**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第775回配信分2019年03月04日発行 京都の老舗の家憲や家訓から学ぶシリーズ:第1回 家名継承 **************************************************** <はじめに> ・京都の老舗家訓シーリズの第1回は「家名継承」を取り上げる。京都府が編 纂した「老舗の家訓」の第一番目に出てくるのが、この「家名継承」だ。ここ では「承継」ではなく「継承」と書いてある。意味はほとんど同じだろうが、 成岡達がこの分野で使う場合は、「承継」というのは広い意味で引き継ぐこと の全体を指し、「継承」というと比較的狭い範囲や特定のものを引き継ぐとい う風に、一応は切り分けている。従って、最近話題の中小企業の後継者問題で は、「事業承継」と広い意味で「承継」を使っている。 ・さて、この「老舗の家訓」にある「家名継承」は、家名を永久に継続せしめ たい、子孫の繁栄と安全を祈願したいという願望から、第一番に掲載されてい る。ここでいう「家名」とは、誉(ほまれ)ある家名という意味で、不実、不 名誉の家名ではない。屋号を染め出した暖簾を大事にするという精神も、ここ から出発している。「家名」や「暖簾」を守るためには、分限をわきまえて家 職を大切にし、転業を嫌い、「相変わらず」を理想とし、「決して他業に手を 染めるな」と商売替えを拒んでいる。 ・繊維で有名な外与(書籍では外村与左衛門家)の「謹言」という家訓には、 「人ハ一代、名ハ末代、家ヲ保ツ道ハ勤ト倹ニアリ(以下略)」とある。経営 者一代は長くて30年くらいだが、家名は末代にまで代々継承されるものだ。家 名、家業の長久と存続を一途に絶対視していたのであり、家職は永久に相続さ れなければならない。現在の主人である自分も、また将来の子孫も、とにかく 家職を相続するためのメンバーであり、たまたまそのときの支配者であるに過 ぎないという割り切りである。 <不出来な者は追い出せ> ・つまり、先祖の残した家紋を守り、家業を経営して、後世に永久に相続しな いといけない重い責任と任務を帯びている。現代風に言うと、ゴーイングコン サーンということだろう。つまり、企業はあること自体で意味があり、継続す ることが最大のミッションなのだ。当時の家とは家名であり、家職だから、必 ずしも血統の継続を要しない。一般に当時の家の男子直系の持続は二代、三代 であり、五代以上は非常に少ない。外部から見たら継続しているように見えて も、途中で養子を迎えたりしているケースが多い。 ・できれば実子に越すことはないが、その実子が家名不相続の人物の場合に は、家督相続の地位を去って隠居するか、放逐されその代わりに家職を継ぐに 適任と思える人物が他から選ばれて、相続者として迎え入れられたケースが多 い。このような家訓は、多くの老舗の家訓の中に盛り込まれている。実際にど れくらいの企業でそのようなことが行われたかは定かではないが、大阪の船場 でも娘が生まれると赤飯を炊いてお祝いしたという。女性の場合なら、優秀な 養子を迎え入れられる可能性が非常に高いからだ。 ・西陣で永く続く「木村卯兵衛家」の「家法定書」では、実子であっても相続 人、次男を問わず奉公に出して他人の飯を食べさせて苦労と修業を積ませ、首 尾よく奉公を勤め上げて先方の主人から別家を許されたら、これをよしとする とある。決して甘やかして、実子や長男だから世襲を前提としないという、厳 しい家訓が見て取れる。「主人始家之内男女共心得違致し、不埒致し候者は (中略)押込隠居(以下略)」とあり、不適任者は敢然と排除するという覚悟 が見て取れる。これくらいしないと継続できないと割り切っている。 <よくできた徳川御三家制度> ・京都の老舗ではないが、江戸時代に260年近く続いた企業があった。徳川幕 府である。企業ではなかったが政治をつかさどり、当時一面の野原で利根川が 毎年氾濫していた江戸を立派な都市にした。そして、家康から15代将軍慶喜ま で、260年にわたって戦乱の後を統治した。この徳川15代続いた秘訣が、「徳 川御三家」制度である。ご存知のように、「紀州、尾張、水戸」の遠縁の親戚 筋から将軍職を招いたことが数回あった。有名なところでは、紀州から8代将 軍吉宗、そして水戸からは15代将軍慶喜である。 ・当時のいろいろな事情で招聘されたのではあるが、直系に適任者がいない場 合周囲の親戚筋から適任者を迎えるというのは、非常に合理的である。しか し、母方や大奥からは大ブーイングがあっただろうし、し烈な権力争いもあっ ただろう。葛藤から生まれた政権だったが、吉宗は享保の改革を成し遂げ、慶 喜は江戸城の無血開城を決断した。慶喜の判断が間違ったら、当時の日本は内 戦になり、海外からの植民地になっただろう。本州はアメリカ、北海道はロシ ア、九州はイギリスだったかもしれない。 ・ことほど左様に、トップの意思決定は重要であり、トップを誰が務めるかは その後の企業の命運を左右する。おそらく、当時の徳川幕府のマネジメント層 は、戦国時代の掟である直系の男子がいない大名は取り潰しになるというルー ルがあったので、御三家という仕組みを考え出し、何とか徳川家で幕府を運営 できる知恵を絞った結果なのだ。しかし、この仕組みがうまく機能して、日本 の歴史上初めて260年という長きにわたり徳川家が日本を支配し、比較的安定 した世の中が継続した。 <現代でも必要な後継者の覚悟> ・現代では、一族同族に承継されるケースが年々減少している。従業員や第三 者への承継が増えている。確かに、企業の運営形態も大きく様変わりした。京 都の老舗の家訓にあるように、家督を相続し家名を継承するなどという古臭い 考えは、どこかに葬り去られているようにも見える。しかし、それは間違い。 根本には、企業は継続することを前提にして運営しないといけないのだ。単に 継続するだけではなく、環境の変化に柔軟に対応し、その時代時代に求められ る形に変わっていかないといけない。 ・100年以上続く京都の老舗には、厳しい家訓や家憲があるが、その前提は商 売を継続するためにはどうすればいいかということに焦点が当たっている。そ の第一番にあるのは、家名をいかに継承するかだ。そのためには、トップを務 める者のミッションが明確に記されている。また、そのための条件も書かれて いる。そして、その前提となる条件を一生懸命クリアーしようと努力を積み重 ねてきた。個人名ではなく、第何代当主という表現があり、代々その当主の名 前を承継して、当主が社長を務める。 ・本名はもちろんあるが、襲名しそれを披露する。歌舞伎の名跡を承継するの と同じだ。そこでは、自分の代で30年、この任された企業を継続発展させてい くための覚悟を披歴することになる。この覚悟はそう簡単に醸成されるもので はない。小さい時から、心の片隅にいつかは家名を継承し、自分が当主になっ てやるんだという自覚がないといけない。学校の学部学科も、就職先も別に家 業と異なってもいいが、いつかは戻って立派に会社を経営するんだという覚悟 を決める。老舗の家訓にはその覚悟の決め方が明確に書かれてある。