の化合物を変えたりする。組合せで言えば、何万通りあ るか分からない。諸外国にも多くの文献があり、参考にしながらひたすら実験 を繰り返す。それぞれの組み合わせで反応後生成した化合物を抽出し、同定す る。同定とは、どのような化合物ができたのかを確かめる作業。いろいろな分 析機器を活用し、どのような化合物ができたのかを調べる。目的に近い化合物 が出来ているかもしれないし、想定と全く異なる化合物になっているかもしれ ない。化合物も、複数生成していることが多いので、同定するにも相当根気が 要る。微量にできた化合物が、その後に大発見ということもあり得る。地道な 作業の繰り返しだ。 ・化学に限らず、学問には偶然という事象がつきものだ。有名なナイロンの発 見、発明は偶然のなせる業だ。カロザースという化学企業デュポンの研究者が ある日、流し(シンク)にタール状の固形物を発見した。凡人なら、ゴミとし て流してしまうところだが、彼は、まてよ、これは何だろうと疑問を抱いた。 それぞれ別の溶液をシンクに捨てた結果、それが混ざり合って反応しタール状 の固形物ができたのだ。ゴミと考えずに、素直に疑問を持ったことが凡人と違 うところだ。そこから、ナイロンの発見、発明につながった。もちろん、この タール状の固形物から工業的にナイロンの製造に結びつくには、長い年月がか かったが、発端は実験室でのシンクにできたタール状の固形物に気づいたこと だ。 <事業化の法人はAtomis> ・北川 進先生が発見されたMOF(多孔質金属錯体)は、金属イオンと有機化 合物との結合反応を利用して、ナノメートル(10のマイナス9乗)の超微細サ イズの規則的な細かい孔を無数に有する新しいタイプの化合物。規則的に細か い孔があるので、この材料の微細の孔に気体を大量に取り込むことができるこ とを、世界で初めて立証した。この発見を契機にして、種々の異なる金属の多 孔性錯体化合物が合成され、水素や天然ガスなどを大量に吸蔵する研究が世界 レベルで行われることになった。ナノレベルの微細な孔を利用して、気体分子 の貯蔵、分離、変換などができる。後述するが、気体の分離などへの応用が可 能で、CO2の削減に相当効果があると期待され、環境負荷の低減に応用するこ とが現実味を帯びている。 ・以前、この研究成果が実現可能性を帯びてきた時点で、社会実装、事業化す る会社ができた。当時はまだベンチャー企業で、京大の近くの場所を間借りし て実験、研究、実用化の試みを繰り返し、繰り返し、行っていた。その企業 に、公的機関からの依頼があり、事業化の評価のためのヒアリングにお邪魔し たことがある。代表者の方や、技術責任者の方からお話しを聞き、事業化の可 能性のレポートを書いて公的機関に提出した。その後、このベンチャー企業は 規模が大きくなり、ファンドからの投資も受け、人数も増員され、製品の製造 に広いスペースが必要となった。京都市内では場所が見つからず、神戸市の ポートアイランドに移転した。まことに残念ながら、京都市内から引っ越して しまった。京都にしてみれば大誤算だ。 ・株式会社Atomisというのが社名。社名の由来が面白い。本来はギリシャ語で 「気体」の意味。逆にローマ字読みすれば、SIMOTA(関西弁で「しもた」=し まった!)。遊び心満点の社名の意味は、他社から「しまった!そんな手が あったか!」と思うようなビジネスをしたいという意味を込めてある。気体は 固体、液体と異なり、分散、拡散する速度が極めて速い。酸素、水素、二酸化 炭素、メタンなど、あっという間に分散、拡散する。高度なレベルで制御、コ ントロールするのは非常に難しい。しかし、工場などで排出されるCO2などを 回収し、貯留できれば、地球環境負荷の低減に大きく貢献できる。水素ガスを 簡単に貯留、運搬できれば、水素エネルギーの普及に大きく役立つ。非常に魅 力的な技術だ。 <製品はCubitan> ・従来、気体の吸着剤、消臭剤として、ゼオライト(沸石)、活性炭などが用 いられていた。現在でも、冷蔵庫に入れる消臭剤に活性炭商品、本物の炭など が日常用いられている。孔のサイズを変えて、目的の気体だけを吸着させる研 究などは行われてきたが、構造が硬く、柔軟性に乏しい。複雑な設計が難し く、形状、機能、効果を満足する物質は、以前にはなかった。しかし、この多 孔性金属錯体物質は、有機物や金属を色々と変えることで、多くの機能を持た せることができる。硬くて壊れにくい構造を持ち、安定している。圧力や光、 温度など周囲の条件や環境を変えることで、多孔性金属錯体が変形し、微細な ガス分子を効率的に吸着、脱着させることに成功した。非常に面白い機能で、 画期的だ。 ・素材ベンチャー企業としての事業化は、一般的には難しい。素材を合成する のに、いろいろな方法があり、試行錯誤でトライアルしないといけない。一般 的には、このような有機合成は液相(液体と液体との混合)で行うことが多 い。実験室レベルでできても、量を多くする(スケールアップという)と、想 定外の反応が起こったり、反応温度の制御ができず暴走したり、収率(製品が できる確率)が極端に低下したり、純度(目的物質中の異物の割合)が低かっ たり、時間がかかりすぎたり、とにかくまともにできることは少ない。これら の条件を、ひとつずつ根気よくつぶしていく。また、再現性(同じ条件で何回 でも同じ結果が出る)も高くないといけない。たまたまできた、というのはダ メなのだ。製造コストも課題だ。 ・この企業は、従来の常識を覆し、個体・固体の(実際には粉体と粉体)との 固相合成という方法を採用し、目的とする多孔性金属錯体の種類に依って、そ の合成方法を変えている。実際の工業的な製品として、「Cubitan」という高 圧ガス容器を開発した。従来市販で出回っているのは、高さ1500mm、直径 250mm前後の高圧ガスボンベ。重量が60kgあり、重くて嵩張り、ハンドリング が難しい。この「Cubitan」は、重さ約10kgで縦、横、高さが280mmの四角いタ ンクで立方体。内部に多孔性金属錯体物質が充填されており、高圧ガスをコン パクトに圧縮貯蔵できる。この立方体の容器に、GPSや各種のセンサーを付け てIoTで管理できるシステムも併せて新しいビジネスモデルとして提案してい る。 <1から10、10から100へ> ・従来、ベンチャー企業の事業化調査に出向くと、研究開発した技術の説明は 非常に詳細に語っていただけるのだが、では、製品として市場に受け入れられ るか、という段階になると、説明が途端に先細りになる。「要素技術は開発し たが、用途開発ができていない」ケースが圧倒的に多い。面白い技術だが、さ て、ユーザーのニーズを満足できる製品になるだろうか?と考えると、非常に 難しい場合が多い。得てして、アカデミックな研究が多く、社会的に受け入れ られるには、何段階ものハードルを超えないといけない。大学の研究が「1」 なら、企業で事業化するには「100」にならないといけない。「1」は急に 「100」にならないので、まず「10」にしないといけない。これを担うのがベ ンチャー企業のミッションだろうか。 ・小職が大卒就職した製造業では、研究所で開発した技術シーズを、いきなり 工場の製造現場には持ち込めないので、工場部署の一部に「開発部」というの があった。先ほどの例で言えば、基礎研究を研究所で行い、モノになりそうな 技術を開発部でスケールアップして確かめる。おおよそ20〜100倍にスケール アップして大きな装置で、いろいろと条件を振って実験を繰り返す。再現性、 品質の安定性、収率、安全性、操作性など、工業製品として生産、製造するた めの基本的なデータを採る。ここでアウトになる技術も多くある。次に進む案 件の方が少ない。小職が在籍した工場の開発部には、200kgスケールの大きな 実験設備があった。24時間3交代で、月曜日から木曜日まで実験を連続して行 い、金曜日は結果のまとめと総括を行う。 ・ここで見通しがあると判断できた案件を、次に現場スケールで実験する。 「工場実験」と称して、1バッチ2000kgで多額のコストがかかる。おおよそ開 発段階の10倍のスケールアップだ。実験で得られた製品は、次の加工工程に送 られ、実際の加工を施し、テスト製品として次のステップに送られる。これら の工程を繰り返し実験し、いくつかは成功をみて社会に製品として送り出され る。それが市場で評価を受けて、収益事業になるまで、また相当の期間がかか る。大学で研究された結果が、要素技術として確立し、それをスケールアップ して製造技術が完成し、安定して工業製品として市場で評価されるまでには、 多くの費用、時間、エネルギーがかかる。北川先生のノーベル賞技術は、もう 社会に実装できる段階になっている。期待値は大きい。