□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第402回配信分2012年01月09日発行 創業の時点から100年経つと大きく変わる 〜じっと同じことをしていては100年続かない〜 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ <はじめに> ●日経新聞01月07日土曜日の朝刊の関西経済欄の記事によれば、今年2012年は 関西で100周年を迎える企業が多くあるという。電機機器製造業のシャープ、 農業器具の製造から創業したヤンマー、大阪の名所通天閣、ひらかたパークな どが相次ぎ100周年を迎えるという。創業した1912年は明治から大正に改元 (元号が変わること)された年で、大阪は東洋のマンチェスターと言われるほ どの繁栄だったそうだ。大正の初めだから、まだ世界恐慌の前で、当時は非常 に活気のある関西だった。 ●この記事で初めて知ったが、我々が日常何気なく使っているシャープペンシ ルという筆記用具は、実はシャープの創業者である早川徳次氏が発明したのだ という。それで、この商品名が会社のシャープという名称になった。シャープ ペンシルに続いて、ラジオ、テレビの国産第1号を発明し、その後の発展の礎 を築いた。今では、太陽電池や液晶で業界の先端を走る。筆記用具から始まっ た企業が、世界と太陽電池や液晶で競争している。この歴史は非常に興味深 い。 ●1912年がどんな年だったか知るすべもないが、通天閣とひらかたパークが同 時代に開業しているということは、都市型エンターテインメント産業が誕生し たのだと日経新聞には書いてある。通天閣を建設したのは、当時の大林組だっ た。大林組は、当時創業20年の新興企業だったそうだ。その大林組は、今年5 月に開業する東京スカイツリーの建設を手がけた。当時と現在とでは経済環境 も大きく異なるが、100年を生き抜くには、相応の努力と知恵と変革に立ち向 かう勇気がないといけないだろう。 <他社が真似をする商品を作る> ●以前から成岡とお付き合いのある方はご存知だろうが、成岡のライフワーク の研究テーマに「京都の老舗研究」というのがある。京都の老舗の定義は、 「100年以上続いている企業またはお店」であること、「創業の理念を承継し ていること」、「現在も健全に経営されていること」の3つが条件だ。自薦だ からこの条件に該当する企業でも、自分から申告しないと「京都の老舗」の認 定は受けられない。しかし、表彰の制度ができた昭和47年以降で、既に2000件 以上の対象企業があるはずだ。 ●一口に100年と言っても、上記の1912年創業の企業からも分かるように、創 業当時は明治から大正にかかる時代だ。それ以降、関東大震災、第一次世界大 戦、世界恐慌、大正から昭和へ、軍部の台頭、第二次世界大戦、終戦から復興 ・・・・、現代史の勉強ではないが、ここ数年の激変に勝るとも劣らない経済 環境の激変の連続だ。この荒波を乗り越えて100年続いた企業は、本当に素晴 らしい。100年といえば、最低経営者は3代、いや4代くらいは変わってい る。 ●シャープが筆記用具から創業し、太陽電池に事業が変革していったベースに は、創業者早川徳次氏の開発の哲学があるという。その理念とは、「他社が真 似するような商品を作れ」というものだ。これをしつこく開発部門に指示した という。ここで大事なのは、真似をされるようなものを作ることと、製品では なく商品を作ることだった。これは成岡の勝手な解釈だが、真似をされるほど の商品を作ることは、容易ではない。むしろ真似をしようと思っても、真似が できないくらいのものを作るというのが正解だろう。 <紆余曲折を乗り越える> ●翻って現在の関西の中小企業製造業。非常に厳しい経済環境で、アップアッ プしている企業も多い。建設業は公共事業の減少に苦しみ、部品製造業は発注 元の大手製造業の輸出減少で発注が激減している企業もある。今まで口を開け て上を向いていれば発注が降ってきた時代とは様変わりして、今や自力で歩か なければならない。5年ほど以前に、某公的団体からの依頼で成岡が2日間に わたって研修したテーマが「自立化」というテーマだった。当時からテーマは 「自立化」だったのだ。 ●当時の経済産業省の計画で、特に下請け製造業の「自立化」ということが大 テーマだった。研修は一生懸命したが、果たして5年経過してその効果やいか に?ということが懸念される。当時研修に参加いただいた企業さんとは、今で も結構親交があるが、立派に苦しいながら事業をすこしずつ変革して継続され ているところが多い。やはり、早く気づいて少しでも先駆けて歩き出した企業 が、少しは差をつけているのだと思う。思っていても、行動に移さないと何も 結果は出ない。まず、一歩踏み出すことだ。 ●100周年を迎える上記の企業でも、時代の変遷と共に何か変革のきっかけが あったはずだ。ひらかたパークも、筆者の学生時代には一時期低迷していた時 代があった。万博会場に隣接したエキスポランドが隆盛を極め、ひらかたパー クは非常に客足が落ちた時代があった。しかし、新しいアトラクションを開発 し、サービスを充実し、プールを大型化し、名称を「ひらぱー」と軽いのりに 切り替えて、集客に努めた。エキスポランドはご存知のように死亡事故を起こ して廃業に追い込まれた。 <捨てて新しいチャレンジを始める> ●100年もやっていれば、その間にはそれはいろいろなことがある。成岡も創 業してもうすぐ10年近くになるが、その10年弱の間でも、いろいろなことが あった。100年はその10倍だから企業存亡の時期もあっただろう。おりしも同 時代に創業した三洋電機はなくなった。筆記用具から太陽電池に事業が変遷し ていった経過は、つぶさに研究する余地はあるが、とにかく同じ事業を同じよ うに継続できる保証はどこにもない。大事なことは、いかに早く気が付いて、 変革を始めることだ。 ●変革を始めるときには、反対が多い。同じ新聞の別の面にローソンの社長の 記事があったが、ローソンは飽和成熟していると言われているコンビニ業界で 非常に元気だ。生鮮野菜をいち早くコンビニ店頭で扱いを始めた。店頭で食べ るスペースを積極的に作ったり、高齢者向けの店舗を開発したり、自然食品や 有機野菜を並べたナチュラルローソンを試行錯誤したりしている。全部、当初 の役員会では反対意見が続出したという。みんなが賛成することが必ずしも成 功するとは限らない。 ●要するに、経営者の意思がどこにあるのかということが、一番大事なのだ。 ローソンの社長さんは、今後は高齢化社会に間違いなくなる、そのときにロー ソンはどうあるべきかということを、いつもいつも必死に考えているから、 はっと浮かぶのだという。ここが、一番大事なことだ。会社に行って、社長室 に、デスクに座ったときだけ考えれば浮かび、成功するほど現在は甘くない。 1912年とは時代が違う。現在は変化が早い。一生懸命考えても成功しないこと もある。しかし、考え抜かないと成功しない。これは間違いない。