**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第652回配信分2016年10月24日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その50 移籍した中小企業で経験したシリーズ 〜どうして会社がおかしくなったのか:総括編その1〜 **************************************************** <はじめに> ●実際のところは、最終的には「特別清算」という形をとり、残す会社を別に 創設し、そちらに生きている資産を移して存続させ、残った方を特別清算とい う形で最終的には破たん処理を行った。先週号でも書いたが、子細は関係者が まだ在籍中でもあり、いろいろなところにそれなりの影響が出るので、あまり リアルなことは描けないので、ご容赦いただきたい。実際に、成岡が13年前に 起業して、ある方にお目にかかったら、その方が某メガバンクに過去在籍して いて、この破産処理の担当をされたという。京都は狭いので、いろいろとやや こしい。 ●過去のメールマガジンで、いろいろな出来事を書いたが、今回は振り返っ て、本当の破綻の原因は何だったかを検証することにする。いろいろ考えられ るが、一番大きな原因は、やはり資産のない出版社という業態の企業が、こと もあろうに15億円の本社ビルを全額借入で購入したことだったのだろう。とき バブルの絶頂期で、金融機関がどんどんおカネを貸してくれたことをいいこと に、あまり厳密な検証もなく、採算を考えずに不動産に投資をした。とき、バ ブルがはじける直前だった。当時、借入が相当あったが、結局数年で手放し た。 ●考えてみれば、業態からして会社にお客さんが、消費者がものを買いに来る ビジネスではない。確かに、最終のお客さんは一般読者だが、当時はほとんど の書籍や雑誌は一般書店で売られている。なにも、よりによって京都の下京区 の町のど真ん中の会社に、わざわざ本や雑誌を買いに来ることはありえない。 要するに、見てくれ、見かけの問題であって、格好をよく見せたいだけだった のだ。確かに、数か所に事務所が分散し、情報の共有や会議などがやりにく かった面は否定できないが、それが最大の理由でもない。 <役員会でのまともな議論がない> ●結局のところ、資産が膨らんだと同時に右側の借入=負債も膨らみ、全体の 体重がどっと重たくなった。体重が増えたので、走るスピードは遅くなり、長 い距離を走るのが辛くなった。私募債だったから、当初の5年間は据え置き だったと記憶しているが、その5年間を待たずして、とても私募債の返済がで きるような状態ではなくなった。結局のところ、数年で撤退し、賃貸物件で貸 し出すことになった。行って戻った移転の費用だけで数千万円という膨大な出 費になり、これも結果的には痛かった。 ●表面上は新社屋の購入による借入金の急増というのが、見た目の現象だが、 これが起こった原因は役員会の機能不全による。とにかく、形式的に会議なる ものは開催されたり、あったことは事実だが、ほとんどそこでまともに経営上 の重要な課題が真剣に議論されることはなかった。我々経営陣がさぼっていた ということではない。会議で議論する以前に、結論が出ていた、決まっていた 議題が多かった。この新社屋の購入案件も、そうだった。会議は承認を形式的 に得る場にしか過ぎなかった。議論の余地はなかった。 ●これも原因を考えれば、我々経営陣の能力のなさが大きな要因だ。当時の経 営陣は、一族同族で5名、外部から招へいした常勤役員で5名くらい。合計10 名の取締役の構成だった。外部から招へいした役員は、それぞれ事業部門の責 任者であったり、経理などの担当部門を受け持っていた。しかし、何といって も一族同族の役員ですべての株式を保有し、借入金の保証も行い、個人資産を 担保で提供している。外部からの招へい役員は、さすがにそこまではしない。 また、従業員役員のような身分の方もいる。 <経験とカンでの運営> ●ほとんどの同族一族が経営している中小企業なら同じだろうが、最終の経営 責任を負うのはこの同族一族役員なのだ。当然、役付きの役員であり、雇用保 険はかけられない。それこそ、命がけで会社の経営責任を一身に背負ってい る。当然、覚悟も違うし、気合の入れ方も半端ではない。その経営責任を一身 に背負っているはずの同族一族役員だが、ほとんど経営のきちんとした勉強は したことがない。いや、勉強をしなくても経営はできるだろうが、基本を知ら ない。成岡も、この企業に転身するまで、決算書というものを見たことがな い。 ●さすがに、転籍の1か月前くらいに、3期分の決算書は届けてもらったが、 数字が並んでいる表みたいなもので、全く数字の意味が分からない。当時、転 籍し入社したら、誰かが教えてくれるだろうと思っていたが、それは甘かっ た。みんな、それぞれになぜか忙しく、自分の担当している業務をこなすのに 必死だった。中途採用の一族役員にレクチャーをしてくれる人など、存在しな かった。結局、数字の意味を理解したのは、倒産し破産してから後のことだっ た。なんとも恥ずかしい限りだが、現実はそうだった。 ●つまり、よく言う「経験とカン」で経営していたようなものだ。それでも、 高度成長時代には何とかなった。馬なりで経営していても、社会全体のパイが 広く大きくなっていった。毎年右肩上がりで会社の業績は伸び、年々10〜15% くらいという、今では信じられないような成長曲線を描いた。給料もどんどん あがり、とにかく忙しい。ゆっくり勉強している時間などなかった。まして、 現在のようなビジネススクールや社会人大学院などという洒落た勉強する場所 もなかった。言い訳のように聞こえるが、それが現実だった。 <経営陣のマネジメント能力欠如> ●そこに降って湧いたように業績の低迷が始まった。いろいろな施策を検討は したが、どれも中途半端で起死回生には至らなかった。こうなると、もろに経 営陣のレベルの低さが露呈する。右往左往するだけで、まともに事業計画、経 営計画、改善計画などを考える人もいない。経理部門は資金繰りに追われ、た まった在庫を何とか売らないといけない営業部門は、とにかく数字を達成する だけに集中せざるを得ない。資金繰りに走り回り、とても落ち着いてこの行き 詰った経営状態を打開する妙案を議論する余地もない。 ●意外に思われるかもしれないが、同族一族の役員がさっと集まって集中的に 議論して、会社の方向性を決めていくというのが普通だと思われるだろうが、 現実はそうではなかった。同じ会社にいるのだから、意思疎通が図られ、情報 の共有もされていると想像するだろうが、そんなことはほとんどなかった。ま ず、全員が一堂に会する機会がほとんどない。毎月1回の定例の会議しかな い。東京と京都に分散していたということもあるが、出張も多く、なかなかき ちんと構えて議論することができない。 ●言い訳のように聞こえるが、それを改善改革するという意見も出てこない。 かくて、本当に重要な経営課題が置き去りにされ、なかばどうでもいいことに 時間をかけて話し合いをしている。本当にレベルの低い役員であり、役員会 だった。これが300名100億円を築いた企業なのかと、唖然とされるかもしれな いが、真実の姿だ。成岡がこのことに気づいたのは、倒産破産してから後のこ とだ。もう少し早く気が付いて、意識が高まり、本当の経営とは何たるかを少 しでも勉強していれば、事態は全くとは言わないが、少しは変わっていただろ う。痛恨の極みだ。