**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第659回配信分2016年12月12日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その57 移籍した中小企業で経験したシリーズ 〜最後に在籍したベンチャー企業での経験その4〜 **************************************************** <はじめに> ●朝日新聞の朝刊にたまたま掲載された企業に、間違って履歴書と職務経歴書 を送ったが、その企業の総務担当者のはからいでその書類が代表者の手元にも たらされた。その結果、本来あり得ない面接、面談が行われ、その企業への転 職が決まった。2003年の03月だった。3か月近くになる初めての浪人生活、国 民保険生活にピリオドを打つことになった。しかし、最後の関門があった。最 終の決定の前に、既存の社員との懇親会に参加し、そのパーフォーマンスを確 認し、既存の社員との馴染み具合をテストするという。 ●03月の中旬に東京で幹部の会議があり、終了後東京支店全員との懇親会があ る。その会議と懇親会に出席、参加して、特に幹部社員との相性、馴染み具合 を点検するという。この企業は、在籍の社員の平均年齢は極めて若い。確か26 歳くらいだったと記憶している。また、平均勤続は2年。つまり、ほとんどの 社員は20歳代で、まだこの企業に勤務して5年も経過していない社員が大半 だった。代表者がそもそも、成岡と10歳違い。成岡が50歳だったから代表者は 40歳。40歳代の社員はほとんどいない。 ●大半が30歳代または20歳代で勤続年数も短い。確か、会社ができて7年目く らいだったはずだ。京都の本社に5名くらい。東京支店に50名くらいだっただ ろうか。幹部の大半は東京支店に在籍し、幹部会議も東京支店で開催されてい た。代表者も東京に単身赴任されており、月間の半分以上を東京で行動されて いた。事業ドメインが、大手企業を中心とした新卒採用のアウトソーシングを 請けて、その企業の人事部に代わって採用一式を取り仕切る。あと、夏季には インターンシップの仲介を行う。 <飲み会面接は合格> ●そんな企業だったから、とにかく若手の優秀な社員が多かった。その東京支 店で開催の幹部会議に参加し、終了後の懇親会に参加して、参加者との相性を 見るという。とにかく、社員が若いから、50歳のおじさんとは違和感があるだ ろう。また、頻繁に行われる飲み会でのパフォーマンスも見たいという。日程 が決まり、新幹線で移動。当日は会社近くのホテルに1泊して、当日の懇親会 に参加することになった。まず、東京駅に着いてから、会社のある赤坂見附の ホテルに先にチェックインする。そして会社に出向いた。 ●会議の冒頭に紹介され、会議では中身はよくわからないから聞いているだ け。オブザーバーというような立場で、これは特に何もなかった。一応、入社 を前提とした参加だが、最終的にはどうなるかわからない。会議終了後、近く の居酒屋での懇親会に参加。総勢40名くらいはいただろうか。まずは、最初に 簡単に挨拶と自己紹介。そして、大勢での飲み会になった。ここからは記憶が 定かではないが、とにかく次から次からビールをつがれて、しこたま酔っぱ らったのを覚えている。どうやってホテルまで戻ったか、記憶は飛んでいた。 ●とにかく無事に飲み会面接が終了し、後日代表者に合格を確認し、04月から その企業に行くことになった。飲み会面接は、後でわかるのだが、この企業の 重要な儀式で、これをクリアーしないと幹部は採用されない。成岡の経歴、年 齢からして、代表者の補佐的な立場であることは、誰もが見たらわかる。当 時、この企業は創業設立7年、売上も10億円以上あり、従業員は60名弱。従業 員はどんどん増えて、すぐに70名くらいになった。売上も、すぐに20億円近く になった。何よりびっくりしたのは、資本金だ。 <違和感のあるおじさんが採用された> ●設立当初の資本金は、普通は10,000千円くらいから始まるが、この企業はす ぐに数千万円に増資された。そして、当時にしては斬新なビジネスモデルと、 応募者のエントリーを当時としては先進的にインターネットで処理するシステ ムを開発し、この開発をシリコンバレーの企業と提携して開発していたため、 非常に先行投資が多額になった。その費用をカバーするのに、大手や中小のベ ンチャーキャピタルや投資ファンドから出資を受けていた。資本金が4億円と いうとんでもない金額だった。 ●つまり、数年以内に株式上場を期待されていたベンチャー企業だった。資本 金4億円には、正直びっくりした。もちろん公開されていた情報だから、その 後わかったことではない。入社前の面接で事情は聞いていたから、株式上場を 期待されていたことも承知のことだ。そこに、代表者が40歳でそれ以上の年長 者はいない。ほとんどが30歳代前半と20歳代の社員だ。役員も数名いたが、全 員30歳代の前半だ。しかも、代表者が過去に在籍していた人材系の大手有名企 業に在籍していた同僚や部下がほとんどだった。 ●幹部や役員の大半は、代表者との人間関係は強く、過去に在籍していた大手 人材系の会社の企業文化、風土、空気を完全に踏襲していた。その企業文化を 強烈に持ち込んでいた。いいか、悪いかは別にして、この企業文化、風土、空 気に馴染めないと、この企業で生きていくことは不可能だ。飲み会面接も、こ の企業文化、空気、風土に馴染めるかという首実検だということは、すぐに入 社後理解できた。一応成岡は合格し、代表者より10歳年上というおっさんが突 如幹部として採用された。当時のこの企業にしてみれば、相当な決断だった。 <連休明けに単身赴任で東京へ> ●なにせ、代表者より年長者がいなかった。役員や幹部と代表者との関係も、 上司と部下というより友達という雰囲気の方が強かった。社内では職制で呼ぶ ことは、まずなかった。ほとんどの社員が「さん」づけで呼びあっていた。そ れが全然違和感を感じない雰囲気だった。また、社員の学歴が非常に高く、頭 は切れるし回転も速い。全員がデジタルに精通し、当然パソコンなども縦横無 尽に使いこなす。ほとんどが中途採用だが、前職の経歴を見ると大手の上場企 業や金融機関に在籍していた人がほとんどだ。 ●中には、外資系の有名ブランド企業の広報担当をしていた長身で非常に美し い女性社員もいた。まぶしいくらいの美人で長身。なにより声が素晴らしく、 広報部門に在籍していただけあって、その話しぶり、身のこなしなどは、一流 を通り越えてびっくりするくらいのレベルだった。京都の田舎で、地味な印刷 会社にいた5年間で染み付いた陰気臭い遺伝子がびっくりしてしまった。入社 しても、半分近くは東京支店に出張していた。なにせ、大半の社員は東京支店 に在籍し、クライアントの営業先企業も大半が東京だった。 ●代表者も月の大半は東京支店に詰めていた。成岡は04月から京都本社に出社 したが、代表者と会うのは月曜日と火曜日くらいで、あとは京都本社でとりあ えず管理部門の仕事をすることになった。しかし、あまり具体的にやることが 見えてこない。逆に、東京支店に出張したときのほうが、はるかに忙しい。大 半の業務の中心は東京支店だった。必然の成り行きで、代表者から5月の連休 前に東京への単身赴任の打診があった。ふたつ返事で東京への単身赴任を承諾 した。すぐに、赤坂見附周辺で住まいを探すことを始め、ワンルームを予約し た。