**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第636回配信分2016年07月04日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その34 〜移籍した中小企業で経験したシリーズ:初めて営業部門の責任者になる〜 **************************************************** <はじめに> ●看護師さん60万人の市場に看護学の専門書を会社として初めて挑戦し、か つ、20名の新卒社員と4名のマネジャーを率いる「メディカル事業部」が正式 に社内に発足したのは、昭和61年04月。まさに、この04月01日に20名の男子新 卒社員と5名の女子大卒社員が入社してきた。それまでは、毎年若干名の採用 であり、ぱらぱらの中途採用だった。これほど多くの新卒大卒社員が一時期に 入社したのは、前代未聞。初めての出来事だ。まず、入社式をする場所がな い。記憶は定かではないが、どこかの会場を借りて初めての入社式なるものを 執り行った。 ●社長以下数名の取締役、役員、幹部社員、メディカル事業部のマネジャーな どが列席し、型通りの入社式を行った。確か、午後から行い、その後簡単な社 内見学、案内、そして夕方から懇親会を行ったように記憶している。そして、 懇親会のあとは、翌日から始まる研修の会場となる大阪吹田市江坂の某会社の 研修施設に移動した。当時、会社の従業員は100名を超えていたとは思うが、 それでも一気に20名以上の男女の学卒新卒者を受け入れるのは、どの部署も経 験がない。前例がないので、右往左往することが多かった。 ●人事部などという洒落た部署などないから、総務や経理担当者の女性たち も、総出で手伝ってもらった。私は総務だから、経理だから、などと言ってい る場合ではない。30名近くの社員が移動したり、泊まったり、研修したりする のは、とにもかくにも前例がないから、何をどうしていいかわからない。統括 する人事部という組織自体がないから、成岡もにわか人事部長のような仕事も 兼任することになる。とにかく、中小企業は理屈では動かない。日頃からの人 間関係や、密なコミュニケーションがいかに大事かということが、こういう局 面で出てくる。 <とにかく距離を短く> ●社運を賭けた一大事業だが、それでも関係者は限られている。当事者たちは 必死だが、その他の部署の社員たちは特に日常関係ない。だから、いったい何 がそんなに大変なのだ?という不思議な空気が蔓延していた。もっと人数が少 ない企業なら、その雰囲気もすぐに全体に伝わるだろうが、100名上の企業に なると、いろいろな機能的な部署の縦割り組織になる。自分には直接関係ない と、どうしても当事者意識を持つことは難しい。特に、社外に研修会場を設定 したので、逐一動きがわからない。京都の本社からも距離がある。 ●女子の5名は、総務や経理、営業事務に配属されるので、各自の共通のオリ エンテーションの終わった数日後からは、京都の本社に移動した。初めての日 曜日の休日は懇親を兼ねて大阪城公園にお花見に出かけた。まだ、入社して数 日後だから全員緊張して、堅い。そこを何とか解きほぐそうと、いろいろな趣 向を凝らしたり、ソフトボール大会をしたり、いろいろと距離を縮める努力を した。ずっと本社から離れて集団生活をするのも、慣れていない新入社員もい る。あるいは、意外と図太い社員もいる。いろいろだ。 ●1週間くらいの基礎研修から、連休前までは専門部署の教育を行った。20名 は一部書籍営業部に配属される数名を除いて、全員が同じメディカル事業部に 配属される。まず、その配属の発表から始まり、そこからいろいろな情報が飛 び交う。マネジャーの4名は交代で研修施設に宿泊させ、オフタイムの各自の 行動をチェックさせている。監視というより、人間性やいろいろな行動習性を 把握する必要がある。誰がリーダーになっているのか、誰はおとなしいのか、 性格を知ることは大事だ。 <営業活動に入る準備が大事> ●専門分野の教育は、ほとんど成岡が担当した。まず、対象となる市場の特性 を知る必要がある。そして、販売を担当する商品の性格、企画の背景、制作者 の意図、執筆者の顔ぶれ、内容構成の特徴など、それはそれは大卒新卒の入社 直後の若い人には、毎日が新しいことの連続作業になる。ここで、一部のメン バーが少し落ちこぼれ状態の人が数名出てくる。みんなのペース、リズムにつ いていけない。特に、商品説明の基本トークを覚える段階になると、記憶力の 悪い人と良い人の差が歴然と出てしまう。 ●進捗の早い組と進捗の遅い組に分けて、遅い組は徹底して補習を行った。お およそ、出口が見えた段階で教育の現場はマネジャーに任せて、連休明けに入 る市場の準備にかかった。各種団体の推薦文をいただいたり、まずテスト販売 する都道府県の団体の推薦文をもらいに伺った。協会の理事会にお邪魔して、 企画の趣旨を説明して、賛同をいただく。理事会全員一致で推薦図書にしてい ただく。その推薦文をもって、医療機関の看護部を訪ねる。そして、各自への 紹介の許可をもらう。そういう準備が必要なのだ。 ●この準備作業が、営業事業部の責任者の仕事だ。連休明けに20名くらいのメ ンバーが4組に分かれて、それぞれマネジャーが責任者を務め、分かれて営業 販売活動に入ることになる。4チームが展開できるマーケットを準備しておか ないといけない。失敗は許されない。非常に緊張があり、テンションの上がる 仕事だ。単独でその該当府県に行って行動する。誰も助けてくれないし、自分 の信念に基づいて行動しないといけない。夜は、研修の現場にいるマネジャー に電話して、研修の進捗状況を確認する。 <営業開始したが数字が上がらない> ●ようやく1か月間の研修期間が終わり、いったん5月の連休の休みに入っ た。連日緊張で体調を壊す者もいれば、食欲がなくなる者もいた。病気になる 人はいなかったが、慣れない団体生活、社会人の初めての経験、いわば体育会 の合宿のような生活に馴染めない人もいた。心配は、いったん実家や下宿に戻 り、友人や家族に囲まれて、果たして全員無事に戻ってくるだろうか?という ことだ。いちいち一人ずつ連絡するわけにもいかないので、腹をくくって何も しなかった。祈るような気持ちで連休明けを迎えたのを覚えている。 ●京都の本社には2チームが配属され、生え抜きのS課長を責任者にした。成 岡は手薄な東京の2チームの面倒を見るために、東京へ単身赴任することにし た。ここから数年間、全国各地を巡る相撲の巡業のような生活が始まることに なる。まず、連休明けには2チームを引率して群馬県と長野県に営業活動に赴 いた。そこで、だいたい5名チームが2か月くらいの営業活動を行う。群馬県 チームは高崎市に、長野県チームは松本市に拠点を構えて、一斉に営業活動を 開始した。しかし、なかなか数字が上がらない。 ●やはり、新入社員の新人君たちに、社会人生活にも慣れない中での初めての 営業活動は重たかった。研修で習ったことの、半分も実践で発揮できない。20 名のメンバーの中には、数名飛びぬけたセンスと実力のある人もいたが、大半 は研修で覚えた、習ったことが、現場では再現できない。5月の1か月は全く といっていいほど、結果は出なかった。京都の本社では、果たしてこれで6億 円かけて社運を賭けたプロジェクトが、成岡に任せてうまくいくのか?という 疑問の声が大きくなった。本社の会議に呼ばれたときは、針のむしろだった。