**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第658回配信分2016年12月05日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その56 移籍した中小企業で経験したシリーズ 〜最後に在籍したベンチャー企業での経験その3〜 **************************************************** <はじめに> ●印刷会社に在籍の最後の1か月は慌ただしかった。退職することでの多少の 引継ぎもあったし、再就職の面接を受けに行くこともした。斡旋会社にエント リーしたら、すぐに相手先の企業があり、兵庫県の西宮市に面接に出かけた。 その会社の詳細は書くのを憚れるが、いい会社だった。社長は70歳くらいで長 男が役員だった。当然、事業承継のタイミングであり、その長男に承継するの が妥当な選択だ。誰が見ても、特に問題ない企業だし、当然のごとく長男への 承継は時間の問題だった。 ●社長は、しかし、いきなり長男への承継を危惧した。まだ、経験が少ない、 修羅場をくぐっていない、おカネのことがわかっていない、などなどの理由か ら、ストレートに長男に承継するのを、よしとしなかった。一度、長男に承継 する前に、5年から10年くらい誰かにセットアップを頼みたかった。このま ま、長男にすんなり承継するのを、回避したかった。いろいろと考えてのこと だろう。成岡と面接、面談したときも、そのようにお話しされた。長男に簡単 に禅譲することは、社内に違和感を抱かせると。なので、外部の人に一度やっ てもらいたいと。 ●至極ごもっともな意見だし、よくお考えだと感心した。長男にはお目にかか らなかったが、先方もいたく気に入っていただいて、ほぼその場で結論が出 た。あとは、日程の問題だというところまで合意した。終わって帰るときに、 社長さんからも感謝の言葉までいただいた。すっかり当方もその気になり、退 職したあとのことがおおよそ決まった安堵感があった。ところが、数日して キャンセルの連絡があった。長男の方が反対したという。自分より年長の人が 外部からつなぎで入るのは、納得できないと。その意見に社長が折れた。 <人生初めての浪人生活が始まる> ●かくて、成岡の再就職案件は、あっけなく1週間くらいでキャンセルになっ た。一度、こういう案件がこじれると、なかなか他の代案がすぐには出てこな いものだ。当然のごとく次の案件はすぐにはなく、12月の退職の際には、次の ことは全く白紙だった。想定していたとはいえ、次が決まっていないというの は、相当に不安だった。しかし、何とかなるだろうというくらいの、少々軽い 気持ちで不安を払拭していた。どうにかなるかならないか、やってみないとわ からないと開き直った。案の定、なかなか次が決まらない。 ●01月から浪人生活が始まった。初めての浪人生活だった。それまで、30年く らいの社会人生活で、浪人という身分不安定の時期は全くなかった。3回転職 したが、次が明確になっていての転職、退職だった。このときのように、全く 次が決まらないというのは、非常に不安だったが、一度踏み出したのだから、 もう後戻りはできない。やっと、長い一族同族の企業から抜け出し、これから 自分の世界を築こうと思ってはいたが、果たして自分一人でやれるだろうか と、不安だった。当然、家族の反対を押し切っての退職だから。 ●かくて、01月からなんとも大儀な時間が流れることになった。求職活動をす るわけでもない、自立独立の準備をするわけでもない。さすがに、精神的に不 安定になり、いろいろと気分的に迷いが生じた。自分自身ではどうにもならな い時間が経過し、その間数社に履歴書、職務経歴書の資料を送ったが、ほとん ど反応はなかった。返送されてきた会社もあれば、全く無視された場合もあっ た。中には、丁寧に人事部の責任者から理由を書いて返送されてきた企業も あった。それぞれの対応に、それぞれの企業のカラーが透けて見えた。 <朝日新聞に載った企業にアプローチ> ●02月のある日、当時取っていた新聞は朝日新聞だったが、その3面に面白い 記事が載った。コラムのタイトルは忘れたが、京都の新進気鋭の企業の紹介 だった。人材関係のビジネスを立ち上げた企業で、社長は40歳くらいと若かっ た。主に、大卒の新卒採用のアウトソーシングを生業にしている企業だった。 設立してまだ10年にならない若い企業だった。もちろん、そのような企業が京 都になることも知らない。しかし、何となく面白い企業だな、と興味関心が あった。気になったので、記事を切り抜いておいた。 ●数日後、どうも気になるのでインターネットで検索したら、出てきた。いま と違って、2003年だから、まだほとんどの会社はホームページなどと言う高尚 なものはない企業が多い。しかし、その企業はITにも特化していて、立派な ホームページがあった。閲覧すると、いろいろな業務の内容が詳細に書いてあ る。主に大卒新卒者の採用を、大手企業から請負い、採用活動の一式を運営す るという。なかなか、新しいビジネスモデルだし、成岡も出版社の15年間で、 いやというほど募集面接採用活動をやってきた。自信はあった。 ●ホームページの最後に、中途採用募集のページがあった。エントリーの フォームがあり、そこにさっそく書き込んだ。ちょうど、「コンサルタント募 集」というフレーズが大きく書かれていた。診断士という資格もあり、「コン サルタント募集」はぴったりではないか。喜んで、あまりほかの情報を確認せ ず、フォームに書き込んで、送信した。送信してから、残りの記載を確認する と、まず年齢は35歳以下と書いてあった。そして、業務内容は営業だった。何 のことはない、早とちりで書き込んで送信した。どっと力が抜けた。虚脱感が あった。 <予期せぬ出会いが転機に> ●しかし、待てよ、と考えた。成岡の過去の経歴、履歴は、ホームページの フォームに書き込んだが、そう簡単に説明できるシンプルなキャリアではな い。製造業で10年、同族の出版社の役員で15年、そして印刷会社の役員で5 年。その間、100億円の企業の破綻を経験し、その反省から診断士の資格を取 得。そして、同族一族の企業に見切りをつけ退職。なかなか、波乱万丈でそう 簡単に数行で書けるものではない。なので、その該当蘭のフォームには書き込 んだが、どうもしっくりいかない。思い切って、手持ちの履歴書、職務経歴書 を郵送した。 ●曰く、間違ってホームページの募集フォームに書き込んで送信した。意を尽 くせないし、勘違いもあったが、お詫びのつもりで書類を郵送した。当時、時 間は余るほどあったので、懇切丁寧に手紙を自筆で書いた。郵送したときに、 何か感じるものがあった。その後、数日してその企業の代表者の方から、成岡 の携帯に電話があった。直接見知らぬ番号から電話があったときは、少々驚い た。一度、お目にかかりたいとのことだった。日時を決めて、本社の事務所に 出かけた。忘れもしない、02月の終わりくらいだっただろうか。 ●下京区のビルの7階にあったその会社の本社事務所で、代表者のHさんと初 めてお目にかかった。見晴らしのいい社長室で、北側が遠くまで見通せて、北 山の美しい景色が見えたのは、今でもよく覚えている。ちょうど、午後の2時 くらいから3時間くらい話しをしたと覚えている。夕暮れの美しい景色が目に 鮮やかだった。そこで、04月からの入社が決まった。総務のA君が成岡が郵送 した書類を社長に取り次いでくれたのだった。変わった経歴のおっさんが募集 に間違って書類を送ってきたと。それを社長が目にとめたのだった。人生の 転機だった。予期せぬ出会いがあった。