**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第794回配信分2019年07月15日発行 年代別に人生の転機を振り返るシリーズ第11回 50代の転機その4:IPO取り下げが聞き入れられない **************************************************** <はじめに> ・このままIPO路線を目指して走るのか、果てまた引き返すのか。二者択一で はないが、非常に重要な経営の意思決定の場面に差し掛かっていた。このS社 の意思決定の方式は非常にシンプルで、ほとんどの重要な経営課題は役員会で 討議する。まさに本当の意味での役員会であり、そこで社長以下4名の役員が 本音をぶつけ合う。一概に多数決ではないが、それなりに議論を尽くして代表 者一任になる場合もあれば、結論に至らず保留再検討になる場合もある。昇 進、昇格、昇給、賞与の評価などの人事案件も、この場で決める。 ・事業計画や予算、人事案件、投資案件など経営上の重要な課題に関しても討 議される。若い企業だったが、非常にまともなマネジメントスタイルで、同族 のいい加減で中途半端な役員会に慣れていた自分にとっては、非常に新鮮で迫 力があり、これが本当の役員会の姿だと感じたものだ。H社長が40歳、その他 の役員も全員30歳台であり、聡明で判断力も備わり、人物としても優秀だっ た。レベルも一定以上に揃っていて、時間管理もできていた。ただ、まだ若 かったので人生経験という意味では、成岡に一日の長があった。 ・この役員会で、IPO路線に関して喧々諤々の議論が起こったのは言うまでも ない。4億円のファンドからの投資は重たく、それも数年前にIPOをするべき ところが、業績の伸びが鈍ったため保留になっていた。期限は迫り、なにがし かの結論を出し、外部の投資会社、機関へ会社としての方針の説明が必要だっ た。このままでは進むも地獄、退くも地獄の板挟みになり、早晩このファンド からの投資案件は空中分解する可能性もあった。4億円は確かに多額だが、い まなら引き返すこともできるだろう。退却は不細工だが仕方ないか。 <市場がレッドオーシャンに> ・成岡自身の中では、まだこのS社での在籍期間は短いものの、おそらく退却 にならざるを得ないと腹を括っていた。いったん、金融機関から融資を受けて 4億円をキャンセルして、10年で返済するのが妥当ではないかと、当時は考え ていた。当時のS社の実力なら4億円の返済は可能だった。ただし、代表のH社 長の個人保証は入れろというだろうとの想像は容易にできた。これが難関かも しれないと、密かに危惧していた。案の定、この案を出すと当事者のH社長か ら否定的な見解が表明された。個人保証はできないと。 ・理由は本稿では省略するが、もっともな個人的理由だった。ここで、IPO保 留案は暗礁に乗り上げる。となると、前に進むしかないかもしれないが、当時 の業績はあまり伸びを感じさせない数字になっていた。急激な成長期待か、安 定的に継続的に一定以上の成長を確実に刻めるか。そのどちらでもないという 中途半端な状況に陥っていた。やはり競合他社の攻勢は激しく、顧客企業の取 り合いになっていた。ブルーオーシャンがレッドオーシャンに変わりつつある 過渡期の状態であり、各社が生き残りをかけて必死だった。 ・当然、幹部社員の引き抜きやハンティングもある。S社も競合他社から、某 幹部を営業部門の強化のためヘッドハンティングしていた。ヘッドハンティン グ企業を使うより、自分たちの周辺の人脈を駆使して、声をかけ、食事に誘 い、条件を提示して、代表者に会ってもらい、口説き落とす。高額の支度金を 用意することはほとんどなく、おカネではなくモチベーションでリクルーティ ングするのが常道だった。おカネではないので、説得に時間がかかり、いい線 までいっていた案件が、最後の最後で没になるケースも多かった。 <役員会は多数決でIPOへ> ・いくら優秀な幹部人材をハンティングしてきても、最後は業績がものを言 う。その期の決算数字が出たが、やはり予想通りあまり芳しい業績にはならな かった。可もなく不可もない中途半端な業績になり、説明はつくが納得が得ら れるかは不透明だった。決算説明のためH社長と数か所の投資会社と企業を訪 問し、説明はするものの納得感は得られなかった。会社としての方針の説明を 求められ、返答に窮した。H社長と成岡との返答のニュアンスに微妙な隙間が 感じられた。やはり、H社長は強行突破の腹を固めたようだった。 ・その後の役員会はIPOに関する御前会議となった。その役員会は、他の議題 を一切上程せずIPOに関する事案のみに集中して討議することとした。数時間 の意見交換、討議の最後に、もう一度役員各自が各自の意見を表明した。成岡 は取り下げの意見を上申したが、他の役員は全員IPO目指しての強硬突破を表 明した。ぎりぎりで何とかなるとの意向だった。初めて多数決の方式が採ら れ、多数決でIPOを目指して至急に準備に入ることが決定した。この時点で、 成岡がIPOの推進責任者だったので、いかんともし難い立場になった。 ・確か役員会は土曜日だったと記憶しているが、夕方に終わってその土曜日は 役員会終了後京都に戻る予定だった。赤坂見附の会社のビルを出て、地下鉄に 乗って東京駅に着き、そこから新幹線に乗り換えたが、どう歩いてどうした か、あまり記憶が定かではない。頭が相当混乱して、これから起こるべき事態 を想定し、整理がつかなかった。多数決だから仕方がないとはいえ、この結論 には承服できなかった。以前に在籍した出版社では、代表が義兄だったことも あり、遠慮もあった。あまり水を差すような発言は控えていた。 <辞任に腹を括る> ・しかし、義兄の立場に配慮をして言うべきことも言わないで、自分の意思に 反した結論に妥協したことは何度もあった。それが、周り廻って会社の破綻に 間接的につながったのではないかと、ずっとトラウマになっていた。ベテラン の女性幹部からも、一族同族の役員の責務は代表取締役社長に対し、耳の痛い 諫言をすることだと破綻してから叱責された。確かに、我々同族一族がもっと しっかりしていたら、100億円300名の出版社があのようにあっという間に破た んすることはなかったのではなかろうか。非常に心が痛む。 ・この反省は、心の中でずっと引きずっていた。周囲に気を遣い、言いたいこ とも言わないで封印することの是非に関し、心の中で大きな葛藤があった。新 幹線の車中でずっとこのことを反芻していた。そして、京都駅に着いた時点で 心は決まった。首をかけてIPOを取り下げてもらおうと。そして、それが聞き 入れられない場合は、潔く役員を辞任し、IPO準備の責任者を降板して、会社 を辞めようと思った。IPO準備の責任者がIPOに反対していたら格好がつかな い。そう決めたら、非常にすっきりした。つきものが落ちた感じだ。 ・ダメな場合のことは考えなかった。H社長は成岡の意見は聞き入れないだろ う。役員会での決定は会社としての意思決定であり、いくら成岡が年長の役員 でも、その結論をひっくり返すのは難しいだろう。会談は決裂するだろうとい うことは、容易に想像できた。決裂の後、どうしようかというイメージはな かった。とにかく全身全霊をかけてH社長を説得しようと腹を括った。ダメな らダメで仕方ない。それくらい開き直った決心ができた。そのとき、今度S社 を辞めたら独立しようと、決心した。不安だったが、選択の余地はなかった。