**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第800回配信分2019年08月26日発行 特別号:800回記念号 〜800回16年を振り返る〜 **************************************************** <はじめに> ・今回800号を記念して、過去の800回を振り返ってみたいと思う。800回は毎 週毎週発行して、年間52回とすると約15年から16年に相当する。なにがきっか けでこのメールマガジンを発行したかというと、診断士の資格を取った平成12 年の当時はまだ印刷会社に役員として勤務在籍していた。その時点で資格を 取ったものだから、何を思ったか異業種交流会を主催したりして、社外でのい ろいろな活動を始めた。そこで、印刷会社を辞めてベンチャー企業に転籍した のだが、東京に単身赴任転勤になった。せっかく京都で異業種交流会を主催 し、知り合いも多くなったのに東京に行くことになり、また疎遠になる。これ はまずい。 ・東京に行っても京都の知り合いと何かつながっておきたい。関係が途切れな いようにしたいとの思いから、何か方法はないだろうかと考えた末にたどりつ いた答えが、このメールマガジンだった。当時、ようやくインターネットが爆 発的に普及し、メールという便利なツールが世間で認知され出した時代だっ た。通信速度は遅かったものの、多くの対象者に無料で情報を配信できる方法 があることは、画期的なことだった。かくて、東京に単身赴任した平成14年 (2002年)前後から、このメールマガジンの刊行が始まった。 ・最初は隔週配信だった。2週間に1度の発行になる。2週間といってもすぐ に回ってくるのだが、1週間飛ぶと次の週に配信するのを忘れたことがあっ た。某読者から届いていないとのメールをいただいて、はっと忘れていたこと に気が付いた。ここからが真骨頂なのだが、このトラブルを逆手にとって、毎 週なら忘れないだろうとそれからは毎週配信に切り替えた。毎週なら絶対に忘 れないからだ。そして、日曜日の朝に送信する暗黙のルールも確立した。月曜 日の朝一番に開いたら、着信しているようにするのは日曜日の朝に配信すれば いい。 <2002年〜2007年> ・東京の単身赴任は2年で終わり、平成16年(2004年)に会社を設立した。そ のころ発信した原稿も全部データで残してあるが、いま振り返ると非常にお粗 末で恥ずかしい。まだ診断士としては駆け出しで、会社も設立して間がなく、 何からどう手を付けていいのか、全く暗中模索状態だった。そのころはテーマ も決めず、ただ何となく思いついた経営のテーマを毎週毎週悪戦苦闘して書い ていた。字数もばらばらだったし、今のようにきちんと割り振りをして書いて いたのではない。短い週もあれば、相当に長い週もあった。 ・何より診断士としての経験が乏しかった。唯一あったのは、10年の製造業の 経験と、15年の出版社の取締役としての経験、5年間の印刷会社の取締役とし ての経験、そして最後のベンチャー企業での2年間のIPO担当の取締役として の経験だけだった。これでは毎週毎週の気の利いた経営に関する2000字以上の コラムは書けない。最初の頃は仕事もほとんどないし、時間はいっぱいある。 そこで文章を書くより、とにかく多くの書籍や雑誌を読むことに時間を割い た。ビジネス雑誌や日経新聞、また書評でとりあげられたビジネス書籍だ。 ・おカネに糸目をつけずとにかく片っ端から読破した。やはり上手な文章を多 く読むことは非常に勉強になる。そして、少しずつ少しずつお仕事が入るよう になってきた。そして、あるご縁があり京都府の中小企業再生支援協議会のス タッフとしてお声がかかった。3年間お世話になったが、駆け出しの診断士と しては非常に多くのことを学んだ3年間だった。一気に知識教養が拡がり、実 際の支援現場の経験も飛躍的に高まった。毎週のメールマガジンに書くネタも 一気に広がり、増えていった。画面に向かって手が動かなくて困る時間が激減 した。 <2008年〜2013年> ・再生支援協議会のお仕事が一段落したころ、今度は同志社大学の社会人大学 院、俗に言うビジネススクールの講師のお話しが舞い込んだ。当時大学院の教 授であった中田教授が新しい中小企業経営の科目を増やすために、地元京都で 誰か講義のできる講師を探しておられた。そこで中田教授は東大の同窓で経済 産業省での友人であった方に、誰かそういう人はいないかとお声をかけられ た。その方が成岡と知りあいだったという縁で、ご推薦いただいた。面接を受 け、文科省に出す多くの書類を書き上げ、ようやく初年度の講義が始まった。 ・このビジネススクールの講師のお仕事は、いまだに続いている。もう8年目 に入っていると思うが、まだ担当させていただいている。受講生の社会人は毎 年入れ替わるが、全く同じ内容を毎年やっているのではない。この社会人受講 生との付き合い、つながりも大いに刺激になる。メールマガジンで書くネタも 多く提供いただいている。なにより、学生が社会人だから当方よりある分野で は経験が豊富な方が多い。また大手企業に在籍していたり、特殊な業界にい らっしゃったり、中小企業の後継者がいたり、金融機関にお勤めの方もいる。 ・それぞれがそれぞれの動機で高い授業料を払い、平日の夜と土曜日をほとん ど朝から晩まで潰して勉強に来る。平日の夜は、課題の宿題をやり遂げるのに ほとんど徹夜状態の人もいるだろう。しかし、明日は普通に会社に行って仕事 をしないといけない。大谷選手の二刀流ではないが、ピッチャーとバッターの 両方を完璧にこなさないといけない。これは相当の覚悟がないとできない業 だ。この真剣勝負のど真ん中に身を置くことも、非常に緊張感があり有意義 だ。もらっている講師料以上の価値がある。メールマガジンに書くネタも山盛 りある。 <2014年〜2019年> ・ここ4年くらいは、事業承継のお仕事にどっぷり漬かっている。4年前に京 都府事業引継ぎ支援センターができることになり、初代の統括責任者を仰せつ かった。初めは、それこそ何もないところからのスタートであり、非常に苦労 したが3年、4年と経過し、相当認知度も上がって、どうにか世間で知っても らえる存在になった。まだ、満足な結果を残せたわけではないが、一応の成果 は少しずつではあるが、出てきている。特に後継者のいらっしゃらない企業や 事業所の廃業が食い止められ、従業員の雇用が継続できたときは、非常に嬉し い。 ・この事業承継がテーマの場合、メールマガジンに書くネタとしては最高だ。 書き方には気を使うが、ひとつとして同じ事例や案件はなく、それぞれに人間 ドラマがある。単なる親族承継でも、長く歴史を紐解けば、必ずそこにはドラ マがある。外部から見ても分からないが、100社100様であり想定外の事態が起 こっているケースも多い。見込んで娘婿を招聘し失敗したケース。従業員に委 嘱して断られたケース。代表者の突然の逝去ですべての計画が狂ってしまった ケース。兄弟で在籍しけんか別れして両方の企業がダメになったケース。 ・それぞれのケースにはそれぞれの想いがある。数字だけではない人間ドラマ がある。このメールマガジンに書いたら、不謹慎だが面白いだろうと思う事例 もある。テレビドラマの脚本が何本も書けそうだ。企業が永く続くことがいか に難しいことか。自分でも事業をしているので、痛いほどわかる。しかし、会 社はいったん作ったら継続することが前提だ。地域社会に何らかの形で貢献 し、従業員の雇用機会を創出し、利益を挙げて税金を払う。それが本当の企業 経営だろう。一応のイメージでは、あと200回で1,000回までは続けようと持っ ている。 そこまで続けられる気力、体力、知力を日頃から養っておかないといけない。