**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第785回配信分2019年05月13日発行 年代別に人生の転機を振り返るシリーズ第2回 20代の転機:労働組合の役員就任 **************************************************** <はじめに> ・人生20歳代はいろいろなことがあった。大学の卒業、就職、結婚など人生の 大きな転機が目白押しに並んでいる。その中でも特筆すべき人生の転機は、24 歳のときだった。その年の4月に結婚したのだが、当時勤務していた三菱レイ ヨン豊橋事業所で労働組合の役員改選があった。22歳で就職し配属された愛知 県豊橋事業所は、3万坪の敷地に2棟の大きな建屋があり、真ん中に事務所棟 がある。3000人が働く大きな事業所だ。ちなみに愛知県の豊橋市の当時の人口 は30万人。100人に1人が三菱に勤務する典型的な企業城下町だ。 ・3000人のうち高卒社員やパート社員が9割で残りの1割が大学卒の本社採用 社員。歴然とした学歴社会で、待遇も身分も処遇も住環境なども、大きな差が ある。成岡の配属された職場は3交替勤務の社員も含め約100名。そのうち大 学卒社員は8名。残りはすべて工業高校卒のブルーカラー社員と女子社員。そ してゼンセン同盟三菱レイヨン労働組合豊橋事務所があり、10名の組合役員が いる。従業員の学歴分布に合わせて、9名が高卒の社員から選ばれた組合役員 で、1名が学卒代表の組合役員と言う構成になっている。 ・新卒で配属され、持ち前の人付き合いの良さで職場でも可愛がってもらっ た。推されて3年間職場ごとの対抗戦運動会の応援団長を務め、応援合戦で3 年連続優勝した。サッカー部や野球部に所属し、独身寮の横のテニスコートで は休みの日は終日テニスをやりまくった。そういう目立った活動が当時の組合 長の北澤さんの眼にとまり、学卒代表の組合役員に推挙された。それまでの前 任の木村さんからの推薦もあり、同じ大学の先輩からの推薦は断りにくかっ た。何をするのかよく分からないまま、まあ、なんとなく引き受けた。 <組合活動とは選挙活動> ・10名の組合役員はそれぞれ担当がある。青年部、調査部、広報部など一応の 役割が決まっている。一番軽いのが規範部という部門で就業規則に違反し懲戒 処分を受けた従業員の審議に当たる部門だ。まず、そんな懲戒処分はめったに ない。なので、規範部長は閑職の最たるものなのだ。とりあえず組合が何たる かが分からない新米学卒役員は、まずこの規範部長に就任することになった。 毎月1回の組合理事会に参加し、終わってからお決まりの飲み会になる。残り の9名の高卒理事は全員経験者。成岡が全くの新人で素人だった。 ・しばらくすると組合活動とは何たるかが、おおよそわかってきた。最大の仕 事は選挙活動なのだ。選挙は衆議院、参議院の国政選挙から、県会議員や市会 議員の地方選挙、そして首長を選ぶ知事選挙や市長選挙などがある。これらを すべて選挙活動と称して手伝わないといけない。特に、一番身近な地方選挙で ある豊橋市議会議員の選挙は会社挙げて応援するので、最も力が入る。当時組 合役員の一人であったHさんを市会議員に担ぎ出すというプロジェクトが立ち 上がり、この活動に半年専従することになった。 ・つまり職場を半年離れ、仕事は毎日選挙活動をするのだ。10名の組合役員は それぞれ役割を分担し、戸別訪問、名簿集め、電話部隊、選挙カー運転、立会 演説会など、選挙には多くの仕事がある。成岡は日中は戸別訪問の一部地域を 担当し、夜は電話部隊の責任者を務めた。他に公示日当日はポスター張り、演 説会の夜は会場整理、投票日には足のない会社の人の送迎係をするなど、多く の役割をした。考えれば選挙運動とは、一種のプロジェクトであり、ゴールは 明快だ。このプロジェクトに参加したことがのちのち大変役立った。 <選挙活動は役に立った> ・個別訪問は営業と同じだ。後援会に入っていただいた方の自宅を訪ねて、支 援や応援を依頼する。職場の付き合いで仕方なく名前を書いた人がほとんどだ から、本音のところは分からない。単に投票を頼むのではなく、こちらの人間 性を売らないといけない。この経験はのちに転職した際に非常に役立った。投 票依頼電話チームの責任者の仕事も、あとで大いに役立った。女性チームをま とめるとはどうすることか、トラブルに対処するにはどうするか。マニュアル はあるが現場ではほとんど役立たない。臨機応変の対応が必要だ。 ・立会演説会の即席弁士もやらされた。候補者の到着が遅れたので、間に合わ せに適当にしゃべらないといけない。なにせ残り全員は高卒の役員で、成岡だ けが大卒だから結果を出さないといけない立場なのだ。10年間豊橋事業所に在 籍した間に、多くの選挙活動を経験した。やはり、こういう経験は実際にやっ てみないと分からないことが多い。スタンドで観戦していても、実際に試合に 出てプレーしないと分からないことが多いのと同じだ。この貴重な経験が出来 たのも、たまたま組合の役員になったからだ。 ・組合の役員に推薦されたとき、正直何をするのか全く想像がつかなかった。 前任者からの依頼と、組合長からの強い推薦が、先に職場の上司に届いたの で、断るすべがなかった。初めから承諾することが必須の委嘱だったが、本人 はいたって能天気で、特に深刻に悩むことではないと割り切った。また、頼ま れたら断れないという性格も手伝って、あっさりお引き受けした。初めから主 な活動は選挙の手伝いだと聞いていたら、おそらく断っただろう。半ばだまし 討ちや後出しジャンケンのようだが、人生とはそういうものだろう。 <何事も経験は役に立つ> ・20歳代のこの想定外の組合役員と選挙活動の経験は、以降の転職の際に最も 役に立った。豊橋事業所での現場の仕事の経験は、のちの転職後の仕事にほと んど役に立つことはなかった。化学をベースにした製造業のものづくりの現場 での経験やノウハウは、転職した以降の仕事では全く役立たなかった。それよ り、数度の半年間の市会議員選挙プロジェクトの経験は、以降の新しい仕事の 際に大いに役立った。打算的に役立つだろうから組合の役員を経験すればいい と思ったのではない。依頼されて、断りにくかったのが本音だ。 ・しかし、人生の転機とはそんなもので、そのときは偶然のなせる業というこ とが多い。計画を綿密に立てて、その計画を着実に実行し期待される結果を出 すというのは、実際には不可能ではないだろうか。たまたまの機会を、ポジ ティブに捉えて、とにかく断らずやってみないと分からない精神で、何事にも トライするというチャレンジマインドは、実はこの組合活動と選挙活動で培わ れたものだ。最初は戸惑うことが多かったが、徐々に慣れた。成岡を推薦した 人を逆恨みしても仕方ない。要は、自分で決めたことなのだ。 ・20歳代の最大の転機は、この組合活動に参加した、いや役員として参加させ ていただいたことだろう。実に得難い経験をした。戸別訪問はのちの営業活動 の原点になった。電話チームのリーダーの経験は女性職場でのマネジメントの 参考になった。即席の応援弁士の経験はのちに講演や講義の際に大いに役立っ ている。人生で役に立たない経験や仕事はないのだ。要はなにごとも前向きに 考えるかどうかだ。いやいや引き受けたのではない。偶然のなせる業だが、頼 まれれば断らない。何事も、やってみる精神は、ここから生まれた。