**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第655回配信分2016年11月14日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その53 移籍した中小企業で経験したシリーズ 〜どうして会社がおかしくなったのか:総括編その4〜 **************************************************** <はじめに> ●同族一族での経営というものは、うまくいっているときは特に目立たない が、いったんややこしくなると、際限なく迷路に入ることがある。成岡が経営 陣に加わった企業が、まさにそうだった。うまくいっているとは、資金繰りに 問題がない状態。それがいったん、おカネに関して詰まってくると、本当にい ろいろなことが起こる。特に、従業員が100名を超えて、それなりに組織がで き、一族同族以外の役員が増えてきた段階、京都本社と東京支店とができて、 意思疎通がなんとなくぎくしゃくしてきた段階などで、一層顕著に表れる。 ●成岡が移籍した昭和59年、1984年当時は従業員40名くらいで、年商12億円。 京都本社は壬生川通りの五条を南に150mくらい下がったところの西側にあっ た。当時の建物はいまでもある。40名くらいのうち、東京支社には5名程度。 大半は京都に在籍していた。移籍した会社の役員構成は、長兄の義兄が代表取 締役、代表取締役社長の義兄の従兄弟(いとこ)が常務取締役。実弟が印刷の 親会社の副社長。代表取締役の義兄は親会社の代表取締役も兼任。3番目の兄 弟である長女の夫が取締役。そして、一番下の次女の夫が成岡。 ●少々ややこしいが、親会社の印刷会社は別にすれば、代表取締役が義兄の長 兄、そして従兄弟の常務、実弟が親会社の実質責任者で出版社の取締役、長女 の夫が取締役。成岡は移籍時点では、まだ役員ではなかった。株式はこの同族 一族でほとんどずべてを所有していた。実際には、一族の家族にも分散してい たが、ほとんどの株式は一族とその家族で所有していた。当時は業績も順調 で、毎年配当をしていた。成岡は当然移籍時点では、一族ではあったが役員で もなく、株式も持っていなかった。 <同族一族のいい面と悪い面> ●40名の従業員はほとんどが正社員。パート、アルバイト社員はほとんどいな かったと記憶している。一部、営業事務部門などに数名の女性のパート社員が 在籍していたかもしれない。それも、本当は正社員でもいいのだが、家庭の事 情でフルタイム働けないので、時間給の扱いをしていた。編集部門、制作部 門、営業部門、管理部門などに分散し、それぞれの部門を一族同族役員が管轄 していた。成岡は移籍時点では無任所で、いきなり新しい「社長室」などとい ういかめしい部署を新設し、そこの責任者に収まった。 ●なんということはない。特にどこの部門に配属できなかったので、仕方なく どうでもいいような部署を新設し、しばらくそこで会社の業務に慣れてもら う、そんな趣旨だった。そういうことは、特に会社で合議することもなく、数 名の一族役員の話し合いで決まる。それが役員会かと言えば役員会かもしれな いが、そんな難しい理屈ではなく、廊下の立ち話程度で重要なことが決まる。 一族同族の中小企業なら、そんなものだろう。そのほうが、意思決定が早く、 迅速な企業経営が可能だ。それも、正しい理屈なのだ。 ●これも同族一族会社によくあることだが、代表取締役や主要な一族役員の家 族が名義上だけ役員に名前を連ねていることがある。非常勤の取締役なので、 社業にはほとんど関係ないが、一定の報酬が支払われていることが多い。この 企業もそうだった。過去に経理を担当していた母親、実質名前だけの奥さんに 一定の報酬が支払われていた。それは、アンタッチャブルな領域なので、誰 も、何も、口出しできない。びっくりするくらいの多額ではなかったが、それ でも社業が傾いても、相当の期間是正されることはなかった。 <カネで詰まると一族で不協和音が> ●一族同族でない取締役も数名いらっしゃった。これは、順次外部から招聘し た方々だ。どういう経過、ルートで招聘したかは、それぞればらばらだ。取引 先の大手印刷会社の部長だった方が、制作部の責任者。メインバンクの銀行の 支店長だった方が経理担当の役員で、のちに常務取締役。関西大手の出版社で 管理部門を担当していた方が、管理部門の役員。代表取締役の大学時代の友人 で、京都の某出版社に在籍していた方が営業の取締役。などなど、多士済々と いえば聞こえはいいが、とにかく10名くらいの取締役で構成されていた。 ●非同族非一族の役員と、外部から招聘した役員での最初の決定的な違いは、 覚悟の決め方なのだ。我々同族一族の役員は、会社と運命を共にする覚悟で来 ている。よって、すぐに雇用保険は外れたし、場合によっては個人資産も供出 することになる。しかし、外部から招聘した方々は、最後の最後はリスクがと れない。当然、いろいろな事情はあるものの、会社と運命共同体にはどこまで 行ってもならない。そんなことは分かったことだが、いざ、会社が土壇場、断 末魔になると、この意識の違いが鮮明に表れる。本音が出てくる。 ●同族一族の役員間でも、不協和音、温度差が目立つようになった。業績が順 調で資金繰りも問題なく、なんとか会社が好循環なら特に目立たないが、いっ たんマイナスのスパイラルに陥ると、非常にもろい面が目立ってくる。本業の 出版企画や販売戦略などの高尚なレベルではなく、日常の些細な資金のやりく り、金融機関からの借入への対応などに、きしみや不協和音が目立つ。例え ば、新たな借入の保証人の問題、物的担保の提供、株式の評価と買取りや持ち 分などに関し、実際のおカネのことだけに、やっかいだ。 <窮地になると一層関係が悪化する> ●ここに夫婦、家族、同族などのいろいろなしがらみが混じる。冠婚葬祭、法 事や年始の集まりなどで一族同族が顔を合わす。家族も巻き込んで、いったん 経営が左前になると、なかなかこの不協和音を修正することが難しい。親戚の 結婚式などお目出度い席はまだいいが、法事などの仏事では会話が難しい。借 入金がどんどん増えて、保証の枠が狭まり、新たな担保などが必要となったり 個人の保証が必要となる。ここに、兄弟間で誰がどのように対応するのか、非 常に悩ましい問題で、解決の方法も簡単には見えない。 ●経費の使い方、車の入れ替え、旅費の問題、交際費など、些細なことだが、 結構一族同族でもめると際限なく揉めることになる。破綻したあとで、一族で とことん揉めてしまった案件もあり、裁判所に出向くような泥沼になった。そ んなことの後始末に奔走する毎日になり、建設的に前向きになろうとしても、 なかなかなれない。疑心暗鬼になり、陰で、裏で、何かが動いているような不 信感が蔓延する。他人ならすぱっと言えることが、かえって一族同族なので、 うまくコミュニケーションがとれない。いったん、負のスパイラルになると戻 らない。 ●断末魔には、それこそ予期せぬいろいろなことが起こった。あの人が、どう して?という事態も、山ほどあった。社外から招聘した責任ある立場の役員 が、突然さっさと辞めたり、永年奉公してもらった役員が突然辞任したり、次 に来てもらった経理責任者が数か月もたずに退職したり、とにかくいろいろな ことが起こる。そして、一族同族の役員での中でも、気持ちが一致しない。結 局、空中分解することになるし、成岡も意を決して退職を決意する。ちょう ど、50歳になるかならないか。勝負を賭けるぎりぎりの年齢だった。少し決断 が遅かった。