**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第792回配信分2019年07月01日発行 年代別に人生の転機を振り返るシリーズ第9回 50代の転機その2:社員のレベルの高さに圧倒される **************************************************** <はじめに> ・間違って中途採用に応募して、申込フォームから応募のデータを送信してか ら、実は若手の営業社員の中途募集だと気が付いたが、とき既に遅し。お詫び のつもりで手元にあった履歴書と職務経歴書を郵送したら、それを見た代表者 が電話をしてきてもらったのが、きっかけになって転職が決まった。人生とは 予期せぬことの連続なのだ。実は、これには後日談があって、成岡が郵送した 書類を直接代表者の社長が封を開けたのではない。どこの企業でも同じだろう が、総務系の仕事をしている担当者が、まず郵便物は点検する。 ・代表者宛の郵便物でも、よほどのことがない限り、担当者が封を切る。そし て、中味を先に一度点検し、これは特に社長に渡さなくてもいい書類はそこで 止まるのが普通だ。成岡のケースは、実はまず総務のA君が封を切って中味を 見たという。そして、彼の判断でこの中味は社長のHさんに見せた方がいいと 思って、手渡したという。入社してA君からそのことを聞いて、人生とはほん とに僅かのことでいろいろなことが起こるのだと、改めて思い知った。このA 君の計らいがなければ、S社に転職することもなかっただろう。 ・おそらくS社に転職しなかったら、転職先は見つからず、そのまま独立の道 を選んでいたと思う。そうだとしたら、果たして現在のようになっていたか は、誰も分からない。なんとなく想像だが、いまほどのレベルには達していな かったのではなかろうか。このベンチャーのS社に転職したことで、それまで 京都の田舎の中小企業でお山の大将でいた自分が、驚きの経験をすることにな る。このベンチャーS社での2年間がなければ、いまどうなっていたか分から ない。独立してからの15年に多大な影響を与えた2年間となるのだ。 <3度目の東京単身赴任に> ・最初の1か月は京都本社で過ごした。この1か月の間に、数回の東京出張が あり、東京支社の連中と数回顔を合わせた。京都の本社は、本社とは名ばかり で、実態は東京支社が本社のようなものだった。代表のHさんもほとんど東京 に行っており、単身赴任をしていた。京都に10名弱、東京支社に60名以上とい う布陣であり、完全に営業の中心は東京だった。ビジネスモデルが主に新卒採 用のアウトソーシングを請け負うのだから、大企業の本社が集中する東京支社 が中心になるのは当然の成り行きだった。 ・1か月が経過しようとする5月の連休前のある日にHさんに呼ばれて、東京 への転勤の相談があった。もう完全に東京が中心なので、単身赴任で東京支社 に転勤してくれないかというオーダーだった。二つ返事で承諾し、連休中に会 社の近くで単身赴任の住まいを探すことになった。東京支社は赤坂見附から徒 歩5分と言う便利な場所にあり、6階建てのビルの3フロアーを借りていた。 東京支社から歩いて10分くらいのTBSテレビ局の近くのワンルームを借りるこ とになり、3回目の単身赴任生活が始まった。楽しかった。 ・とにかく会社に近いことは、非常に楽だった。ほとんどの東京支社のメン バーは通勤に1時間以上かかるのが普通で、山手線の内側に住んでいるメン バーは皆無だった。朝の1時間以上の通勤は、本当に地獄で会社に着くまでに 相当のエネルギーを消耗する。それが歩いて10分と言うのは、距離感も抜群だ し、気分もリフレッシュする。代表のHさんも近くに単身赴任の場所を借りて いた。遅くなっても帰りも楽だし、赤坂見附の周辺には食べるところも、飲む ところも事欠かない。大使館も多くあり、外国人も多かった。 <若くて素晴らしい人材> ・東京支社のメンバーは若くて、エネルギッシュで、元気があった。会社自体 に活気があふれていた。平均年齢が26歳と若く、ほとんどが高学歴であり、中 途採用者が大半だった。その前職のキャリアがまた素晴らしい。外資系の企業 や一流企業、大手都銀、コンサルティング会社など、華々しいキャリアを引っ 提げて転職してきた若者の会社だった。しかし、勤続は3年には至らず、一定 のキャリアを積んだら退職するメンバーも多かった。優秀であるがゆえに、入 れ替わりも激しかった。役員は全員リクルート社からの転職組だった。 ・今でも印象に残っているHさんという女性は、30歳を少し超えてはいたが独 身で背が高く、何より素晴らしい美人だった。美貌が素晴らしい女性ほど冷た い感じがするが、Hさんは外資系の有名企業で広報を担当し、何より話し方が 際立っていた。声も素敵で、新人の教育係を拝命していた。電話での応対も素 晴らしく、聞いていてほれぼれするくらい話し方が上手だった。成岡も少々電 話の応対などは自信があったが、Hさんはその道では本当のプロだった。これ くらいのレベルの高い人材が、履いて捨てるほど在籍していた。 ・YさんはITのプロ。Kさんはプレゼンをさせたら一流だった。資料の作り方も 洗練されていた。Tさんは面接官をさせたら、それは素晴らしかった。質問の 仕方や、会話のキャッチボールのポイントを心得ていた。そして全員がパソコ ンに精通し、会議も紙の資料はほとんどない。データを自分で作って、プロ ジェクターでスクリーンに映して議論する。会議には全員がノートパソコンを 抱えてやってくる。資料は共有のフォルダーから取り込んで自分で加工する。 全員がライバルであり、全員が助け合う。素晴らしい企業文化だった。 <レベルの高さにびっくり> ・とにかく時間に関係なく、よく働く。繁忙期が10月以降に集中し、それくら いから徹夜するメンバーも出てくる。日中は出張で大手企業の人事部スタッフ と面談し、東京支社に戻ってから資料を作成する。新卒採用の複雑な面倒な業 務を、人事部に代わってすべてを代行する。電話の応対から、会社説明会の段 取りと当日の運営、面接の呼び出し、面接官の教育、ホームページの改編、会 社案内の作成、PR用の動画の撮影など、一時期は毎日終電でないと帰れない 日々が続く。それでも、誰も文句を言わないで目先の課題に取り組む。 ・こういう姿勢を見て感動した。これくらい全社員にイズムが徹底していた ら、素晴らしいパーフォーマンスが生まれる。そうなるための日常の仕掛けも いろいろとしてある。オンオフの切り替えも大事で、社員の誕生日には突然の パーティが夕方から始まる。アルコールをオフィスに持ち込み、即席の誕生会 が始まる。そこそこ飲んでから、またデスクに戻って仕事を始める。この切り 替えの見事さには、目を見張るものがある。飲み会も、深夜の22時くらいから 始まることが多い。終電の時間でお開きになる。 ・京都の田舎の企業で、古臭い体質の中で頑張って改革を進めてきた自負が あったが、見事にそれを打ち砕かれた。相当なショックであり、お山の大将の 気分で東京支社に乗り込んだが、これは大変だと覚悟した。もう一度勉強し直 さないといけないと、腹を括った。診断士の資格など、このベンチャーのS社 では何の役にも立たない。結果とそこに至るプロセスが大事であり、全員が毎 日切磋琢磨している。手を抜くと完全に置いて行かれる。このベンチャーS社 での貴重な2年間の体験、経験は、のちの人生に大きな影響を与えた。