**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第777回配信分2019年03月18日発行 京都の老舗の家憲や家訓から学ぶシリーズ:第3回 孝道と養生 **************************************************** <はじめに> ・京都の老舗家訓シリーズの第3回は「孝道と養生」。つまり親孝行の「孝」 と現代風に言うと「健康管理」。「孝行」に関しては、石田梅岩が開いた石門 心学の中にも、「愛の至極は親を愛するより大いなることなければ・・・・」 とある。また、「父母には、いつくしみ愛し、慕いて敬えば、一孝立て万善の 長者になり、子孫長久繁栄し、(中略)夢にも孝行怠ることなかれ」とある。 親孝行などという言葉は死語かもしれないが、成岡も両親ともに亡くなったい まの時点では、何となくこのフレーズが身に染みて分かるようになってきた。 ・古来、老舗では孝は愛の至極で、百行の基であり、万善の源である。かつま た、子孫長久繁栄と開運出世の始源であり、秘薬であると考えている。孝行の 道が家憲や家訓に取り入れられた理由は、この辺にあるのだろう。福田家の家 憲「常盤家の苗」には、孝の字の由来を説いている。「孝の字は、土は天、ノ は杖、子供は杖にすがる。俗に杖の下へまわる子という。父は天、母は地な り。土を掘れば水が出るがごとし。土は天の杖、孝の字にあたる」とある。孝 の文字の成り立ちを説明し、孝行の道を説いている。 ・糸編の商売の矢代仁兵衛家の「定め」には、「第一、親ニ孝、主人ニ忠孝、 下タル人ヲ憐ミ、(中略)ソレ孝忠信ハ人道ノ本ナリ。孝トハ父母ニ仕エル 也」。すなわち、親に孝行を尽くすことは、人の道であり、したがって孝行を する者は、その身も修まり、家業に専心することになり、自然と立身すること になると説いている。また、文化財の修復などで有名な宇佐美松鶴堂の「家 訓」には、「子ほど親を思う。子なきものは身にたくらへてちかきを手本とし るべし」とあり、孝道の重要性を説いている。いずれも、身に染みるフレーズ だ。 <孝行をしたいときには親はなし> ・永楽屋の「教訓大黒舞」には、「二に二へんへ孝行し、四に四おんを忘るな よ」と、両親への孝養の教えをさとしている。井上家の「主人日々心得方」に は、「朝夕は父母に相応に挨拶すべきこと」と親しき中にも礼儀ありとして、 特に両親に挨拶を欠かさず、両親を敬い、大切にすることを説いている。酒造 の向井家の「家内論示記」には、「孝道ニ志深キモノハ何ニ就キテモ善行ヲナ スユエ、衆人是ヲ愛ス。世ノ中ニ親ニ孝アル人ハ何ニ就キテモタノモシキカ ナ」とあり、孝道が多く説示されている。少々古臭いが、それでも現代にも通 用する。 ・これらはいずれも孝行の道であり、百行の基本、万善の大本であり、孝道に 励む者は、衆人より敬愛され、ひいては子孫長久繁栄するに至るものである。 しかるに、孝道とは、家業を怠らず、仕事に励み、己の身を慎んで、孝道を実 践し、父母を安心さすことであると書かれている。「ソレ孝ハ至徳善ノ大本、 孝道ハ人ノ高行也」とあり、孝道が家名相続者にとっては、いかに重要なもの であるかと説いている。家督を相続し、家名を継承し、事業を次代に継続して いくには、親に対する孝行が非常に重要だと書いている。 ・「孝行をしたいときには親はなし」という川柳もあるくらい、生前になかな か親族一族で両親に対する孝行を全うできることは、意外と少ない。特に、近 年では両親と子供が同居せずに別居しているケースが多い。実家で両親と一緒 に暮らしている後継者という人を、あまり聞いたことがない。特に、後継者が 結婚し、一家を構えると、まず同居するケースは少ない。そうなると、会社で は一緒に仕事をしているが、会社を出たら全く別の生活を送ることになる。と なると、なかなか親孝行ということを行動で表すことは難しい。 <欲、色、酒を戒める> ・石門心学者の脇坂義堂が、西鶴の永代蔵にある貧乏治療の処方箋に倣って、 「身代改正後の養生補薬」で書いた処方箋には、「家業出精、知足、倹約、堪 忍、身養生、この五味にいつにても正直をはなさず、加えて片時も忘れず服用 あらば、身も家も安全にて、子孫永々安楽なるべし。禁物は、不実、剛欲、酒 色、朝寝、家内不和合。この五品は、かりにも食い合わすことあるべからず、 家を修るの大毒物なり、恐れても、なお恐れるべし」とある。いずれにして も、達者、養生をあげ、不摂生、酒色を禁物として戒めている。 ・中井源左衛門家の遺訓「金持商人一枚起請文」では、養生長寿を説いて 「(前略)金持ちにならんとおもはば、酒宴、遊興、贅沢を禁じ、長寿を心掛 け、始末第一に商売を励むこと」とある。このように、家訓の中には、身の養 生を説き、酒色におぼれたり、不養生になることを戒めたものが多くある。福 田家の家訓には、飲酒の不養生を戒めて、「さけなどは随分飲むべからず、と かく身のために悪し。養生専らにある可し。家内乱れたる酒事は常にいましめ 置く可し」とある。特に、酒の飲み過ぎに警告を発している。耳が痛い。 ・前述の宇佐美松鶴堂の「家訓」には、「欲と色と酒をかたきと知るべし」と 戒めて、養生の敵として、欲、色、酒を挙げている。さらに、同家の「処世家 訓」には、禁物として挙げた12の悪徳の中でも、「あさねするべからず、女に 心ゆるすべからず、大酒のむべからず、ものくるいするべからず、(以下 略)」とあり、これらの規定は身体の養生に帰着する戒めでもある。井上家の 「心得」には、「遊女の遊びも不相成候事」とあり、「主人たりとも朝寝致 し、夜遊び」することを禁じている。儒教の教えに基づいた倫理観の高い生活 を求めている。 <自分自身の心がけでできる> ・養生とは健康管理につながるので、摂生が必要だが過ぎたるは及ばざるが如 しという諺もあるくらいで、分量節度が肝要になる。外村与左衛門家でも遊女 との遊びは厳しく戒めてはいるが、「人命ニ食ハ至ツテ薬ト云、然ドモ常ニ美 食ヲ用ヒ(以下略)」と分量節度の肝用を戒めて、食事のとり方に注意を促し ている。余りの粗食も健康を害することに注意を喚起している。時代が時代だ から、美食といっても現代とは相当に違いがあるが、医療も薬も低いレベルの 中での主人の健康管理は非常に大きな課題だった。 ・昔は男性は40歳を過ぎると厄年といって、身体が次の世代の次元に変わる。 42歳が本厄といって、ここが一番危ないと言われていた。女性は33歳が本厄と 言われていた。しかし、最近では医療が進歩し、平均寿命も延びて42歳が本厄 ではなくなった。おおよそ、男性も女性も10歳くらい伸びたはずだ。なので、 本厄の年齢は50歳くらいになり、女性は40歳くらいになったはずだ。この50歳 くらいの年齢が非常に健康管理上、危ない年齢になる。組織では一番重要なポ ストだし、家庭では子供が高校から大学に行く年齢だ。 ・ガンにしても心臓病にしても、脳血管疾患にしても、この50歳代で発症する ケースが多い。年齢が若いと細胞も若いので、ガンも進行のスピードが速い。 あっという間に進行して、取り返しがつかないケースが多い。避けられない部 分もあるが、日常のちょっとした気遣いで早期に発見し、早期に治療が可能な 場合もある。酒に溺れず、色に狂わず、本業に注力し、精を出せば、結果は必 ずついてくると信じることだ。老舗の家訓や家憲にも、その知恵がいっぱい詰 まっている。孝行と養生。自分自身の心がけでできることだ。