**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第654回配信分2016年11月07日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その52 移籍した中小企業で経験したシリーズ 〜どうして会社がおかしくなったのか:総括編その3〜 **************************************************** <はじめに> ●昭和59年に転職したときに40名程度だった会社が、あれよあれよという間 に、300名になった。京都本社150名、東京支社150名。もちろん、直系の販売 子会社も入れてのことだが、やはり300名になると組織も中途半端では済まさ れない。この300名になったのは、実は昭和61年以降新卒採用を毎年実施した ことが大きい。成岡が転職した昭和59年の新卒社員は、補充的に数名程度だっ た。これなら、分相応に教育もできるし、細かく研修も可能だ。受け入れる部 署にも、そう負担はかからない。しかし、30名くらいになると、ことはそう簡 単ではない。 ●以前のメールマガジンにも書いたが、昭和61年から新大型企画専門書のプロ ジェクトが始まり、特に販売面、営業面で相当数の人員が必要だった。当然、 そんなことは以前からわかってはいたが、当初この大型企画の販売に関し、社 内で意見が分かれた。従来通り、外部の代理店に任す方法。子会社の中途採用 がほとんどの販売子会社に委託する方法。全国の医学書の専門書店に流す方 法。いろいろと議論があったと思うが、最後の意思決定の場には成岡は参加し ていない。しかし、下ったご宣託は全員新卒社員でやる、ということだった。 ●また、そのプロジェクトの責任者に指名された。5億円をかけた大プロジェ クト。販売部門は25名から30名くらいを想定し、6チーム編成で30名がコンス タントに一人10セットを毎月販売して、月間300セット。初版5,000セットだか ら約2年弱で初版を売り切るというのが、おおよその事業計画だった。中身が 医学書なので、当然賞味期限が短い。早く初版を売って、すぐに次の増刷にか かれるようにしないといけない。陳腐化した専門書は在庫になる可能性が高 い。そうなると、資金が寝てしまう。そんな余裕は、ない。 <マネジャーを育てないまま大量の新卒社員を受け入れた> ●昭和61年から積極的な新卒採用が始まり、その年30名、翌年25名、また20名 と順番に人数は多少減少したが、数年間大量の新卒採用が行われた。その採用 面接にはほとんど立ち会ったが、相当優秀な新入社員が入社してくれた。これ が、平成8年くらいに会社が破綻したときには、半分も在職していなかった。 どうしてか。受け入れる体制が整わないまま、毎年相当数の新卒採用を続けて いた。受け入れ態勢とは、受け入れる側の教育、研修、評価制度、人事マネジ メント、労務制度など、企業の人事組織に関わる体制だ。 ●まず、最初人事部的な部署もなかった。まだ100名にも満たない組織だった し、子会社の販売会社にも相当数の人数が在籍していた。本当のプロパーの社 員は50名くらいだったか。東京に10名、京都本社に30名。その他、各地の支店 に数名ずつ。京都本社の30名くらいなら、学校の教室に収まるくらいの人数 だ。毎朝顔を合わし、日常生活の微妙な変化も掌握できる。家庭の事情も考慮 できるし、中途採用も可能だ。ここに、どっと30名くらいの新卒採用が行われ た。当然受け入れる体制ができていない。 ●入社後の集合教育は1か所でなんとかカバーできるが、配属先に散ったあと は、配属先のマネジャー、責任者に委ねるしかない。その受け入れ側のマネ ジャーが、まだ中途採用で数年くらいの在籍実績しかない。彼らも、まだ戸惑 いの中で暗中模索の段階だ。そこに大量の新入社員が配属される。当然、手本 になるべき大卒の生え抜きの社員がいない。管理職は全員中途採用で、新卒社 員を受け持ったことがない。いろいろな質問が出ても、答えられない。管理職 により返事が異なる。部署により、規範が異なる。当然、部署により違いが出 る。 <一夜漬けの組織では成り立たない> ●きちんとした評価制度も、何もない。就業規則は、あることにはあったが、 必ずしも管理職に徹底、浸透しているはずもない。特に、部門が異なると全然 管理職により解釈が異なる。管理部門、営業部門、編集部門など、部門の特性 が強い会社だったので、いろいろな部署に配属された同期の新入社員が集まる と、当然その違いが顕在化する。日頃、我々は何も気にしないことが、彼らに してみれば一大事だ。例えば、有給休暇の扱い、就業時間、休日出勤の扱い、 賞与の評価など、言い出せばきりがない。 ●我々は当然だと思うことが、彼ら彼女達にしてみれば、非常に重大なこと だ。始業時刻ひとつとっても、管理職で解釈が異なる。そうなると、配属先に よって不公平が目立つ。新入社員は、人一倍権利意識が強いから、特に時間や 休日休暇に関しては、神経質だ。少々のことには目をつぶれ、などと言うもの なら、大騒動になる。それくらい、少々インテリ風で理屈に長けた新入社員も 多かった。いつも、管理職の誰かがトラブルメーカーになり、我々はその火消 しに奔走した。そもそもの、学卒新卒を大量に入れたことが間違っていたの か。 ●結論的には、受け入れ態勢が全くと言っていいほど、完成度が低かった。成 熟度が低かった。管理職に、その経験がなかった。ほとんどが中途採用で、共 通のビジョンや理念を共有していないから、ちぐはぐこの上ない。組織文化も 未成熟で、格好良く言えば発展途上国なので、そういうマネジメント系には、 代表者のマインドの影響もあり、非常にお粗末だった。あとで振り返り、これ では入れた新入社員が育つわけがないと、妙に納得したときがある。ことほど 左様に、人を育てるとは難しい。それに気が付いたときは、遅かった。 <育てられなかったのは経営陣の責任> ●入社した大量の新入社員の教育も受け持った。当初の配属先が、ほとんど営 業販売部門だったので、編集部門や管理部門への配属を希望していた新入社員 から、いろいろな質問が出る。ベテランの我々なら、会社という組織は個人の 希望などをそれぞれ聞いていたら、成り立たないことは百も承知。しかし、社 会人経験がない、白紙の新入社員にしてみれば、頼りになる先輩社員もいな い。かくて、3週間、3か月、3年という区切りのいいタイミングで自然と退 職を申し出る者が出てくる。なんとか必死で説得を試みるが、手遅れだ。 ●そんな消耗戦を繰り返しているうちに、会社の資金繰りが立ちいかなくな り、挙句の果てに倒産の憂き目に遭遇することになる。10歳違いの義理の兄の 期待に応えようと、必死になって頑張ったつもりだったが、頑張れば頑張るほ ど結果はよくない。途中で、一度立ち止まり冷静に考えるだけの時間的な余裕 もなかった。とにかく、目先目先の対応が迫られていて、中長期の人材戦略を 立てる時間がない。重大なことより、足元の課題をこなすのが、精一杯だっ た。かくて、新入社員の立場に立って考える時間もない。 ●結果的に、この毎年の大量の学卒新入社員の採用も、破綻の原因のひとつ だ。特に、受け入れる組織に手本もなかったし、何より受け入れる組織が未成 熟だった。しかし、他の企業、外の風を感じる間もなく、次第に徐々に会社が 傾いていった。急激に起こったなら感じたかもしれないが、ボディーブローの ように、じわじわ組織を蝕んでいった。学卒新卒で企業文化を確実なものに し、未来の絵を描いていたのだが、未成熟さを暴露して失敗した。費用がか かったこともさることながら、企業自体の成熟度の欠如を感じた出来事だっ た。本件に関しては、成岡が最大の戦犯の一人だ。