**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第628回配信分2016年05月09日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その26 〜移籍した中小企業で経験したシリーズ:中途採用の難しさ〜 **************************************************** <はじめに> ●静岡県での書店の営業実習が約1か月続き、ようやく物流倉庫、直販営業部 門、書店営業部門と主要な3つの部署の実習が終わったのがおおよそ半年。そ の間、ほとんど京都の本社には戻らなかった。ときどき、役員会や部長会議と いう幹部の会議があり、そのときは呼んでいただいたが、それはだいたい土曜 日に行われていたから、それに便乗して京都の自宅に戻っていた。だいたい、 出張に出たら2週間くらい現地に滞在して、そして週末に戻り、会議に出席、 そしてまた現地に戻るというようなシステムだった。 ●愛知県の豊橋市の工場勤務が10年間と長かったので、その間40日間の長期の 海外出張が2回あったが、日本国内の出張はあまりなかった。労働組合の会議 で、東京の本社に数回行くのと、北陸の産地にクレームで呼ばれるくらいが出 張だった。工場では、服装は基本的に我々は自由だったが、背広を毎日着るこ とはほとんどなく、ネクタイもせずYシャツの上に会社支給の作業服を着て、 ズボンは自由だった。それが一転、毎日背広、毎日ネクタイという服装に変わ り、正直初めての夏はしんどかった。 ●半年間の実習がほぼほぼ終わって、京都の本社にいったん戻ってきたのが8 月くらいだっただろうか。肩書は社長室長だったので、特に定常的に担当する 仕事があるわけではない。まあ、無任所の大臣みたいなもので、逆に何か大き なプロジェクトや仕事が起きると、それを担当するようなミッションだ。とこ ろが、いきなり大仕事が回ってきた。当時、別会社があり大型書籍の直販営業 をしていた会社があった。書店でなかなか売れない大型の企画書籍を直接営業 して販売する部門だ。 <当時全国4拠点で毎週のように採用面接> ●その子会社、別会社の社員は数十名在籍していたが、当然のことながらほと んどが中途採用だ。当時、特におかしいことではなくて、販売会社の中途採用 は当たり前。ただ、どうやって募集し、どうやって面接し、どうやって営業力 のある方を採用し、定着してもらうかは、非常に難しい。そして、販売は全国 的にやらないといけない。京都や関西だけでやっていたらいいのではない。北 は北海道から、南は九州沖縄まで、それこそ都道府県で対象者のばらつきはあ るが、業界ごとに専門家は多く存在する。 ●そのため、子会社には全国に散らばって営業所が設けられていた。当時の営 業所は、東京の水道橋に東京支店があり、都内3か所に営業所が分散して設置 されていた。そして大阪の堺筋本町に大阪支店。広島に営業所。そして、ちょ うどこの時期に福岡博多の駅南に福岡支店が開設されていた。そのような支店 と営業所の配置だったので、中途採用の募集活動は、その拠点ごとに行なわれ ていた。つまり、東京、大阪、広島、福岡という当時4拠点でかなりの頻度で やっていた。それを社長の従弟のM常務が担当していた。 ●当時の募集は新聞広告を出して募集をかける。リクルートという中途採用専 門の雑誌も創刊されてあったと思うが、まだ知名度はそんなに高くない。やは り媒体と言うことでは、新聞の中途採用広告が主流だった。もちろんインター ネットやスマホなどというものは世の中にはまだ存在しない時代のことだ。新 聞は、通常朝日新聞か日経新聞に限定していた。出版社と言う比較的文化の匂 いのする仕事がイメージできるので、やはり当時の考え方は朝日新聞か日経新 聞を読んでいる人が対象だろうという思い込みでやっていた。 <事前に履歴書を送ってもらう> ●金曜日から週末にかけて小さな募集広告を出す。全国紙の求人広告は非常に 出稿料金が高い。小さな広告でも数十万円という結構な値段がしたと思う。数 名の募集では勘定は合わないが、これはやってみないと分からない。ただ、人 が動くと言われる夏や年末、賞与支給の時期などは賞与をもらって辞めて探す というので、当時の常識では6月や7月、11月や12月に募集をかけるのがいい のではないかと言われていた。それも、結構いい加減なものなのだが、経験と 直感でそう信じて疑わなかったのだろう。 ●新聞広告に掲載したあとは、応募書類が京都の本社に郵送で届く。履歴書を 事前に送付してもらうという、業界でいう「歴送」というやり方だ。実は、当 時のこの会社の方法は「歴送」とは書いてあるが、事前に履歴書を見て選別す ることはしなかった。会社側が選んでいるという高いイメージを応募者に植え 付けるためのポーズなのだ。いったん郵送で送ってもらって、決めた会社説明 会の開催日の通知を会社から郵送で自宅に送る。だいたい、1週間後の平日の 午後に開催するのが普通だった。各支店や営業所で行う。 ●ある新聞広告の募集に20名が履歴書を送付してきたとする。当然こちらは全 員に会社説明会の案内通知を郵送する。しかし、当日全員来るとは限らない。 だいたい、応募者の80%くらいだろうか。20名応募があると15名くらい来社い ただいて面接する。当時の方式は、まず受付で氏名を書いてもらう、そして会 議室のような比較的広い場所を学校形式にセッティングする。決められた時刻 の30分前くらいに来る方も多いので、待っている間に自社の会社案内や書籍目 録、よく売れている本の現物などを見てもらっておく。 <会社説明を1時間詳細に行う> ●そして、この待ち時間を利用して「アンケート」と称する簡単なA4の1枚 の用紙を渡して記入してもらっておく。履歴書だけでは分からない職歴であっ たり希望の年収、出社可能日など、あとあと参考になるデータを入手するため に、このアンケート用紙は非常に重要なのだ。そして、決められた時刻から約 1時間会社の概要と募集の条件の詳細を説明する。1時間という長い時間を、 応募者の興味を反らさないように、またあとでの個別面接でいろいろな質問が うまく出るように、微にいり細にいり仕事の内容などを説明する。 ●そして、約1時間の会社説明が終わったら、応接室の別室のような場所で個 別に一人一人面接する。だいたい一人20分。応募者が多いと、数時間かかる。 順番は来社順にしていた。なので、最初の人から最後の人まで10名くらいなら 3時間、15名くらいなら5時間くらいかかる長丁場だ。この面接の時間を利用 して、いろいろな性格試験を受けてもらう。人によってはそんな長い時間待て ないから、途中で帰ってしまわれる方もいる。そして、だいたい夕方遅くに面 接が終わる。手元には、履歴書、アンケート、そして性格試験の結果がある。 ●当時、営業職の中途採用を担当していたM常務に同席して、この中途採用募 集面接の仕事に一度一緒させてもらった。この募集採用面接を当時、4か所で 毎週のようにやっていた。相当労度のかかる仕事なので、M常務はこの仕事を 成岡に交代してもらうように依頼していたようだ。そこで、初めて大阪支店で の中途採用募集の面接の現場に同行した。そして、それを済ませて翌日の東京 支店での面接に飛行機で移動した。翌日、東京支店での会社説明会の直前、い きなり1時間の説明をやってみろとオーダーされた。突然だった。