□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第298回配信分2010年01月11日発行 離れ小島の事業には手を出さない 〜陸続きでないとシナジー効果は生まれにくい〜 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ <はじめに> ●古い話だが、太平洋戦争で中国大陸で陸軍が戦ったときに、どんどん奥地に 戦線を展開して、武器、弾薬、食料、すなわちこれを兵站というが、この補給 が続かなくなって、前線の戦力がダウンし、最後の最後では敗戦に次ぐ敗戦と なった。戦うときに大事なことは、兵站の補給なのだ。前線がどんどん伸びた ときに、供給が追いつかないと、前線の戦力が疲弊して惨敗する。参謀本部な どの戦争のプロは分かっているはずだと思うが、ところがそうではない。彼ら は実際に戦争をしたことがなかった。 ●机上の訓練は受けていた。デスクプランは立てられた。しかし、現実の前線 の戦争の現場で戦った経験がなかった。机上の理屈では成り立つ作戦が、現実 にはやってみるとうまくいかなかった。おかしい、おかしいと思っている内 に、引き上げるタイミングを逸した。さらに、無理に突っ込むから火傷がひど くなり、進むに進めず、退くに退けず、にっちもさっちもいかなくなり、大き な戦力を失った。特に、日本は島国だから大陸で戦線を拡大するときには、必 ず海上を通って兵站の補給が要る。 ●中学生でもわかる理屈だろうが、当人が周囲が見えなくなってくるとそうな るのだろう。一歩退いて、冷静に事態を客観的に見るということができない。 本人はいたって真面目なのだが、完全に離れた大陸や孤島で戦争をしている。 武器や弾薬、食料や援軍を運ぶのに、海を渡って物資を運ぶわけだから、輸送 船団が必要でそれをガードする護送船団も必要だ。なにより、油がいる。燃料 が必要なのだ。そういうことは、理屈では分かっていたのに、どんどん前線が 伸びた。抑制が効かなかった。 <F社のケーススタディ> ●京都府下で創業し20年以上になる建設関係の業界で事業を営むF社。建設土 木そのものではないが、関連の業界だ。会社が設立された昭和時代の終わりご ろ。平成に入りバブル時代になり、どんどんというか勝手に仕事が膨れ上が り、成長ではなく膨張した。筋肉がついて体重が増えたのではなく、皮下脂肪 が増えてコレステロールがたまった。平成7年以降、どんどん業績が落ち込ん できた。膨張した企業体質は、一気に減量が出来ず、簡単には対応できなかっ た。その間業績はどんどん落ちていった。 ●落ちていったときに、何をしたか。本業回帰ではなく、周囲が持ち込んだ儲 け話に食指を動かした。まずは、外国からの保存食料品の輸入。どこでどうい う事情でそういう儲け話が転がり込んだのかは分からないが、とにかく友人た ちと事業を始めた。しかし、既得権のある会社は多く、商社などから横槍が入 り、あげくのはてに一部輸入したのに、事業は中止に追い込まれた。そして、 その損を挽回するために、次に始めたのは飲食業で居酒屋の経営だった。これ も、お決まりで数年もたず破綻した。 ●いま、F社の売上は1億円に満たない。従業員も数名程度だ。しかし、借入 金や未払い金は売上と同じくらいある。返済に苦しんでいるが、その借金の原 点は、じつはほとんどが過去の新規事業の失敗のツケだ。現業からの借入金 は、総額の3割にも満たない。これだけなら、普通の借入金の金額だ。当初相 談に来られたときに、どうしてこんな多額の借入金になったか分からなかっ た。しかし、数回お目にかかり、ずっと過去から紐解くと、実はそういうこと だった。事情が分かるまで2ヶ月かかった。 <西陣K社のケーススタディ> ●かたや明治中ごろ創業の京都西陣のK社。当然、社業は西陣織の機械を所有 し、自社で色々な織物を生産している。それを、外部で加工し、高級な西陣織 の商品になり、百貨店や専門店で販売されている。しかし、お分かりと思う が、この業界は一時の絶頂期から比較すると、規模は20分の1から10分の1に 減少というより、縮小した。あっという間に衰退した。市場がこういう業態か ら生産される商品を求めなくなった。時代は変わったのに、企業は変われな かった。分かっていたが出来なかった。 ●数年前に破綻したT社のせいにする企業経営者の方もあるが、それは間違 い。T社が破綻しなくても、早晩市場から退出を余儀なくされた企業は、この 世界では多くあったはずだ。金融機関も大変だろうが、本来存続継続するべき 企業が残り、条件にあてはまらない企業は残念ながら退出すべきだ。サッカー のJリーグの下位3チームの降格制度に対しては、是非はあるが新陳代謝する ことで活性化する。会社も、有望な新人が入ると元気になる。ゴルフの石川 君、野球の菊池君などに期待が集まる。 ●衰退する古色蒼然とした古い体質の業界に危機感を覚えたK社は、新しい素 材の開発に乗り出したのは、平成の10年。なぜこれができたのか。その時点で 従来の経営者から、ご子息の若い経営者に実質バトンタッチが行われた。そし て、苦節10年。ようやく新素材がものになりつつあり、多方面からの引き合い が増加してきた。現在では、売上の50%以上を占めるまでになり、さあこれか らという段階になっている。依然として借入金は多いが、今後に希望の持てる 展開が開けつつある。 <陸続きの事業を展開する> ●振り返って筆者が、昭和49年1974年に大卒で入社した三菱レイヨン株式会 社。当時、化学繊維の製造会社として業界の4位から5位くらいだったが、繊 維以外に、食品、住宅、建材など、およそ化学繊維とは縁遠い事業を多く手が けていた。その典型的な会社は「カネボウ」だったが、これも化粧品を残して 存続していない。三菱も、住宅、食品、建材などは、数年以内に撤退した。ま だ早く撤退したから、傷口は浅かったかもしれない。結局、化学繊維を中心と する化成品、高機能樹脂、炭素繊維などに集中したから生き残った。 ●当時、東レ、テイジン、旭化成などの御三家を始め、化学繊維会社はこぞっ て新規事業に進出した。三菱の食品事業で今でも覚えているのは、富山工場で うなぎの養殖をしていたことだ。なぜ?と当時疑問に思ったが、工場廃水の温 度が40度Cあり、ちょうどうなぎの養殖に適した排水温度だったというのが、 どうも真相らしい。今から思えば、ばかみたいな理由だが、この事業を上申し て開始した人にしてみれば、至って大真面目でやった新規事業なのだ。善人が まじめにやると、こういうことも起こる。 ●つまり、シナジー効果が期待しにくい事業の成功率は低い。陸続きの事業で あれば、兵站の補給もできるし、いざというときの援軍も出せる。しかし、大 陸の先で孤立してしまっては、援軍も出せないし、そのうち野垂れ死にするし かない。撤退するときには、前進するときの3倍のエネルギーを必要とする。 新規事業に慎重になれという意味ではないが、陸続きの事業から考えないと、 いますぐロケットが月面に到達するわけはない。経営者の大きなジャッジのミ スが、将来の会社の大きな負担となってのしかかる。それは避けないといけな い。