**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第627回配信分2016年05月02日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その25 〜移籍した中小企業で経験したシリーズ:いろいろな営業体験〜 **************************************************** <はじめに> ●10年間、22歳の学卒で大企業に技術屋として入社して管理職の寸前まで在籍 した。この10年間にはいろいろなことがあったが、本当に勉強になった。40日 間の長期の海外出張に二度も続けて連れて行ってもらって、会社からは多額の 投資をしてもらったと思っている。それを袖にしての転職だったので、会社か らの説得も結構強烈だった。東京の本社にまで呼ばれて役員から説教をくらっ たが、同族一族の企業への転職だから翻意を迫られても難しい。会社に対する 不満があって辞めるなら説得の方策もあるだろうが。 ●かくて愛知県豊橋市の小さな我が家から引っ越して、京都の左京区に住居を 構えたのが昭和59年1984年の2月だった。これが最初の引っ越しだった。当時 家内が3人目の出産直前だったので、引っ越しは自分一人で1か月かけて準備 した。自宅を購入して住宅ローンがまだ大半残っていたので、京都の左京区に 自宅を購入した際には、二重のローンを払うことになり、資金繰りが大変だっ た。豊橋市に残した前の家が、なかなか売れなくて困った。少し値段を下げた ら、すぐに売れたが。 ●引っ越して次の週から移籍した出版社に出社した。移籍する前に、義兄の代 表者から十分な説明を聞いていたかというと、そうでもない。十分というのを どうとらえるかの問題だが、当時技術屋だったから決算書を見せてもらって も、おそらく何も分からない。適当に説明を聞いて、はい、そうですか、とい うくらいがせいだいだろう。だから、後で色々なことが判明したが、あまり気 にしなかった。とにかく、全く門外漢だったから目先のことを理解し、覚える のが精一杯だった。つまらないことを考えている時間はなかった。 <まず倉庫の実習で書籍を覚える> ●まずオーダーがあったのは、物流倉庫での実習だった。当時、国道1号線の 赤池という交差点近くに150坪の2階建の物流倉庫があり、そこに数名の担当 者が張り付いていた。その倉庫に一月くらい実習と言う名目で居候した。毎日 毎日一定の分量の書籍やその他の商品の出庫伝票が回ってくる。その出庫伝票 の指示に従って、倉庫の棚から品出しする。これをピッキングという。どの場 所に、どの棚に、どんな書籍や商品が置いてあるのかは、すぐには覚えられな い、当時は、まだパソコンなどはなく、手書きの資料しかない。 ●配置表をもらい、聞いたこともない書籍の名前を一生懸命覚えようとする が、馴染がない世界なのでとても簡単には覚えられない。かごや段ボールの箱 を持って、台車を押して指定の書籍を拾ってくる。とても時間がかかるし、探 すのも大変だ。慣れていないから、頭をぶつけたり、脚立から落ちそうにな る。上の方にある書籍を出すときは、相当危ない格好になる。作業服がほこり でまみれ、しょっちゅう洗濯しないといけない。宅急便で送るときには、段 ボールの箱を適当にアレンジしないといけない。結構単純なようで難しい。 ●一日の作業が終わったら、下京区の本社に戻って当日のレポートを書き、何 らかの改善点を提案しないといけない。結構高いコストを払ってもらっている ので、それに見合ったものを出さないといけない。しかし、比較的単純作業だ から、最初の1週間くらいはいろいろと提案できたが、そのうちにネタ切れに なった。そうなると作業だけの実習になり、あまり意味がない。かくて、4週 間でお役御免となった。製造工場にいたから、フォークリフトの免許を持って いたので、それが意外と役立ったくらいだろうか。 <営業部門で苦労する> ●4週間の物流倉庫の実習を終えて、次は営業部門で実習することになった。 当時、大型の新商品が発売直後だったので、一番会社が力を入れている部門で 勉強してこいというオーダーだった。関西の営業部門の拠点は、当時大阪の中 央区堺筋本町近くにあり、毎日そこに通うことになる。京阪電車で北浜まで 行ってから地下鉄で一駅だが、朝の通勤ラッシュという経験がないので、非常 に通勤で消耗した。10年間工場近くの社宅のような環境のところで暮らしてい たから、自転車か徒歩通勤しか経験していない。 ●営業は初めての経験だが、専門書の営業なので、まず扱う商品の勉強から始 めないといけない。ところがこれが全くと言っていいほど、中味とご縁がな かった分野の書籍ばかりなのだ。人文科学系というか、歴史や芸術などの関連 書籍だから、理系の人間には非常にハードルが高い。しかも周囲の人間は、そ ういう分野に精通した人ばかりなのだ。これはえらいことになったと、多少後 悔したがもうあとには戻れない。いまさら転職したのが失敗でしたとは、口が 裂けても言えない。かくて、覚悟を決めて腹をくくった。 ●ある人に教えてもらったのは、専門書を専門家に営業するのだから、専門的 なことをとことん知る必要はない。内容の良しあしはお客さんが決めること だ。だから、相手が判断するのに必要な情報を提供し、最終的には相手に決め さすことだ。決してこちらから無理に営業してはいけないということを教えて もらった。なるほど、そうか。内容をきちんと説明すればいいので、売る必要 はないということだ。内容がちゃんと伝われば、あとは相手に任すしかない。 食べ物でも消耗品でもないから、押し付け営業はしてはいけない。 <静岡県の書店営業に行く> ●このコツが分かってから、以外にも素人の自分が結構営業成績が良くなっ た。あまり売る姿勢を見せないことが売りにつながることも、その際に初めて 理解した。分かると面白いもので、次々と理解が出来るようになる。もともと 10年間在籍した企業の組合で、選挙運動をかなり経験していたから相手との距 離感の取り方は意外とうまいほうだ。コミュニケーションも結構双方向にうま く話すこともできた。自分からは売り込まない、「引きのクロージング」とい うテクニックも教えてもらった。営業とはものを売るのではないことも、実感 した。 ●この専門書の営業実習が終わったら、次は当時よく売れていた美術品の書店 への営業の実習だった。場所は静岡県の全エリア。当時はバブル社会の入り口 のような時代で、高額の美術品である絵画の複製や掛け軸、扁額などの高額美 術商品がよく売れていた。出版社に入ったので、書籍や雑誌ばかりかと思って いたが、意外にもそんな商品もあった。しかし、これも全くの素人なので、ほ とんど商品知識がない。乱暴なもので、大阪からの実習が終わった翌日から、 営業車のライトバンに商品を満載して出かけることになった。 ●初めの1週間だけ東京支店の営業課長をしていたWさんという30歳くらいの 方に同行してもらった。地方の有力書店の外商担当者と車に乗って同行して、 お客さんの職場や自宅にお邪魔して商品の説明をする。茶道の先生、農協の幹 部職員、学校の校長先生、お医者さんなどが主要な書店の顧客なのだ。事前に 京都の版元(出版社のことを業界では版元と呼ぶ)から担当者が来るとアポを 入れてもらっている。そして、顧客の興味がどういう分野にあるかもわかって いる。絵画か、掛け軸か、それ以外か。 <高額の商品が即決で売れたことも> ●座敷や応接間にあげてもらって、そこで持参した商品を見せて、これはきち んと商品説明をしないといけない。しかし、にわか勉強で一夜漬けの当方の説 明はしどろもどろで、要領を得ない。さすがに営業ベテランのWさんの模範 トークを目の前でやってもらって勉強した。人まねするのは得意なので、何と か段々恰好がついてきた。選挙の応援弁士をやった経験が非常に役立った。特 に、京都から来た専門書の版元ということで、掛け軸関係の美術品がよく売れ た。途中で京都から商品を補充したくらいだ。 ●静岡県は横に長い。西は浜松で中京経済圏になり、真ん中は静岡市の50万都 市。東は伊豆から神奈川に隣接する首都圏経済圏だ。その中間に、5万くらい の人口の地方都市、が点在する。田舎風の地域も結構あり、田園風景も多くあ る。気候も温暖で、風は強いが、天気はいい。主要な都市の中心書店の担当者 と、終日顧客のところに出向いて営業をする。夕方に終わって書店に戻り、そ の日の事務作業をして、翌日の営業地の近くのビジネスホテルに移動する。そ れを毎日繰り返す。結構、疲れるが毎日違うことがあるので、面白い。 ●この美術品を中心とする営業実習も1か月くらい行った。全く成果が出な かった日もあり、そういうときはさすがに本社に報告するのが辛い。逆に午前 中に訪問したお医者さんの家で、奥様が高額の商品を即決で買っていただいた こともあった。その時は、午後から書店の担当者がノルマを果たせたので、も ういいだろうということになりお店に戻ってしまった。かくて、午後からがフ リータイムになり、当地の著名な画家の美術館へ行く機会に恵まれたことも あった。何から何まで全部初めての体験だったが、転職とはこういうものか と、意外と落ち着いていた。