**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第648回配信分2016年09月26日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その46 移籍した中小企業で経験したシリーズ 〜事態が切迫するまで本当のことはほとんど知らされなかった〜 **************************************************** <はじめに> ●先週号では、あとになってみれば本当にバカげた倉庫への設備投資の反省を 書いた。400坪の城南宮倉庫の土地、建物、中のラックと自動搬送装置などに 数億円はかけただろう。全額金融機関からの借り入れだったはずだ。どう考え ても回収計画が立たない設備投資がどうして決まったのか。いま振り返っても 明確な記憶がない。当時の売上が50億円くらいだろうか。借入も同額くらいは あったはずだ。しかし、時代はバブルの真っ只中。金融機関はこぞって融資を してくれた。借りて不動産を持つことが常識だった。 ●おそらく役員会や幹部会議で決まった案件ではない。初めから投資ありきの 案件だった。資金調達は非常に簡単であり、某地銀から出向していた財務担当 の常務取締役が案件を仕切って進めた。そして間もなく400坪の城南宮倉庫も 満杯になった。さすがにこれには慌てたが、やはり同様に滋賀県の竜王町に 1000坪の無人倉庫を建てることになった。いくら竜王町とはいえ、1000坪の倉 庫なので、これも数億円かかったはずだ。調達が増え、固定資産が激増した。 そして、そこに格納した在庫の金額も半端ではない。 ●どんどん総資産の金額が増えていく。みんな売上と利益に目が行って、資産 や負債がどう増加したのか、ほとんど議論がなかった。いったい、役員会や幹 部会議、部長会議などの意思決定の会議では何をしていたのだろうか。いま振 り返っても、恥ずかしいくらい思い出せない。しばらく、子会社の代表取締役 をして東京に単身赴任していたときは、たまにしか京都本社に戻らないから、 戻ってきて会議に出ても本社の動向は、なかなかつかめない。成岡の持ち分の 時間は子会社の業績の報告に終始し、他の部門の議題はよくわからない。 <財務担当役員が交代して初めて実態がわかった> ●それでも同族一族の株主役員だから、決定事項に責任はある。不明な点は、 会議が終わってから担当の幹部に説明を聞きに行ったりした。しかし、一時期 まで財務内容に関しては、ほとんど説明もなかったし、明確な方針の討議もな かった。当時の成岡は、まだ決算書の中身もよく理解できていない段階だ。相 手の地銀出身の常務取締役と、役員会で対等に渡り合える知識も経験も、技量 も度胸もなかった。かくて、おカネに関することは、ブラックボックスのよう に、薮の中だった。結局、これが命取りになった。 ●当時、従業員は300名近くになっていた。売上も80億以上はあったはずだ。 借入金も同額くらいはあった。当然資金繰りは火の車だし、支払手形も切って いたから、非常に慌ただしかったはずだ。しかし、本当の実態はなかなか関係 者以外には公表されなかった。相当深刻な状態だとは想像できたが、実態が明 らかになったのは、相当あとだ。財務担当の地銀からの出向の常務取締役が地 銀に戻り、別の人が赴任してから明らかになった。それから、俄然緊迫してき た。新任の財務担当役員に言わすと、瀕死の状態だった。 ●どうしてそこまで資金的に追い詰められたのか。原因は何か、対策はあるの か。そんな悠長な議論をしている時間はなかった。役員会の開催は見送られ、 幹部会議の開催も不定期になった。とにかく、金融機関に提出する当面の資金 繰りの資料を作ることが、焦眉の仕事だった。それも、取引金融機関が、メガ バンク、地銀、信金、公的金融機関をいれて10行くらいあり、それぞれに説明 していることが少しずつ異なる。なので、少しずつ異なる資料を作成する必要 がある。成岡も途中から作業チームに加わったが、とにかくストレスがたまっ た。 <新刊雑誌の創刊も失敗> ●会議は定期的に開かれないが、いつなんどきお呼びがかかるかわからない。 会社に行ってデスクで仕事をしていても、全然落ち着かない。突然の社長室へ の呼び出しもしょっちゅうで、忙しいのかよくわからない。しかし、目先のお カネのことを処理しないと、次に進めない。この頃から、同族一族役員への役 員報酬の遅配が始まった。一族以外の社外から来てもらった役員さんには、さ すがに遅配は最後までしなかったが、我々同族の数名には遅配が日常茶飯事に なった。初めは相当ショックだったが、慣れると意外と平気だった。 ●緊急の案件や用事が起こると、3階の社長室に関係者が緊急に招集され、戦 時中の秘密会議のような様相を呈していた。その緊迫の時間が終わり、2階の 執務デスクに戻ると、部下の部長や幹部が内容を聞きに来る。全くの嘘も言え ないし、かといって全くの真実を語るのも難しい。適当に誤魔化すが、内容に よってはすぐに対応しないといけないこともある。とにかく、細かい説明はあ とだ、とりあえずこれこれをすぐにやらないといけないと、説明もなく業務を オーダーする。当時の部下のメンバーは黙って、よくやってくれた。感謝して いる。 ●この時期になると、何をやってもうまくいかない。最後の数年間に、月刊誌 の創刊を担当さてもらったことがあった。西ドイツで発行されていた老舗の人 文科学系の雑誌を日本で翻訳出版するプロジェクトだ。そのため、先方の本社 と担当部署のあった西ドイツのハンブルグに1か月間出張したこともあった。 残念ながら、3年間ほど継続したが、さしたる成果を出せないまま、休刊に追 い込まれた。休刊だが、事実上の廃刊だ。おそらくこれに数億円の損失が発生 していたはずだ。なので、成岡も戦犯の一人ではある。 <焦りと覚悟が錯綜した> ●誰が、どう悪かったなど反省している時間もないくらい、事態は切迫してき た。新任の財務担当役員が、とうとう関係幹部を集めて、法的処理の準備を指 示した。法的処理とは、民事再生、会社更生などの法的な処理を裁判所に申請 することだ。このとき、恥ずかしながら初めて法的処理という言葉を知った。 財務担当の役員は金融機関出身だから、特に我々には説明しなかった。なんと なく、大変な事態に突入するという雰囲気は、さすがに感じた。すぐに四条通 りの大型書店に走って、関係の書籍を数冊買ってきた。 ●それくらい、ことに関して無知だった。一生懸命、目先目先のことをやって きたつもりだったが、何がどう足りなかったのか。そんな反省や振り返りをす る暇もなく、次の破綻処理の業務に巻き込まれることになった。帰宅して、ぽ つんと会社が潰れるかもしれないと申し渡した。自宅も担保に入っていた。連 帯保証はしていなかたが、数億円の公的機関からの借り入れの部分保証はして いた。だから、破たんしたら膨大な借金の保証は残るし、自宅は競売にかかる ことになる。さあ、えらいことになったという焦りと、なんとかしないといけ ないという覚悟とが錯綜した。 ●翌日から、破綻処理のプロジェクトチームのメンバーは3階の会議室に設け られた臨時の特別室と通常のデスクを行ったり来たりする毎日になった。ま だ、破綻申請をするという最終決定は決まっていなかったが、手形が落ちない とか最悪の事態がいつ起こるともわからない状態なので、準備だけはしておく 必要がある。当時会社の顧問弁護士は、大阪の弁護士だったが、この弁護士は 企業のこういう案件には不案内だった。なので、財務担当役員の知己の京都の 某弁護士に依頼することになった。ことが、最終幕に向けてゆっくり動き出し た。