**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第646回配信分2016年09月12日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その44 移籍した中小企業で経験したシリーズ 〜人材がいないまま突っ走った新分野への進出が命取り〜 **************************************************** <はじめに> ●「週刊グレートアーティスト」という前代未聞の週刊分冊百科の大ヒット は、会社の事業に大きなインパクトを与えた。まずもって、会社の認知度、知 名度がダントツに上がった。全国の主要な書店の社長や店主100名を京都に招 待し、「大ヒットの感謝の夕べ」なる大イベントを開催した。10,000千円以上 の経費がかかったと記憶しているが、そんな費用は安いものだった。これが自 社の実力と勘違いし、次なる大型企画の準備に奔走した。大ヒットした「週刊 グレートアーティスト」なる企画の元は、既にヨーロッパで発行されたもの だった。 ●相当以前に外国で発行され、それなりに成功を収めた企画を、日本で発行す るために新しく日本版として相当改訂した。文章を修正し、図版を取り換え、 日本の読者に理解できるように時代背景や歴史考証などに手をかけた。静岡県 でテスト販売し、一定の手ごたえを感じていたので、そこそこヒットするだろ うとの予感はあったが、これほどの大ヒットになるとは想像できなかった。当 時、梅田の紀伊国屋書店で、1時間で120冊売れたという信じられないような 記録が残っている。それくらい、爆発的に大ヒットした。 ●これほどの予期せぬ成功を収めると、これが実力と勘違いしてしまう。結果 に舞い上がり、冷静さを失う。新卒採用で募集をすると、過去にないくらいの たくさんの応募者が殺到する。業界の話題にもなり、関係者はいろいろなとこ ろに引っ張り出される。天狗になり、過信が起こり、冷静さを失う。足下を見 誤り、妙なプライドを持つようになる。会社全体が、何やら浮ついたようにな る。まさに、そんな環境に一気に突入した。特に、この事業の中心だった東京 支店は、出版業界のおひざ元でもあり、一躍話題の中心になった。 <大ヒットをフォローできる人材がいない> ●そうなると、どういうことが起こるか。まず、それまでと全く関係のなかっ た、付き合いのなかった業界、団体、企業の方々からのいろいろなアプローチ が始まる。金融機関、企画会社、広告代理店、翻訳会社、印刷会社、などなど ・・・。今までは、京都の小さな出版社で、それなりにいい専門書を主に出し ていた知名度の低かったローカルな企業が、たったひとつの企画の大ヒットで 一躍時代の寵児のような扱いを受ける。外部からの取材は増え、接待を受ける 機会は増加し、会社の中でする会話も違ってくる。妙な過信が蔓延する。 ●この機を千載一遇のチャンスととらえた経営陣、特にこの大ヒット企画を成 功させた代表取締役の義兄は、ここで大きな勝負に出る。折角、全国の2万軒 ある書店に、あまねく知れ渡った会社のブランドを、ここで一気に高めないと いけない。折角、キープできた自社の棚をなんとか早く次の企画で満杯にしな いといけないと。その戦略は間違ってはいないが、しかし、次なる企画の「タ マ」がない。こんな大ヒットになると思ってもみなかったので、書籍の編集企 画部門の連中は、従前のようなスピードで仕事をしている。 ●当時の編集部門には相当数の社員が張り付いていたが、まだほとんどが若 く、経験も乏しい。編集という作業は一定程度できても、企画を考えるとなる と、これはまた別問題。作業はできるが、提案はできない。この原因は、数年 前に当時の企画編集部門の責任者であった役員が、数名の幹部を引き連れて脱 藩したからだ。クーデターではなかったが、社長に反旗を翻し、退社し外部に 競合する別会社を立ち上げた。その影響がやはり大きく、若手を教育する人材 がいない。教育訓練が行き届いていないので、次の企画が出てこない。 <お手軽な海外の翻訳ものに走る> ●新しい書籍が世に出るには、最低でも半年、長ければ1年以上かかる。書籍 は雑誌ではないので、全部の原稿がそろって、始めて本になる。雑誌のよう に、毎号毎号書き足していくものではない。相当な分量の原稿がそろって、始 めて書籍の形をなす。どのような読者に、どのようなコンセプトの、どのよう な価格で、どのように届けるのかを企画するのが、本来編集部のミッションな のだ。しかし、残念ながら当時そのような能力のある社員は、ほとんどいな かった。要するに、優秀な人材がいなかった。これは致命的だった。 ●しからば、他のもので代替するしかない。つまり、手っ取り早く外部から企 画を「買ってくる」しかない。そう考えた義兄の代表取締役は、足しげく海外 の展示会に出かけるようになった。特に、毎年秋にドイツのフランクフルトで 開かれる「ブックフェア」という世界最大の展示会には、毎年欠かさず出向い た。そこで、出品されている企画を仕入れに出向く。日本で出版する際の条件 を交渉する。まとまれば、契約書にサインして、一定の金額を前払い(アドバ ンス)として支払う。これには、翻訳会社などの社長が通訳し、世話をする。 ●少し大きな企画になると、数百万円のアドバンスが必要となる。まだ、海の ものとも山のものともわからない、まして日本でどれくらい売れるかわからな い、いやその前に本当に日本で出版できるかわからない、そしていつ出せるか わからない、そんなリスクの高い企画に、何百万も先行投資することになる。 まして、その企画のオファーが他社と競合すると、入札になる。落札するには 他社より高い金額を提示することが必要だ。日本へ戻って会議で決めるなどと いう時間的な余裕はない。しかも、初めて見た本人は、何やら興奮しているこ とが多い。 <資金繰りがバブル崩壊で破綻する> ●悲しいかな、日本で自社の企画をじっくり考えて、人材を育てながら、投資 をしていくという姿勢はなかった。週刊分冊百科の大ヒットというプラスの遺 産が、いつしか形を変えて重たい遺産として残った。はっきり言って、当時相 当な焦りがあった。早く、次の売れる企画を出さないといけない。しかし、社 内に人材は育っておらず、いつのことになるかわからない。そこで、外部から 企画を買ってくるという、「お手軽な」戦略が正しいように思えることにな る。誰も、それが間違っていると思わなかった。かくて、以降、海外翻訳物の オンパレードになってしまう。 ●編集部門のスタッフの仕事は、企画を考えるのではなく、作業の進行管理を することに変質した。企画編集部門の役員のクーデターから始まり、週刊分冊 百科の大ヒット、そしてその結果海外からの翻訳ものを多く手掛ける一般書を 中心とする事業モデルに転換することになる。さあ、そうなると莫大な資金が 先行的に必要となる。とき、既にバブルが崩壊し、日本経済はジェットコース ターのように激しい下降曲線に入っていた。書籍や雑誌は、不要不急のものな ので、経済全体が停滞すると、途端に業績に大きな影響を与える。 ●日本の読者のティストに合わない企画は、いくら小手先で直しても企画の本 質は変わらない。しかし、中には面白いアイデアなので、いくぶん中ヒットし た企画はあった。しかし、それも長くは続かない。一時期、年間に100点以上 の新刊書を上梓した年度もあった。やたら資金繰りが忙しくなり、金融機関か らの運転資金の調達金額も半端ではない。バブル以前ならノーマークで貸して くれた金融機関が、バブル崩壊と共に一斉に融資を引き揚げにかかった。大量 の新卒採用、本社ビルの購入、新企画への投資。一気に奈落の底へ突っ込みだ した。