**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第670回配信分2017年02月27日発行 成岡の40年の社会人生活の軌跡をたどる:その67 40年の重要なポイントを解説するシリーズ 〜出版業の同族経営の経験その1〜 **************************************************** <はじめに> ●10年間の大手企業製造業のサラリーマン生活に終止符を打ち、生まれ故郷の 京都に戻ってきたのが昭和59年の02月。引っ越しの前後に大雪が降り、無事に 引っ越しができるだろうかと、随分心配したことを覚えている。そして、02月 の建国記念日の祭日のあとから、出社することになった。以降の出来事は以前 に書いたので省略するが、この15年で学んだものは大きかった。しかし、逆に 失ったもの、犠牲を払ったもの、ダメージを受けたものも、相当に大きかっ た。プラスマイナスでは測れないが、相当のマイナスがあったことは事実だ。 ●同族一族の中小企業の経営の現場に身を置いて、何が大変だったと言えば、 社内でのコミュニケーションであり、相互理解に努めることだった。大企業は それなりに経営的な求心力がある。ブランドもあるし、存在そのものが意味が ある。そして、人事制度やルールが平然とある。しかし、中小企業は中途採用 の寄せ集め集団だ。いろいろなルーツ、いろいろなキャリアを持った人が集 まっている。代表者も、代表者たる教育を受けたとは限らない。なるべくして なった代表者もあれば、消去法で選ばれた代表者もある。 ●成岡が転職した同族一族で運営されていた出版社も、まさにその典型だっ た。当時の役員は、義兄の長兄が代表取締役、その実弟が副社長、次の妹の夫 が取締役、最後の一番下の妹の夫が成岡。そして、代表取締役の従兄弟が専 務。また関連会社に親族が在籍していた。そして、幹部である経理部長や役職 者は、大半が代表者が声をかけて縁のあった人を集めていた。経理部長は取引 のあったメインバンクの担当支店の元支店長。人事部長は大学の同期生など、 とにかく縁のあった人に声をかけてきてもらった。 <びっくりすることの連続> ●創業して10年そこそこの中小企業だらか、それはそれで、所詮そういうこと しかできない。従業員は40名前後で、新卒者も数名いた。企画編集の責任者 は、東北大学出身のインテリで、東京の人をリクルートしていた。京都には単 身赴任の形で、百万遍の京大近くのマンションを借り上げて、そこに来ても らっていた。まず、40名くらいの従業員のそれぞれのルーツを知ることから始 まった。経歴、職歴、学歴、社歴など、全員がばらばらなのだ。大卒、高卒、 短大卒など、学歴も入り乱れている。誰に聞いたらわかるかも、わからない。 ●あまり気にしないでもよかったのだろうが、以前に勤務していた大企業で は、まず学歴でコースが整然と決められていた。大卒、大学院卒、高卒、高専 卒などで一定のルールがあった。そして、優秀な人材は高卒者でもいろいろな コースに転籍できる自由度があった。そして、それなりの結果も出ていた。な にせ、数千人が働いている企業なのだ。一定のルールがないと管理できない。 ところが、40人くらいの中小企業で、しかも創業して10年くらいだったら、ま だ発展途上国なのだ。ルールも何も、あったものではない。 ●管理能力など、皆無に等しい。社内の文書も、書き方もまちまち。まず、 びっくりしたのは、回ってくる書類に日付がない。書いた人の名前もない。上 司の承認の検印もない。誰が書いたものかもわからないし、書いた日付も分か らない。しかも、それを不思議とも何とも思わない。それが企業文化、風土、 空気と言えばそれまでだが、何もルールもない。代表者も大学を出て、すぐに この会社の親会社の印刷会社に入っているので、よその企業のことを知らな い。とにかく、10年間大企業で育った者にしてみれば、びっくりすることの連 続だった。 <徐々に賛同者を増やす> ●ここでの禁句は「前にいた会社では・・・・・」というセリフなのだ。これ を口にすると、いまいる企業を見下しているような発言になる。ある知り合い の人から、転職する際に言ってはいけないセリフは、実はこれだった。絶対に このフレーズは言うなとクギをさされた。周囲の目も厳しいし、特に義兄が声 をかけた引っ張ったというルーツがある。そういう人が、来た会社のレベルの 低さを以前の大企業と比較して、批判するのは絶対に避けなくてはいけない。 これに関しては、非常に神経を使った。しかし、つい、出てしまうようなこと が多々あるのだ。 ●飲んだ席で、愚痴を言うようなことが多くなる。禁句なのだが、どうしても 言いたくなる。それをずっと我慢していると、ストレスの塊になる。メンタル にもよくない。しかし、大半の中小企業では、おそらく似たようなことが日常 茶飯事で行われているのだろう。そういう意味では、10年間の大企業での経験 は、あとで大いに役立った。やはり、マネジメントのシステム、能力で格段の 差があるということが理解できた。だから、急にそのシステムを持ち込むこと も無理だということも分かった。徐々にやるしかないな、と半分あきらめた。 ●とにかく、自分が書いて出す文書だけでも、日付、書いた人の名前、職責な どをきちんと書こうと思った。見る人が見れば、このように書けばいいだとわ かるだろう。賛同者を徐々に増やせばいいんだと、自分自身に言い聞かした。 そして、文化大革命ではないが、徐々に周囲に賛同者を増やしていこうと頭を 切り替えた。スピードは遅くなるが、遠回りのようだが、それが近道だと割り 切った。そして、周囲のメンバーに声をかけて、徐々に理解する人間を増やし ていくことにした。そのために、コミュニケーションを図る努力をした。 <実績を出して認められる> ●成岡が転職してから、自分で目利きして採用したり、昇格してもらったりし た人を徐々に周囲に増やしていった。幸いにも、数か月後から中途採用の面接 の大役を仰せつかった。そうなると、自分が面接して採用した人が増えてく る。当然、自分が採用した人なので、自分との距離感は近い。そして、そのよ うな人が増えてくると、当然中途入社以降の面倒を自分が見ることになる。コ ンピューターに強いHさん、後に経理部門も中核を担ってくれたSさん、営業管 理部門の責任者をしてくれたTさんなどは、成岡が入社した以降に入った中核 人材だ。 ●この新規の中途採用者と、以前から在籍の旧人類とも調和が難しい。大手都 銀の大阪の中核支店の次長職で退職したFさんや、代表者と大学が同期生のよ しみで転職して来てもらったKさんなどは、旧人類の最たるもので、なかなか 言葉が通じない。しかし、組織上は上位の役職者でそれなりのプライドもあ る。過去の要職の実績もそれなりにある。そこに、代表者の義理の弟が突然入 社してきた。警戒心もあるし、それなりに見る目も厳しい。そういう環境の中 で、立場を認識してもらうには結果を出すしかない。 ●いろいろな部署でいろいろな要職についたが、とにかく結果を出して認めら れることがまず必要だから、数年間はとにかく遮二無二働いた。大企業の10年 間も、それこそ必死で頑張ったが、その数倍の意識で立場を理解してもらうよ うに猛スピードで走った。そのおかげで、いろいろと結果を出すことができ た。結果が出ると自然と人はついてくる。そして、徐々に会社が変わる手ごた えを感じられるようになった。そして、大きなプロジェクトを仕切ることに なった。社運を賭けたビッグプロジェクトだった。