**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第779回配信分2019年04月01日発行 京都の老舗の家憲や家訓から学ぶシリーズ:第5回 堪忍と知足 **************************************************** <はじめに> ・京都の老舗家訓シリーズの第5回は「堪忍と知足」。福田家の「常盤家の 苗」の巻頭に記された言葉には「忍の字は、身の内乃主也、不断に七情の客来 あり、よく考へいづれも忍のあしらひ方第一其品々しるしがたし」とある。堪 忍の哲学をもって家門、家名相続の第一義に立てている。七情とは、喜、怒、 哀、懼、愛、悪、欲の人情を言う。つまり、いろいろと千差万別の客が来る が、客の性格をよく見抜いて応対し、どのような客に対しても気持ちよく接す るためには、気に食わぬことでも腹を立てずに堪忍のもてなしが大事と説いて いる。 ・渡世の哲学には、「何事も只堪忍のこの箱に世々納めたる家ぞめでたき」。 「堪忍のなる堪忍がかんにんか、ならぬ堪忍、するが堪忍」。「愚痴、短気、 りんき怒りの胸の火を納めたる家ぞめでたき」。「堪忍すれば商人は銀を儲 け、工人は季節を易く越え、(以下略)」。これらはいずれも堪忍の哲学を簡 潔に家訓に織り込み、昔から商人の家に代々伝わる哲学である。当時の士農工 商の身分制度からすれば、お上に立てつくなどは論外で、ひたすら辛抱せよと の意識が見て取れる。しかし、それが最後の最後に花開くのだ。 ・堪忍とは偏執のこころをつつしむことであり、己に克つことであり、わが身 勝手に打ち勝つことであると、当時の石門心学の学者布施松翁は、堪忍の徳を 称えて次のごとく書き残している。「今日いいたいことを明日まで堪忍する。 酒を飲んだり、肴を食うのもすこしずつかんにんし、よい着物をきたいと思う のも今日一日のかんにんと思って、先に延ばすのが、己に克つということであ る。」と堪忍の徳を称え、堪忍箱の設置により、家内中の堪忍の例をあげ、花 見に行きたいときのおカネから一部を堪忍箱に入れさせた。 <堪忍のDNAが組織の中にあるか> ・ここでいう「堪忍」という意味は、いい意味での「辛抱」であり「克己」の 精神を指すのであろう。「我慢」とは自ずと意味が異なる。「我慢」とはした いことをしない「我慢」であり、「堪忍」とはしなくてもいい贅沢を慎むこと である。ここ一番、おカネを使って散財をしようと思う心を、すこし待てよと 戒めて、そして冷静にことを判断し、少し先延ばししてもいいと思えば、「堪 忍」の気持ちで保留し、延期する。そうしても、差し支えないものが「堪忍」 の対象になる。やせ我慢で「堪忍」していていは事業が成長しない。 ・この「堪忍」の思想は「倹約」の精神にもつながるのだろう。「節約」と 「倹約」は異なると思えるが、いずれにしても贅沢を戒め身の丈に応じた生活 態度を貫くことを説いている。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という有名な フレーズは、まさにこれを言い表しているのだろう。お客の難題のクレーム も、逆に言えば、裏を返せば、それがクリアー出来たらビジネスチャンスがあ るということだ。じっと「堪忍」してお客の無理難題を一生懸命傾聴して、解 決策が閃けばそれが立派なビジネスチャンスになる。 ・ドラッカーが言った「変な客ほど本命」という有名なフレーズは、いったん 「堪忍」の気持ちを持って「変な客」の要請にじっと耳を傾ける。そのなかか らビジネスチャンスの本質が見えてくる。「変な客」の要求を初めから聴く気 のない人と、「堪忍」の思想が分かって、まずは聴く姿勢を保つのができる人 との差は大きい。本業を長く発展成長させていくには、時代と共にビジネスの 内容も変えていかないといけない。その際に「堪忍」のDNAが企業の中にある のと、ないのとでは大きな違いがある。 <足ることを知ることは難しい> ・次は「知足」。向井家の「家内論示記」には、「事足ハ足ニ任テ事足ラズ。 足リテ事足ル身コソ安ケレ」。「うへをみな、身のほどをしれ、身分相応に」 という「分限思想」は「足ることを知りて上を見ず、身の程を知って万事堪忍 すること、肝要の工夫なり」「何事も足るを知り、一生に堪忍つよき、人はあ んらく」といった「知足」の思想と固く密接に結びつく。老子の中にも「足る を知って足れりとする者は、即ち富み、かつ恥辱を受けない」と記されてい る。この老子の哲学思想が当時の身分制度にも大きな影響を及ぼした。 ・五用心慎草には、「また第一番に用心すべきは欲という火の元なり。この火 盛んなること、身も家も焼き、人をも炎に落としいる(中略)。この猛火を避 けんとするならば、愚痴の雲をはらい、真実の眼を開き、足ることを知るべ し。足ることを知るものは、貧しくても富み、足ることを知らざるものは、富 みても貧し。天命にかない、足ることを知る人を長者という。福者ともい う。」とある。私心私欲を去って本心に立ち返り、自ずから知足安分の境地に はいることが大事であると説いている。 ・京都龍安寺の石庭の案内文に、寺にある「吾れ唯足ることを知る」の蹲は徳 川光圀の寄進によるもとをいわれているが、「禅とは、吾れ唯足ることを知る 宗教である」と紹介されている。「知足安分」の思想が封建社会の枠内で生き ていかなければならなかった当時の町人の世界観、社会観、人生観に大きく影 響している。峰山町の矢谷家の家訓には、「足ることを知れば家は貧しくとも 心は福音」とある。「足ることを知らざれば、家は富めりといえども、心は貧 者なり」と明確に記されている。 <間違った経営者の方も多い> ・この「知足」という「足るを知る」ことは非常に大事な心構えだが、「足る ことを知りたとて、為すべきことをなさず、なるべきことをなさずして貧乏を 自慢する」人は、この「知足」という精神をはき違えた人であるとも書いてあ る。曰く、「過ぎたるは及ばざるが如し」という古来からの名言にあるよう に、過剰な「知足」の意識は成長を妨げ、発展の阻害になる。このあたりの案 分が非常に難しく、何が正解で何が間違いと言う答えは、未来永劫にない。時 代時代に合った経営感覚で切り抜けるしかないのだろう。 ・しかし、身の程を知るということも大事だ。いっときの隆盛で非常に多くの 財をなした経営者の方を多く存じ上げているが、その財を未来に正しく投資さ れた方と、自分の力だと過信して豪邸を建てて没落した方は枚挙にいとまな い。どうしてそのようになるのだろうかと、あとで振り返れば簡単なのだが、 その時点での当事者は気が付かない。周囲からはいろいろなアドバイスや諫言 があっただろうが、傲慢になった精神はそれを聞き入れる余地がなかったのだ ろう。いまになって、ああそうだったと悔やんでも仕方ない。 ・足るを知ることから、次に何をするかが大事なのだ。正常なおカネの使い方 を知っていて、未来に向けて前向きな行動ができれば、足るを知っていても、 次の足るを知るために行動できる。人財の獲得に投資をするのか、設備に投資 をするのか、研究開発に投資をするのか、市場を変えることに投資をするの か。これらはすべて経営者の決断だ。ただ、決断をする前に熟慮する時間が要 る。それには、過去を振り返り「知足」のマインドを持って、次の「足る」を 正しく探しに行かないといけない。「正しく」が大事なのだ。