**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第657回配信分2016年11月28日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その55 移籍した中小企業で経験したシリーズ 〜最後に在籍したベンチャー企業での経験その2〜 **************************************************** <はじめに> ●13年の出版社の在籍、その後の5年間の印刷会社の在籍期間中、それこそい ろいろな人生体験、経験をし、会社の破綻、破産も経験した。それも、当事者 で。得難い体験、経験だったが、失うものも多かった。高額の年収、社会的な ポジション、唯一の資産であった自宅などなど。逆に、会社の借入金の保証を していたので、その負債。また、破綻した会社から形式上、借金をして購入し た会社の株券の代金がそのまま負債として残った。40歳台の後半の人生の一番 輝く時期に、相当なダメージを背負うことになった。 ●しかし、ここでこけたままでは悔しいと一念発起して診断士の資格試験に合 格したが、特にそれですぐに独立しようなどと、大それたことは全く考えてい なかった。しかし、会社を見る目がそれまでとは変わり、何よりも数字に対す る意識が変わった。それまでは、会社の経営上の数字を見ても、全くと言って いいほど、何もわからなかった。ただ、漫然と眺めているだけだった。それ が、数字の持つ意味が少しずつだが、分かってきた。わかってくると、今まで 見えなかったものが見えてくる。見えないでもよかったものまで、見えてく る。 ●黙って見過ごせばいいのだろうが、一度破綻を経験し、黙っていることへの 後悔があったから、これからは言うべきことはまともに言おうと決めていた。 だから、あまり意識せずズバズバ言うことにした。そうすると、中小企業では いろいろなところで、いろいろな不都合な真実をあからさまにすることにな る。言わないでもいいことまで、言ってしまう。見せないでいいものまで、見 せてしまう。そっと、奥にしまってあるものまで、出してしまう。それが、相 当不都合なことでも、いったんそうなると止まらない。具合の悪いことが、た びたび起こる。 <無職になり国民年金に加入した> ●一度開けてしまったパンドラの箱は、もう戻せない。ひっくり返したお盆の 水は戻らない。渡ったルビコン川の橋は、もう落ちている。戻れない。そんな 中で、とうとう一族同族会社から離れる決心をした。11月に申し出て、年末12 月に退職した。途端に、債権者の中小公庫から債務の返済の要求が始まったの は、先週号に書いた通りだ。当分ほっておいたが、気持ち悪い。しかし、無職 になり、無給になり、収入の道が途絶えた状態では、交渉に応じる気にもなれ ない。かくて、当分ダンマリを決め込もうと腹を括った。 ●あてがないのは、非常に不安になる。成岡は当時役付き役員だったし、一族 同族の株主役員だから、相当以前から雇用保険からは外れている。つまり、会 社が潰れた時点で、失業保険が出ない。保証は一切ない。むしろ、今回のよう に債務が残り、返済を強要される立場に追い込まれた。しかし、ないものはな い。退職金もない。わずかに外部にあった厚生年金基金の退職一時金のみだっ た。そうか、経営者という者は、いったん会社がなくなると非常に厳しいもの だと実感した。頭ではわかっていたが、いざ実際にそうなると実感した。 ●2002年の01月からの3か月間が人生でただ一度の無職の浪人時代だ。この 間、国民年金に加入した。健康保険は任意継続という2年間倍額の保険料を払 えば旧社の健康保険に加入できる制度がある。役員であろうと、代表者であろ うと、健康保険は無関係に加入できる。厚生年金は、会社を離れると空白期間 ができるので、仕方なく国民年金に加入した。今でも、社会保険庁から年金の 加入記録の通知が来ると、この期間だけが国民年金になっている。ああ、そう だったんだと今でも思い返すと感慨深い。 <履歴書と職務経歴書を数種類準備した> ●無職の3か月間何をしていたかというと、実にこれが思い出せない。決めて いたのは、03月末までに次の奉公先、つまり勤め先が決まらなかったら、診断 士の資格で独立しようと思っていた。しかし、当時、まだそれだけの自信が正 直なかった。まだ、自分にそんな実力があるとは、思えなかった。たかだか、 10年くらい中小企業の経営陣に加わり、100億円の企業にはなったが、あっけ なく破綻を経験し、その後始末で奔走したが、人様にどうこう言えるだけのも のがあるとは思えなかった。かくて、再就職を模索した。 ●再就職となると、職探しをしないといけない。50歳近くになり、経歴、職歴 は一定以上あるものの、年齢的に再就職の困難さは十分承知していた。確率 は、50%くらいか。しかし、やるだけの努力はしてみようと、とにかく履歴 書、職務経歴書は準備した。それも、数種類用意した。サービス業向け、製造 業向け、ベンチャー企業向けなど、やはり企業に対してアピールするポイント が違うだろうと考えた。しかし、結果的に、その数種類用意した履歴書、職務 経歴書が生きることは、ほとんどなかった。募集がある企業など、ほとんどな かった。 ●途中から発想を切り替えて、別に幹部の中途採用を公表していない企業にも アプローチしてみた。新聞や求人誌で中途採用、幹部採用を出していない企業 でも、積極的に書類を送ってみた。しかし、ほとんど反応はなかった。中に は、すぐに返送してきた企業もあった。中には、全く音沙汰がない企業もあっ た。とにかく、数社の人事部や総務部に書類を郵送してみたが、反応は皆無 だった。やはり、想像はしていたが、非常に世間は厳しいものだと実感した。 予想はしていたが、やはり現実を目の前にして、悩んだ。 <すぐに紹介がありあっけなく転職が決まった> ●実は今だから言えるが、印刷会社に在籍し退職という究極の選択をした時点 で、某人材紹介会社に転職依頼を登録した。ご存知と思うが、こういう人材紹 介会社はマッチングが仕事だ。登録した求職者と、人材が欲しい企業とのお見 合いを成立させ、結婚に至ると定数料収入が入る。一番大事なのは、求職者が 何ができるか?なのだ。つまり、その求職者の売りを見極わめることだ。これ は結構難しい。その求職者の在籍した企業の内容、業務の理解、職務の範疇な どがわからないといけない。 ●失礼ながら、特に製造業の場合、この求職者の業務内容、特質、能力、経 験、力量など、定量的に把握できない資質は、なかなか正確にわかるものでは ない。エントリーした某人材紹介会社では、その窓口になった人が結構頼りな かった。正確に自分の過去がデータできちんとエントリーされているとは思え なかった。なので、ほとんど期待したいなかったのだが、実はすぐに紹介が あった。成岡のデータを見て、会いたいという企業がすぐに見つかった。それ も、関西、兵庫県西宮市の企業だった。そこに面接に出かけた。 ●まだ、印刷会社の最後の期間に在職中だったので、多少後ろめたい気持ちは あったが、年末で退職する覚悟は決めていたので、業務の都合をつけて西宮ま で出かけた。そのときの先方企業の代表者との面談で、いたく気に入っていた だいて、その場で転職の決定が確定した。なんとなく、あっけなかったが、こ んなものかと逆に納得した。かくて、12月末に退職したら、01月の適当な時期 に来てほしいとのオファーを受けた。しかし、事態はそう甘くなかった。それ から2週間くらいしてから、この転職案件はキャンセルされる。そこから、出 口のないトンネルに入ることになる。