**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第645回配信分2016年09月05日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その43 移籍した中小企業で経験したシリーズ 〜創業の理念と違うところに行ってしまった事業領域の拡大〜 **************************************************** <はじめに> ●会社の成長を願って、従来と異なる事業領域に進出することは、特に悪いこ とではないし、ダメなことでもない。むしろ、将来のことを考えると、逆に必 要であり必須のことなのだ。新しい事業領域に果敢にチャレンジし、未来への 可能性を切り開く。経営者に課された使命、ミッションとはそのようなものだ ろう。しかし、経営資源、経営環境などを総合的に判断し、大局観をもって判 断する必要がある。ときには、社外の意見を聞くのもよし、セカンドオピニオ ンを求めるのもよし。決して独善的で、裸の王様にならないことだ。 ●当時成岡が役員として在籍していた同族一族が経営する出版社は、ピーク時 の売上が連結子会社を合計すると100億円。従業員が300名。新町通四条上がる の京都本社に150名、水道橋とお茶の水の中間地点にあったテナントビルの1 棟借りの6フロアーに120名。子会社が名古屋支店、大阪支店とあり、そこに 30名。総勢300名の大所帯だった。代表取締役の義理の長兄以下、同族一族役 員が成岡を含め5名。外部から招へいした常勤役員が5名。役員10名と従業員 300名の所帯で100億円規模の会社だった。 ●100億円のうち成岡が代表取締役を務める子会社の販売会社の売上が10億円 あった。残りは専門書の直販ルートと一般書や雑誌の書店ルートの販売、DMな どのダイレクトセリング部門があり、それらを合計して90億円だった。子会社 が販売している商品は原価が35%くらいあり、粗利での貢献は群を抜いてい た。回収も早くキャッシュベースでは、親会社の資金繰りに大きな貢献をして いた。なので、その重要な部門を託されていた。しかし、その他の一般書や雑 誌の部門は、売上の総額は大きいが採算は非常に悪かった。 <ある書店ルートの企画の成功がきっかけ> ●どの部門も原価が相当かかったが、中でも一番の金食い虫は書店ルートの書 籍と雑誌の事業だった。なぜこの事業が金食い虫かと言うと、投資が極端に先 行して回収が非常に遅いこと、採算の取れる企画の確率が非常に悪いことだっ た。投資が先行するというのは、まず企画があって製造が先行する。編集費、 紙代、印刷費などにどんどん先におカネが要る。商品ができたら、今度は発 売、販売のための広告宣伝費、営業経費が必要になる。そして、書店の店頭に 並んでから3か月。売れ残った書籍や雑誌が返品されて返ってくる。販売数が 確定し、それから売掛金の精算が行われる。そして3か月の手形で回収する。 企画から数えると、最低約半年間かかって回収されたことになる。 ●月刊の雑誌は多少回収が早いが、それでも似たようなものだ。過去に、書店 ルートを嫌って、自らが直販の販売会社を設立し、書店ルートに依存しない強 固な販売体制を作り上げた出版社が、なぜまたそんな回収が遅くリスクの高い 一般書などという事業領域に進出したのか?。常識で考えると、まずありえな い選択肢なのだ。しかし、会社はそれを選択し、その事業領域に多額の投資を 行い、結果的に見事に失敗した。そして、その投資の失敗から、最終的には会 社を清算せざるを得なかった。100億円の売上と300名の社員を失った。 ●実は、原因はひとつの企画の成功体験から始まる。倒産、破産してから振り 返ってわかったことだ。いや、成岡が勝手に思っていることかもしれない。倒 産、破産の原因は、直接的なものと間接的なものとがある。直接的な原因は、 過去に出した書店ルートの企画が、予想外に成功したことだ。予想外というの は、当初この企画が会議に提案されたときに、ほとんど全員が反対した。なぜ かというと、過去に取り上げたことのない未経験の分野の企画だったからだ。 過去に経験のない分野への進出は、ほとんど二の足を踏む。 <次に大成功した週刊グレートアーティスト> ●しかし、当時の義兄の代表取締役は果敢にチャレンジすると宣言し、あまた の反対を押し切って投資した。社外のノウハウを持ち込み、反対が多かったに も関わらず、持ち前の粘りと頑張りで相応の結果を残した。大成功とまでは言 えなかったが、当初の想定をはるかに上回る結果が残った。さあ、こうなると 勝てば官軍になる。このプロジェクトが成功したことで、会社の知名度が一躍 書店ルートで上昇した。これはチャンスとばかりに、第二弾を間髪入れずに 放った。これが、なんとびっくりするくらいの大成功を収める。 ●実は、このプロジェクトの成功を機会に、成岡も東京支店に在籍したていた 当時、相当このプロジェクトに関わった。実際は、書店営業部のW君が実質業 務は仕切ってくれたが、大きな条件の決定や大手取次との交渉などには、相当 の時間関わった。発売前の、主要な都市での発表会、レセプション、市場調査 などには、ほとんど一緒に参加して、それなりの役割を果たした。発表会は、 札幌、仙台、新潟、東京、名古屋、大阪、福岡など主要な都市でホテルでの大 掛かりなイベントだった。この時期全国を駆け巡った。 ●この大成功した企画は「週刊グレートアーティスト」。世界中の有名な画家 100名をピックアップし、毎号1人の画家を取り上げる。その生い立ちから始 まり、人生を解説し、作品を紹介する。1冊500円。毎週、毎週発売され、100 冊集めると、美術の立派なコレクションになる。たいそうな美術全集ではない が、それは応接間に飾っておけばいい。この企画は、丸めてハンドバックに入 れて持ち歩く雑誌だ。特に女性を意識した装丁、価格など、しかけどころが満 載の週刊分冊百科だった。これが大成功を収める。そこで、判断を間違った。 <海外からの版権の輸入を乱発する> ●2年間にわたり累計で膨大な数の販売を達成し、大きな貢献したこの企画。 当時、東京支店の責任者もしていて、この企画には深く関わっていた。成功を 収めたので、京都に全国の主要な書店のトップの方をご招待し、当時のグラン ドホテルで感謝の夕べを開催した。全国から100名以上の多くの書店の社長に お越しいただき、大宴会を行った。先斗町から、きれいどころの舞妓さん、芸 子さんを多数来てもらった。翌日は4グループに分かれて京都市内などを観光 ツアー。成岡は保津峡下りグループを担当した。 ●これにかかった費用は総額で1,000万円をくだらないだろう。それくらいの 費用が使えるくらい、収益面での功績は大きかった。さあ、これで全国の書店 網に自社の名前が知れ渡った。ここをチャンスとばかりに、次々と売れる企画 が出れば、いくら先行投資に莫大なおカネがかかる書店ルートの事業でも、そ うは赤字にはならないはずだ。しかし、残念ながら当時の編集企画部門にその ようなヒット企画を連発できるメンバーはほとんど残っていなかった。編集企 画部門の企画力は、貧弱だった。 ●そこで義兄の代表取締役が考えたのが、海外から売れそうな、ヒットしそう な企画を買ってくることだった。買ってくるとは表現が悪いが、海外の出版社 が持つ版権を一定の金額で契約し、日本国内での出版権を獲得することだ。こ の週刊分冊百科の成功以降、うなぎ上りに海外からの版権の獲得が急増する。 当然、ロイヤリティーは先行して発生する。しかも、必ずしも日本国内で売れ るとは限らない。この海外からの版権の輸入と粗製乱造になった書店ルートの 企画乱発が、のちの崩壊への入り口となるとは、当時の誰もが考えなかった。