**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第543回配信分2014年09月22日発行 中小企業の経営者が日ごろから備えること その41 〜チャンスが来たら果敢に攻めるために日ごろの備えを〜 **************************************************** <はじめに> ●ビジネスのチャンスは、いつ、どんなときにぱっと出くわす、巡り合うか分 からない。分からないから面白いというのもあるし、怖いというのもある。し かし、成功した人の発言で多いのは、「たまたまのご縁」というキーワード。 この「たまたまのご縁」に遭遇したときに、いかにそれを「たまたま」に終ら さないか、そこからいかに次に発展形につなげたか、そこが成功と不成功の分 かれ道だろう。では、その分かれ道で決定的に要素として働いた力は何だろう か? それは日ごろからの準備だろう。準備のない人に幸運はやってこない。 ●本当の偶然というのは、色々な場面では必ずあるものだ。ぱっと乗った電車 で40年ぶりに巡り合った高校時代の旧友。全く親交がなかったが、それを縁に 色々な親交が復活し、何かのビジネスに結びついた。たまたま一人で昼飯に 入ったレストラン、食堂でばったり会った後輩。何かの会合に誘われて参加し たら、たまたま全然知らない人と同席になり、挙句の果てに二次会に行った ら、また同じ席になり、それ以来ずっと親交が続いている方。遡れば、この人 といったいどこで会って縁ができたのか、覚えがない人も多い。 ●それぞれのルーツをたどると、非常に複雑でややこしい人も多い。京都は特 に、友達知り合いの知り合いを3つくらいたどると、必ず何かの縁があるもの だ。小学校が同じ学区だとか、お母さん同士が知り合いだとか、学校の先輩後 輩だったり、何らかの縁があるものだ。京都はこれを「回縁」といって、非常 にこれを大事にする。だから、なかなか他府県の方がビジネスの入口で入りに くいのは、このためだ。また1200年都があったという地の利、血縁もある。よ そ者が来た時に非常に敷居が高く感じる。東京なら全然そんなことは感じな い。 <日ごろからの準備が大事> ●しかし、縁というのは不思議なもので縁が向いてくる人と向いてこない人が ある。何が違うか。まずは縁を大事にする「まめさ」だろう。何かの縁で巡り 合った、そのご縁を非常に大事にするには、その後の「まめ」な付き合い方が 必要だ。一期一会といえば聞こえがいいが、一過性で終わるのなら誰でもでき る。その後の人間関係のフォローがないと、たまたま会合に集まって、はい、 それでおしまいということにしかならない。以前から同窓であったり、何かの 知己なら別だが、全くのみず知らずの人とその後の関係が発展するのは容易で はない。 ●非常に大きな利害得失、損得が発生するなら、これは分かりやすいが離れる のも簡単だ。損得勘定が合わなければ、はいさようならになる。一過性の見積 りを出して、やはり値段が合いませんね、ではおしまいとなる。そうなると、 これはもうそこでジエンドで終わりだ。そうならない関係と言うのが、俗に言 う「三方よし、Win-Win」の関係だ。しかしこれは口で言うほど簡単ではな い。きれいごとでは済まないから、よほどこちらも腹をくくって対応する覚悟 がないといけない。生半可な気持ちでは続かない。 ●偶然の出会いから、その後にいい関係に発展していくには、日ごろからの備 え、心の準備が必要だ。いつも課題があり、解決策に悩んでいると偶然の出会 いからぱっと閃くものだ。この閃きと言うか、カンというか、研ぎ澄まされた 感覚、感性がないと偶然から幸運は生まれない。よく、あの人は「ついてい る」という表現があるが、「ついている」のではなく「つき」を呼び込む行 動、規範、考え方、生活スタイル、ビジネススタイルがある。日ごろから無意 識にそのようなことを心がけている。そうなると勝手に風が吹いてくる。 <行先の書いていないバスに乗る勇気> ●少しどこかで知り合った人に、翌月に大きなビジネスの案件が持ち込まれる ことなど皆無だ。初めてお目にかかってから、数か月、1年、2年、何となく 気になっておつきあいして、ある日突然何か場面が転換したり、新しいことが 起こったり、新規の事業が立ち上がる、そういう今までと多少局面、場面が変 わるときに、その「たまたまの」ご縁が生きてくる。それまで、いかに細かく フォローがあったか。そこに手を抜くと「たまたま」のご縁が生きてこない。 ビジネスのチャンスと言うものは、本当にある日突然にやってくる。 ●成岡のよく言う「行先の書いていないバス」がやってくる。停留所で待って いると、「行先の書いていない」満員のバスがやってくる。自分が乗ろうと 思ったバスは、なかなか待っていていも来ない。そこへ満員の「行先の書いて いない」バスがやってくる。さあ、そこで果敢にそのバスに乗る勇気があるだ ろうか?どこ行きか分からないから、乗るリスクは大きい。しかも満員のよう だ。そのバスに果敢に乗る勇気を持ちあわせている人がどれくらいいるだろう か?しかし、見送ったら、次にそのバスが来る保証はどこにもない。 ●そのバスに乗るには、日ごろからそのような局面になったら、どうしようと 決めておかないといけない。迷っていたら、あっという間にバスは行ってしま う。決断に時間はあまりかけられない。即決即断のような切羽詰まった緊張感 満載の決断を果敢にしないといけない。従業員は経営者の前向きな決断を待っ ているが、経営者自身に勇気がなく、また日ごろからの備えがないと、結論を 先送りにする。決めないことは罪なのだが、どうもそのような決断を避ける傾 向がある。先送りは、やらないのと同じだ。 <直言してくれるスタッフを持つ> ●口で言うのは簡単だが現実はそうはいかない。よほど先を見て、毎日毎日将 来のことに想いを馳せて、色々と考えておかないと、バスが来た時にそう簡単 に乗れない。また、乗るための条件もある。時間、資金、人材、タイミング、 利害関係者の了解、などなど。非常に小さな規模の家業に近い会社なら、特に 色々と外部から言う人はいないから、自分の好きなようにできるが、一定の規 模の企業なら、そう簡単に新しい事業に進出するのはできない。その一般的に は難しいことを、どうやってやるのか。 ●どうしても腰が引けるのは否めない。気合はあれど、現実は動かない。自分 一人ではできないことも多いから、途中で挫折することになる。誰か近くにい て、いつも励ましを受け、責任感満々でないと人間はどうしても安きに流れ る。まして、経営者は孤独だ。つまり、自分一人で考え、自分一人で悩み、自 分一人で結論を出そうとするから実現しない。やはり、周囲の知恵、意見、考 えなどをそういう難しい場面で集約する仕組みを自分から作っておかないとい けない。日ごろは役に立たなくても、そのような厳しい局面では威力を発揮す る。 ●帝王学の王道の基本は、「原理原則を教えてもらう師匠を持つこと」。「直 言してくれる側近を持つこと」。「よき幕賓を持つこと」。「幕賓」とはその 帝王を心から好いているが、仕える窮屈さを嫌い野にあって直言してくれる人 を言う。顧問、社外役員、パーソナルアドバイザーのような存在だろう。禄で 吊っても動じない人だ。つまり、いずれも嫌な、耳の痛い、厳しいことを言っ て、現実に甘えない意見を言うスタッフだ。行先の書いていないバスに乗る勇 気と準備は、そのような環境を自ら作らないと実現しない。