**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第642回配信分2016年08月15日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その40 移籍した中小企業で経験したシリーズ 〜子会社の社長として3度目の東京単身赴任〜 **************************************************** <はじめに> ●これも青天の霹靂だった。新装なった京都本社の最上階6階の社長室に呼ば れた。だいたい、就業時間中に改まって社長室に呼ばれるというのは、普通の ことではない。大企業ではないが、中小企業では社長が話しがあるときは、気 楽な仕事の会話なら改まって社長室に呼ぶ必要はない。廊下でもいいし、自分 のデスクの横でもいい。改まって呼ぶというのは、他に人がいてはまずいとい うことだ。少人数のお人払いした環境でしか、何か話しができないとうこと だ。つまり、結構重大な用件なのだ。 ●案の定、当時の成岡にとっては結構重たい案件だった。当時、管理本部の責 任者から新規事業部門の責任者をしていた。当時の組織図では、大きく管理部 門、営業部門、制作部門、新規事業部門の4つがあった。人数も子会社を含む と300名の大所帯になり、京都本社、東京支社が中心で、子会社の部門で仙 台、東京、名古屋、大阪があった。広島は代理店になり、福岡支店は閉鎖して いた。一番大きな子会社は、人数が50名以上あり、売上も10億円以上になって いた。しかし、かなり運営は難しかった。 ●新規事業部門なので、成岡が担当していたが、これはあくまでも親会社の担 当役員として担当していただけ。実質は子会社プロパーの役員2名に運営を委 ねていた。京都の本社から遠隔操作をしていたに過ぎない。当時、大型書籍の 直販部門も不振になり、書店ルートの営業部門も大量の返品で苦しんでいた。 社員は300名になり、京都本社の新築購入、東京支社の賃貸ビルの一棟借りな ど、固定費がどんどん膨張していった。特に、書店ルートの新刊書や全国発売 の雑誌などのプロジェクトには多額の先行投資が必要だった。 <子会社の業績が非常に重要になる> ●当時の資金繰りの状況は細かいことは担当外なので詳細は承知していない が、相当厳しかったことは事実。特に、書籍や雑誌部門の売上が伸びると、出 版社であるメーカーに売掛金が入るのは書籍が出てから3か月後。しかも、90 日の手形になる。かつ、それ以前に発行された書籍の返品があると、その返品 分はマイナスの売上で赤伝になるから、非常に大きな売り上げ減につながる。 雑誌は少し違うが、書籍はこのような流通の仕組みになっているので、出し続 けないとマイナスの売上という珍現象が起こり得る。摩訶不思議な業界なの だ。 ●つまり書籍の売上に依存していると、非常に経営基盤が不安定になる。出し た書籍が売れればいいが、平均で40%になる返品をいかに少なくするか。かと 言って初版の刷り部数を減らすと、多くの書店の店頭にいきわたらない。非常 にジレンマのある業界なのだ。そこで、当時在籍していた出版社では、書店 ルートの営業もするが、大型書籍に関しては書店に依存せず、自社の営業部隊 を編成し直販で営業活動を行っていた。さらに、それを深化させていろいろな 販売方法や新規事業を立ち上げよというのが成岡のミッションだった。 ●その新規事業のひとつの部門が、数年前に事業が始まり代表者の社長のアイ デアで大きく伸びて、会社の屋台骨を支えるまでの事業になってきた。そこま では、子会社にして外部から招聘した役員に経営を任せていたが、他部門の業 績が低調になり、資金面でその新規事業部門が非常に重要な位置を占めるよう になった。そのため、本社からの管理面の強化を図る必要が生まれ、当時新規 事業部門を管轄していた成岡がその子会社の代表取締役として就任し、子会社 の本社として登記してある東京支社に赴任することになった。 <数字を挙げる人が偉い> ●在籍としては親会社の出版社の役員の身分ながら、子会社の代表取締役とし ていわば出向することになった。新規事業部門は別の人の管轄にして、子会社 の業績を安定させ、親会社の資金繰りを落ち着かすこと。そのために、出入り の激しい中途採用の販売部門の労務管理、業務管理、クレーム対応などを強化 すること。従来のマネジメントを管轄していたメンバーとの人間関係をきちん と作り、意思疎通を図ること。子会社の安定的な黒字化を図り、同時に親会社 の業績向上に貢献すること。これらが成岡の子会社の代表取締役としてのミッ ションだった。 ●子会社は親会社が制作した商品を、経理上は仕入れて販売している。売上は いったん子会社に計上されるが、そのまま親会社に流し親会社から子会社へ販 売手数料を中心とした資金が流れる。その中から販売担当者各自にコミッショ ンとしての販売手数料が支払らわれる。マネジャーなどの管理職には部下の売 上に対する一定比率のマネジメントフィーが支払われ、さらに経営陣には全体 の売上に対するフィーが支払われる。すべては売上中心のコミッション体系に なっており、そういう意味では分かりやすい。 ●逆に、分かりやすいが、いったん売上が低迷すると各自に入るコミッション も、マネジャーに入る管理フィーも、経営陣に入る報酬も、すべては売上が増 えて始めて成り立つ。これがいったん負のスパイラルに入ると、逆転さすのは 相当エネルギーが要る。特に、営業部門、販売子会社だから数字を挙げる人が 偉いので、低迷している人にサポートする人は皆無に近い。みんな自分の生活 が大変だから、自分の数字を挙げるのに一生懸命だ。それはそれでいいのだ が、組織としては非常にモチベーションが低い。誰も、他人を面倒見ない。 <人間関係の構築がまず先決> ●本社の東京支社の、確か4階にあった子会社の本社機能を有する部署に赴任 した。10坪くらいの事務所に、事務方の責任者の男性1名と残り男女が2名ず つ、合計5名のスタッフだ。以前は、そこに子会社の運営を任されていた男性 と女性の2名のデスクがあったが、それは営業現場の部屋に移されていた。ま ず、赴任して感じたのは本社から落下傘で降りてきた成岡に対して、非常に警 戒感があることだった。汚い言葉でいえば、本社からの回し者だった。全員が スムースに会話してくれないし、非常に違和感を感じさせる初日だった。 ●まず、事務局の一人一人と少し長い時間をとって、いろいろと過去の経過、 現在の状態、何が課題なのか、何が問題点なのかを徹底的にヒアリングしよう とした。しかし、全員が警戒感が露わで、全くと言っていいほど正直ベースの 会話にならない。それまで子会社の運営を託していた男性と女性の役員を営業 部屋に押しやり、京都の本社から落下傘で降りてきた素人の成岡とは、それは かなり溝があるのは当然だった。何か言えば、成岡を通じて全部京都の本社に 流される。さながら、緘口令がひかれたような戦時体制だった。 ●赴任して数日でこの事情に気が付いた。まず、打った手は京都の本社でこの 部門の担当をしていたベテランの社員Oさんを東京に呼び寄せ、成岡の横に 座ってもらった。Oさんは永年、この部署のスタッフの人たちと人間関係がで きていた。彼らもOさんだったら安心だった。Oさんは名古屋の人で、京都にい たときも単身赴任だった。東京暮らしも問題なかった。次には、永年経営を委 ねていた男性と女性のトップとの人間関係の構築だった。これは難儀だった。 まず、会食をして、酒を飲み、カラオケをすることから始めた。これしか方法 がなかった。