**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第774回配信分2019年02月25日発行 京都の老舗の家憲や家訓から学ぶシリーズ 多くの老舗の家憲や家訓に秘められた15のフレーズ:第1回 〜プロローグ15のフレーズとは〜 **************************************************** <はじめに> ・今回から15回にわたって京都老舗の経営に学ぶというシリーズを書いてみる ことにした。後日京都新聞の連載コラムに掲載されると思うが、京都の老舗に 代々伝わる家憲や家訓には現代でも十分に通じるものが多い。いや、逆にその ような哲学的な部分を忘れて、数字を追いかけ、IT技術にはまり、見るべきも のも見えなくして経営している場合があるのではないか。今一度、過去に立ち 返り、温故知新の精神でこれからの不確実な時代を乗り切る経営哲学を打ち立 てないといけない。そういう思いでこのシリーズを書くことにする。 ・参考図書は、平成5年に上梓された立命館大学名誉教授足立政男氏の「シニ セの経営」〜永続と繁栄に学ぶ〜という書籍だ。昭和45年、当時の京都府知事 蜷川虎三氏が京都府制100周年を記念して、「老舗と家訓」という非常に立派 な書籍を作成した。まだこの作成に関わった方々で存命の方もいらっしゃる が、これをきっかけに京都府の「老舗表彰」制度が始まった。規定によると、 100年以上続いているお店や企業で、創業の生業を継続し、現在も確実に経営 がなされていること、とある。寺院や医療機関、学校は含まない。 ・この書籍が出版された当時は、1700近くの該当する「京都の老舗」があっ た。現在でもこの表彰制度は続いており、累計では2000を超える企業やお店が 表彰されているはずだ。しかし、残念ながら永い年月を経るなかで、継続を断 念された老舗の企業も多い。時代が変わり経営環境が激変した。特に、京都で は伝統産業の世界でその傾向が著しい。過去に隆盛を誇った企業でも、一瞬の 緩みで奈落の底に転落するという事例は枚挙にいとまない。それくらい、企業 が100年、200年継続することは至難の業なのだ。 <家憲や家訓を15に分類> ・今回はプロローグなので、以降15回の全体像を提示することとした。この書 籍に収録されている家憲や家訓を分類すると、次の15のカテゴリーに分けられ る。「家名継承」「祖先崇拝と信仰」「孝道」「養生」「正直」「精勤」「堪 忍」「知足」「分限」「倹約」「遵法」「用心」「陰徳」「和合」そして最後 に「店則」。この15の分類になっている。ほとんどの家憲や家訓が封建時代か ら明治の初期に制定されたものが多いようだ。今日の社会観念からすれば無価 値になり、古臭い内容のものもあるだろう。 ・あるいはそんな悠長なことを言っていたら、いまの時代生き残れないと俄然 排除される方もあるだろう。それはそれで各自の価値観だから、自由なのだ。 大事なことはそれぞれの企業やお店での経営理念とは、一貫してぶれない哲学 なのだ。ビジネスを、商売を続けていくうえでの「芯」になる考え方だ。これ は時代が変わっても、脈々と受け継がれていくはずのものなのだ。当然、戦略 は時代と共に変わり、また変わらないと継続していけない。戦略が変われば、 戦術は変わる。戦い方は変わって当然だ。 ・当時の民法や商法では、家の財産すなわち家督は長男が総取りする制度だっ た。長男と生まれて来たからには、ほとんど家業を承継しそのためにある財産 や資産は全部自分が責任もって承継する決まりだった。だから、長男の出来不 出来が非常に大きな影響を後世に残すことになる。戦国や江戸時代と異なり、 衛生状態も改善され平均寿命も延びていった。人生50年は織田信長の時代で、 70歳や80歳も明治の初期では珍しくなくなった。そういう時代の経営の承継 は、非常に重たいものがある。 <京都の老舗の凄さ> ・京都は世界の歴史をみても、稀有な存在で1100年間日本の首都だった。平安 時代に桓武天皇が都を京都に定めてから1100年間、ずっと日本の首都だった。 明治になり、天皇家が東京に行ってしまったので、首都ではなくなったが、そ れでも永年日本の首都だった。天皇家があることで、豪華絢爛な公家社会が あった一方で、地方から京都を目指して上洛してくる戦国時代の武将や、応仁 の乱などの戦火が絶えることなく、商売を始めても長続きしない。家や店は焼 かれ、財産はなくなり、また最初から始めることになる。 ・そういう時代背景の中で京都のビジネスマンは、当時から規模を大きくする ことより継続する道を選んだ。むしろ事業の規模を大きくすると、あまり良く ないという人生観が支配的だった。面白くないといえば面白くないが、京都で は代々多店舗展開するより、本家で頑張って継続することを選んだ。優秀な従 業員がいたら、のれん分けして独立に際しては手厚く支援した。店の名前に、 本家の店名のひと文字をいただくという習慣も大いにあった。それくらい、恩 と義理を重視する風潮があった。 ・過去の膨大な歴史のうえに作られた京都人の特質は、伝統の中で生きなが ら、その伝統を土台として、未来に羽ばたく大きな力を秘めている。明治天皇 の遷都に伴い東京に進出した企業やお店もあった。しかし、当時東京に進出し た企業では、多くの苦労があったと聞く。特に食べ物のビジネスでは、原材料 が土地によって異なると、同じ品質のものができない。「水」が変わると 「味」が変わる。某和菓子店では、しばらく「水」を東京に運んでいたと言わ れている。鈴鹿を越えて名古屋から船で東京に運んでいたそうだ。 <京都の老舗から学ぶ> ・そういうこだわりは半端ではない。こだわりがあまり強いと頑固になるが、 意外と京都人はそうでもない。時代が変わったり、時代の要請に応じて柔軟に 事業ドメインを変えていく。理化学機械装置の製造から始まった島津製作所 が、その後レントゲンの発明を経て、軍の要請で潜水艦の蓄電池の開発を依頼 された。これが日本電池の始まりであり、いまのGSバッテリー現在のGSユアサ の原点だ。そこから日本輸送機が生まれ、ニチユに変わり、現在の三菱ロジネ クストになっている。どんどん時代と共に変わっていく。 ・継続し続いていくために変わり続けるという言葉もある。守ることは攻める ことでもある。一方では頑なに守り続ける哲学があり、片方では時代の要請や 社会の変化に伴って劇的にビジネスモデルを変えた企業もある。社名が古臭い のでぴんと来ないが、現代では最先端の技術で最新の製品や部品の製造を行っ ている。また、サービス業では旅館や料亭などのBtoCビジネスで数百年の歴史 のある企業も多い。京都では50年くらい続いている企業などは、「鼻たれ小 僧」と皮肉って言われることもある。100年以上で一人前だ。 ・規模より歴史を重んじる京都。その京都にあって、100年以上継続している お店や企業の哲学が家憲や家訓に凝縮されている。この煮詰まったフレーズを 勉強し、先達からの貴重な教訓を活かすことは、非常に意味がある。時代が違 うから関係ないというのではなく、時代が違っても現代に活かせる教訓は多 い。先達に学ぶことは、失敗の教訓を教えてもらうことでもある。成功には偶 然の成功もあるが、失敗には必然の理由がある。次回からお送りする京都の老 舗に学ぶシリーズから、何かをゲットしていただければ幸いだ。