**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第650回配信分2016年10月10日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その48 移籍した中小企業で経験したシリーズ 〜「マドンナ」の写真集で乾坤一擲の大勝負に出る〜 **************************************************** <はじめに> ●いよいよ雲行きが怪しくなって、いつ何時どうなるか分からない状態になっ てきた。当然、社内の空気、雰囲気はとげとげしくなり、会議もあまり開かれ ない。経理の部屋は戒厳令のような状態になり、財務担当の役員は3階の会議 室に設置された対策室に缶詰状態だ。こういう状態の少し前に、会計事務所が 変更になった。それまでは、神戸市の会計事務所が担当していたが、理由は不 明だが別の税理士事務所に変更になった。こういう案件も、経過は我々にはほ とんど知らされなかった。結果だけが通知された。恐らく、会社の要望をなか なか聞き入れなかったからだろう。 ●経理部門の役員や担当者、会計事務所、税理士事務所が変わることは、あま りいいことではない。特に中小企業では、会社の経理財務を担当する部署は、 社内の些細なことや機微なことも、全部わかる部署なのだ。ここの担当者は、 相当社長の信頼が厚い人物でないといけない。また、逆に社長に毅然とものを 言える胆力がないと務まらない。会社のお金を社長だからといって勝手に好き なように使ってもらっては困る。異常な接待交際費の申請が出てきたら、たと えオーナーであっても、言うときは言ってもらわないと困る。税理士もそう だ。 ●しかし、なかなか面と向かってものを言うのは勇気が要る。あまりストレー トにものを言うと煙たがられて、そのうちにお払い箱になる可能性もある。こ のケースが恐らくそうだったのだろう。詳細は承知していないが、どうも代表 者とぶつかって、クビになった可能性が高い。要するに、社長の言うとおりに してくれないと困るんだという理由から、変更を余儀なくされたのだろう。こ れを境に、ますます金融機関や外部に対し、粉飾的な決算書、試算表が作成さ れることになる。誤魔化しが誤魔化しを招き、嘘が嘘を上塗りし、際限のない 泥沼状態に突入した。 <マドンナの写真集で最後の勝負> ●しかし、ここで乾坤一擲の大勝負に出た。海外の某出版社が上梓した「マド ンナ」の写真集企画を出版することになった。昭和47年に創業設立された学術 書、専門書の硬い書籍を生業にしていた出版社が、こともあろうに「マドン ナ」の一部裸に近いヌード写真集を出版することになった。この企画は、日本 の大手出版社と競合し、どんどん版権の値段が吊り上ったと聞いている。入札 だったので、相手の大手出版社も、当時出せば売れることは分かっていたか ら、どんどん値段をアップしてきた。それと、おそらく初版の最低限の部数が 増えたのだろう。 ●当時の代表者は、最後の勝負をこれに賭けた。社運を賭けた選択だった。も う後がない、究極の勝負だった。会社の米櫃は底を尽き、もう日常の兵糧もな かった。しかし、最後の勝負に賭けたので、当時あった運転資金のほとんどを 突っ込んだ。確かに話題になり、出版する前から評判の企画だった。京都の専 門書の地味な出版社が、「マドンナ」の写真集を出すという。このちぐはぐさ が逆に話題になり、このアンバランスが評価されて、上梓する前から非常に世 間で話題になった。そして、出版して初版は大いに評判になった。 ●大手の書店では品切れの情報もあり、世間でも大きな話題になった。マスコ ミにも取り上げられ、新聞にも大きく報道された。評判が評判を呼び、初版の 部数は一定の時間内に相当数売れた。しかし、当時どの店舗でどれくらいの部 数が販売されたかは、確かな数字は分からない。問屋になる取次という機構を 通じて追加の発注があるか、ないか。それくらいしか、確たる情報は得られな い。現代なら、情報化が進み、圧倒的な情報量でほとんどリアルタイムに販売 実績が掌握できる。しかし、当時はほとんど手さぐり状態だった。 <増刷が裏目に出る> ●かくて、出版社に入ってくる情報は微々たるものだった。この書店で品切れ という情報は比較的早く入るが、この書店で余っているという情報は入らな い。かくて、一部の情報に基づいて初版がなくなったと想定し、追加の増刷を 決定した。お分かりと思うが、初版の販売数に見合った売り上げのお金の精算 は3か月くらい先になる。その前に、増刷を決断し、資金の目途を立てておか ないといけない。ほとんど、確たる客観的な数字のデータではなく、経験とカ ンに頼った判断になる。しかし、これは当時あまり責められなかった。 ●まずかったのは、この企画の出版が極めて資金的な余裕のない、ほぼ切羽詰 まった状態での上梓だったということだ。そこそこ、資金の余裕がある時期な ら、初版を出してからしばらく事態を静観できたはずだ。しかし、最後の乾坤 一擲の大勝負に賭けていた我々としては、この「マドンナ」の写真集が、困窮 した会社の救世主になって欲しかった。いや、欲しかったというより、そうな らなければあとは墓場に行くしかない。それくらい切羽詰まった状態だったの で、時間をかける余裕がなかった。かくて、相当数の増刷が決定された。お金 の目途は立っていなかった。 ●しかし、この賭けは裏目に出る。全国各地の書店で、すべてが完売していた わけではない。大書店では品切れを起こしたが、地方の中小書店では余剰に なっていた可能性が高い。返品は3か月ほど経過してからどっと返ってくる。 それを待たずに増刷の決定をせざるを得なかった。資金の目途も立たないま ま、増刷に踏み切り全国の書店に流れた。勝負は明白だった。初版だけなら、 救世主にはならなかったが、何らかの利益をもたらした企画が、逆に増刷を裏 目に足を引っ張った。京都の倉庫に後日相当数の返品が戻ってきた。 <最後の勝負に負けてご臨終を迎える> ●あの乾坤一擲大勝負を賭けた企画「マドンナ」の写真集が4トントラックに 積まれて京都の倉庫に返品で戻ってきた。これを確認に城南宮の倉庫に出向い たときの記憶は、いまだに忘れられない。本当に涙が出るくらい悔しかった。 いよいよ、これで最後の時が来るんだという、気持ちを強くした。この企画に 関しては、京都の学術書専門書を出してきた出版社が、売れるだろうからと 言って、「マドンナ」のヌード写真集(全部そうではないが)を出版するとい うのは、いかがなものか?という反対意見は当然あった。 ●しかし、会社の財務状況はそんな正論を抹殺するくらい逼迫していた。今日 のお米を買うおカネにも困窮していた。給料の遅配だけは何とか避けようと必 死だった。当然支払手形は大量に切っている。手形と給与、仕入れと外注先へ の支払いに何とか首の皮一枚という綱渡りを毎月繰り返していた。気分的には 早晩最後のときを迎えるだろうことは明白だった。一族役員と経理財務の担当 者は、それなりの覚悟はしていた。しかし、最後の最後で何とか生き残れない かと模索していた。やはり、ご臨終はいやだった。 ●成岡個人で言えば、会社の株式を購入する際に会社から借金をしていた。自 宅も担保に入っていた。中小公庫からの借入の保証もしていた。そこそこの金 額の役員報酬ももらっていた。収入はなくなり、負債は全部残る。自宅も取ら れるかもしれない。最低、競売にはかかるだろう。収入がなくなり、自宅を失 う恐怖も感じたが、それより毎日を越えるのが必死だった。仕事をしていると いう実感より、なんとか毎日をしのいでいるというのが、真実だった。そし て、いよいよ最後のXデーが近付いてきたようだ。なんとなく感じるものが あった。