**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第632回配信分2016年06月06日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その30 〜移籍した中小企業で経験したシリーズ:超大型プロジェクト始動する〜 **************************************************** <はじめに> ●専門書の出版社としての大型企画は、先週号にも書いたがだいたい1企画2 億円プロジェクトだった。その企画制作に2年間。発売してから2年間くらい で初版の2,000セットを予約販売する。そして、うまくいって初版の2,000セッ トが販売できたら、あとは1,000セットくらい増刷する。この増刷分が利益に なる。初版の2,000セットは企画当初からの費用や、印刷代、紙代、原稿料、 編集費、写真の撮影代、資料の提供費用、外注費などが相当多額にかかる。製 造原価と販売経費を差し引くと、ほとんど初版では残らない。 ●市場、つまり専門書の読者対象者が非常に狭い、小さい場合再版に持ち込む のは非常に困難だ。その場合は、初版で回収できる上代設定にして、数年間か けて回収を図る。逆に、市場が大きい、つまり読者対象が広い分野の専門書は 再版できる可能性も高い。ビジネスとしての魅力もあるが、反面競争相手も非 常に多い。当時在籍の出版社では、どちらかというと狭い市場の専門書を主に 扱っていた。確実だが、販売期間が非常に短い。2年ごとにその分野の大型企 画を考えて、出さないといけない。相当、しんどい。 ●2年ごとというと、ほとんど現在手掛けている企画が制作完了とほぼ同時 に、次の大型企画がスタートしていないといけない計算になる。狭い市場で、 読者が限定されている分野では、そんなに次々と目新しい斬新な企画がどんど ん出てくるわけがない。よって、分野をいろいろと変えないと事業として維持 できない。おっつけ新しい未知の分野へのチャレンジとなり、リスクが高ま る。そうなると、外れ企画が出てきて、資金面で非常にリスクが高まる。当 時、いくつかの不振企画が出てきて、だんだん会社の資金状態を圧迫し始めて いた。 <新しい「健康」分野の大型企画案件> ●そのために、失敗企画を出さないための市場調査なのだが、これはやればや るほど「ノー」という答えが返ってくることが多い。一番無難なのは、既存で 過去に他社で売れた企画の二番煎じをすることだ。要するに、「マネ」をする のだ。これは、柳の下の二匹目のどじょうをねらう理屈と同じだ。他社から発 売されたヒット商品を真似して作る商品と同じだ。そこそこはヒットするだろ うが、オリジナルとは言えない。しかし、リスクを回避するなら、これが一番 無難だ。そのような企画も、いくつか手掛けたことがある。 ●一番難しいのは、オリジナルの企画であり、まだ過去にあまり類書がない企 画だ。斬新なだけに前例がない。従ってリスクは当然高くなる。また、企画の コンセプトが明確でないといけない。よく言う、「誰に」「何を」「どうやっ て」の一番最初に来る「誰に」が重要なのだ。つまり、平たく言えば読者対象 が明確か?ということだ。なんとなく面白い、広く万人受けする企画というの は、面白いが読者対象が明確ではないことが多い。この、読者対象をめぐって 企画会議では、喧々諤々の議論が始まることが多い。そのための、市場調査な のだ。 ●ある海外の大型企画を日本で出版するというプロジェクトがあり、いつもの ように市場調査のオーダーがあった。基本的には、この企画はトップとしては やりたい、出したい。しかし、過去に当時の出版社ではやったことのない新し いジャンル、新しい読者層にアプローチしないといけない。「健康」をテーマ に扱った大型企画なので、「健康」というコンセプトに合致する読者層は非常 に広い。専門家対象なのか、一般人対象なのか、一般人でも健康に意識の高い 層なのか。海外で出版された企画なので、どうもその辺があいまいなのだ。 <反対したがゴーの決定が下る> ●まず、「誰に」が重要だ。しかし、日本で企画されたものではないので、ま ず当方で勝手に読者対象を想定する。一部の内容を先行して日本語翻訳し、図 版や写真を織り込んで企画書を作成し、4ページくらいのサンプルを作成す る。それをもって、関連すると思われる読者対象の業界団体、組織、官公庁、 民間企業、営利団体、NPO法人など、いろいろな対象をリストアップしてアプ ローチをかける。企画のコンセプトの受け入れ、目次、章立て、日本語訳の選 定、監修者、想定される定価、推薦人などをヒアリングに回る。 ●おおよそ時間は1か月。この間、この企画調査に没頭できるわけではないの で、ほかの業務、特にもうひとつの重要なミッションである販売会社の営業部 門の中途採用の仕事を兼務しながらこの大型企画の調査を行う。メールやイン ターネットのない時代でもあり、アポイントを取ったり移動したりしながらの 市場調査はなかなか困難を極める。携帯電話があったら、と思うことはしばし ばだった。特に、東京都内の移動は非常に難しい。JRと地下鉄、私鉄を乗り継 いで、乗り換えての移動は、慣れていないとこんがらがる。 ●結論から言えば、この大型企画は非常に読者対象が広く市場としての魅力は あるが、それにしてはコンセプトがあいまいあという結論になった。つまり、 我々サイドからすると「ノー」の回答なのだ。しかし、企画会議ではこの企画 の日本での出版が決定された。会議での議論の詳細は省略するが、トップの意 思決定が下された。新しい分野へのチャレンジという意図もあったのだろう。 反対はしたが、トップの決定ということで押し切られた。こうなると、もう後 戻りできない。かくて、その数か月後にこの企画は世に出ることになる。 <看護分野の大型企画が持ち上がる> ●発売開始して、予想通り営業は大苦戦に陥った。誰に持っていけばいいの か、読者対象が明確でない欠陥が早くも露呈した。営業がもたもたしていると いうことは、数字が上がらない、つまり売り上げが上がらない、つまり資金が 回収できないということだ。当時、かなり資金繰りも厳しかったので、販促強 化の社長命令が下った。当然、企画の調査を担当した成岡も営業に駆り出され るはめになった。しかし、調査を担当したので、ミッションは推薦文を取って くることだった。関連団体、業界のトップの推薦文を取ってこいと。 ●このために、九州から東北まで全国を駆け巡って業界トップの推薦文を取る ことに奔走した。医学者、保健衛生、厚生省、学者団体、病院関係、保健医 療、介護看護、学校保健など、ありとあらゆる関連した業界団体へ推薦を働き かけ、全部は成功しなかったが、それなりに成果はあった。その推薦が奏功し たかどうかは明確ではないが、次第に販売も少しずつ数字が上向いてきた。 ほっとしたのもつかの間、この活動の中から次の企画の大物ネタが飛び出して きた。それが看護関係の専門書の大型企画だった。 ●某大手印刷会社との共同企画で始まったこの「看護」分野の大型企画を担当 したことで、それからの人生がまた一変することになるとは、当時の自分は当 然のことながら全く想像がつかなかった。当時東京にいたある日、社長以下、 常務、編集部門の取締役とともに八重洲にあった某大手印刷会社の会議室に呼 ばれた。そこで、この大型企画のプレゼンがあり、さっそくこの企画をどう料 理するのか、市場調査にすぐに取り掛かるようにオーダーがあった。昭和60年 の春ごろだったと記憶している。さあ、えらいことになった。