**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第644回配信分2016年08月29日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その42 移籍した中小企業で経験したシリーズ 〜現場との距離を短くするには毎日のコミュニケーション〜 **************************************************** <はじめに> ●販売会社子会社の代表取締役として東京に2度目の単身赴任をして数か月後 に起きた現場責任者の造反劇。非常にショックだったが、なんとかその事態を 切り抜け、無理難題の要求を突っぱね、現場をいったんは鎮静化することには 成功した。しかし、赴任間もない成岡に、現場の責任者や東京支店、名古屋支 店、大阪支店の支店長クラスが団結して条件闘争に打って出たのは、非常にダ メージが大きかった。彼らも、要求が全部通るとは思ってはいなかっただろう が、完全にゼロ回答とは予想外だったのだろう。 ●とりあえず鎮静化し、通常の日常は戻ったが現場は何となく暗かった。支店 長も従来のマネジメントとは明らかに違う様相を呈していた。さぼったり、手 を抜いているわけではないが、どうも今までと違う態度を見せている。支店長 以下の営業社員も、従来とは違う発言が目立つ。一番よくわかるのは、朝の挨 拶や朝礼での反応だ。わすか数分の接触時間だが、この造反劇以来何か異なる 雰囲気が感じられた。これは、やはりまずいと思って腹心の部下のOさんと善 後策を至急に協議した。そして、現場から優秀なTさんを成岡の側近に異動さ せることにした。 ●Tさんとは中途採用の入社以来の付き合いだった。大阪の人間で某販売会社 に勤務していたが、その当時の上司がたまたま成岡が代表取締役をしている販 売会社の大阪支店長になっていた。いつも、外部の優秀な営業マンをリクルー トすることを熱心にやっていたので、Tさんもそのうちの優秀な外部にいる営 業マンの一人だった。数か月かけて何回も面談し、会食し、気ごころを通じた 段階で当社にリクルートすることに成功した。それくらい、一生懸命口説いて きてもらった人材だった。成岡とは非常に意思疎通ができていた。 <Tさんという優秀な人材を異動> ●当時大阪支店の教育係の担当だったTさんを、大阪支店の営業現場から東京 の本部に異動してもらうことにした。まず、これを大阪支店の支店長に納得し てもらうのが大変だった。優秀な部下は、当然上司が異動に反対する。まし て、給与体系が完全能率給制度に近いので、優秀な部下を抜かれると自分の実 入りが減少する。年間の報酬総額に直すと、非常に大きい。支店長とはいえ、 個人事業主だから会社全体、いや、親会社のことなど関係ない。至極ごもっと もなのだが、ここで引いていてはことが進まない。 ●とにかく親会社の財務状態の説明から始まり、親会社が立ちいかなくなると 子会社の販売会社も崩壊するのだから、ここはひとつ我慢して成岡のわがまま を聞いてくれと、懇切丁寧に何度も頼み込んだ。不思議なもので、当初全くと りつくしまもなかった支店長が、数回の面談、数回の飲み会などの機会を通じ て、徐々に徐々に軟化し始めた。その兆候が見えてきたので、一気に勝負に出 た。Tさんを同席させて、支店長の承諾はまだなかったが、本人を目の前にし て、異動を切り出した。 ●このセッティングには相当神経をつかった。どこで話しをするか、その後ど こで会食するか。その後どうするか。当然、その場で色よい返事が即答でもら えるとは限らない。いや、即答はありえないから、翌日からのフォローするこ とも考えておかないといけない。かくて、本町近くのホテルのロビーで面談 し、その後そのホテルのレストランで会食した。その晩は、そこであっさりと 別れて、翌日から成岡の部下のOさんにフォローに走らせた。とにかく異動し てもらって、東京の本部に単身赴任で来て欲しいと。 <現場はTさんに任すことに> ●数週間の説得の時間はかかったが、ようやく本人は納得してくれた。待遇も 少しは減ることが想定されたが、目をつぶってくれた。そして、Tさん本人が 支店長を説得してくれた。かくて、10月末くらいにはTさんの東京本部異動が 決まった。成岡はすぐに都内に単身者用の住まいを確保すること、お茶の水の 本部の管理部門に受け入れる体制を整えた。本部の事務職員や、東京支店のみ んなにTさんの東京本部異動を通知、広報した。やはり、反響は大きく、その 後の業績の改善に大きく寄与してくれた。この人事はやはり正解だった。 ●次に、赴任してきたTさんとは、それこそ毎日、毎日こまめに現状の分析や 対応策に関して綿密な協議を行った。双方が単身赴任であるので、夕方以降特 段の用事がなければ、いくら遅くまで残っていたりしても、特に支障はない。 お茶の水や水道橋あたりは、学生街でもあり、飲み屋、居酒屋などは、それこ そ溢れるくらいある。ほとんど2日に1回くらいのペースで二人で飲みに行っ た。そこに、京都からときどきOさんが出張で来たときは、3人で飲んだ。個 人の飲み会だが、会社の業務の延長だ。 ●現場との距離を短くし、双方向に対話を深め、とにかく業績の向上に邁進し てもらうにはどうすればいいか。さすがに、Tさんは現場の経験が長く大阪の 支店長とも前の会社で一緒であり、ポイントはよく心得ていた。成岡が入って いけばいいところと、現場に任せればいいところ、そしてTさんが役割を担っ てくれるところをうまく切り分けて、それぞれの役割を明確にしてくれた。成 岡は特に企画や役務の提供で提携している外部の大手企業との折衝役にあたる ことになった。クレームもそこそこあり、これを鎮静化することも重要だっ た。 <子会社の業績は安定したが> ●年末には、少し早めに業務を切り上げて京都の某料理旅館に全員を集めて忘 年会を行い、泊まってもらうこととした。平日はどうしても翌日の業務のこと が気になり、あまりゆっくりできない。とりわけ、東京支店に通勤しているメ ンバーは1時間以上かけてラッシュをくぐりぬけて通勤している。通勤だけで も相当に消耗する。初めての京都の忘年会を開催し、翌日は幹部だけ京都の本 社で会議を行った。初めて京都の本社に来る人が大半であり、立派な本社ビル を見て、相当信頼感は増したはずだ。相当な費用がかかったが、効果は抜群 だった。 ●とにかく、この金のなる木の子会社の業績を安定させ、一定のキャッシュを 確保することが至上命題だった。そのために、成岡が東京に単身赴任し、子会 社の代表取締役を兼務しているのだ。何が何でも業績を安定さす。つまり、売 上の凹凸をできる限り小さくする。しかし、販売会社であるのでそうは簡単に 業績が安定するはずもない。毎月数名が退職したり、業績不振で一時休養す る。そして、数名の新人が中途採用で入ってくる。研修をして、現場の経験を 積ませて、早く戦力にしないといけない。Tさんはうってつけだった。 ●幹部社員との定期的なミーティングも、東京支店、名古屋支店、京都本社、 大阪支店と順番に持ち回りで行った。その晩はなるべく宿泊し、遅くまで飲ん で人間関係の醸成に努めた。相当なストレスのたまる毎日だったが、ようやく 業績もそこそこ落ち着きだした。人間関係も非常に良好になり、先方からのお 誘いも結構あるようになった。3年間ほどこのような良好な関係が継続し、親 会社への大きな貢献ができた。しかし、そのころ、親会社の業績はこれくらい の数字では挽回できないくらい悪化していた。あまりそのことがわからなかっ た。