**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第903回配信分2021年08月16日発行 2021年お盆特集 〜京都成岡の実家のお盆の宗教行事〜 **************************************************** <はじめに> ・今週号はお盆休みの期間になるので、毎週のビジネスバージョンから少し離 れて京都のお盆の生活習慣をご紹介しようと思う。その家の伝統や習慣、宗教 などでも異なるので、全くこれがどの家でも同じではないだろうが、成岡の実 家ではそのようにしていたいというのをお伝えしようと思う。宗教に関して言 えば、同じ仏教でも宗派によってお盆の過ごし方は大きく異なるようだ。実家 は禅宗の臨済宗だったので、お盆の行事はこと細かい。ところが、浄土真宗で は大きく異なる。先祖の霊が、お盆の時期には家の仏壇に戻って来て、しばし お盆の期間滞在するということはない。そもそも先祖の霊が、あの世からいっ たんお盆の期間に戻るという考えがないようだ。自力と他力の違いだという。 ・家内の実家は福井県の浄土真宗西本願寺派のお寺だ。若くして亡くなったお 父さんが西本願寺の総務を務めていた。なので、真宗のお盆の過ごし方に関し ては詳しい。真宗は他力なので、先祖の霊がお盆の期間に戻ってくるという考 えはない。お盆は先祖の霊を弔うという習慣はあるが、家の仏壇に戻って来て しばし滞在するという考えはないようだ。お墓参りはするが、あくまでも通常 のお墓参りと同じだ。ところが禅宗では、この期間先祖の霊はお墓にはいな い。実家の仏壇に戻って、しばし滞在している。なので、お盆の期間はお墓参 りには行かない。行ってもお墓に先祖の霊はいないので、お墓参りの必要がな い。春や秋のお彼岸には墓参りをするが、お盆の期間ではお墓参りはしない。 ・簡単に先祖の霊が家の仏壇に帰ってくると言っても、事前の準備が要る。ま ず、お精霊迎えと言う行事がある。霊魂を迎えるというこの儀式は、7月にな るとお知らせが届く。実家の京都市北区には、近くに「えんま堂」というお寺 があり、ここから毎年ハガキでお知らせが来る。そのハガキを持って「えんま 堂」に行くのだが、そこには家ごとに先祖の名前が書いてある札がいれてある 棚があり、その先祖の霊をお迎えする儀式がある。本堂にお参りし、いただい たお札を小さな川のような水の流れに流して水をかけ、儀式は終わる。これで 先祖の霊が実家の仏壇に帰ってくることになる。このお迎えの儀式をきちんと やらないと先祖の霊が安心して仏壇に戻ってこない。実家の母が高齢になり、 この儀式に行けなくなり10年ほど代行して行っていた。 <浄土真宗から臨済宗に変わる> ・その前に仏壇の掃除を行う。成岡家は、最後は臨済宗だったが、これは近く の金閣寺さんとの縁があってのこと。もともと母の父は広島県の田舎の百姓の 出身。大家族で高校から関西に出て来て京都に下宿をしていたらしい。上京区 の相国寺の境内にある塔頭の離れに下宿して京都大学に通っていた。そのとき は広島県なので浄土真宗西本願寺派だった。ところが大学を卒業し、その後祖 母と結婚するのだが、就職先の生命保険会社の横浜に新居を構えた途端に関東 大震災に遭遇し、命からがら京都に逃げ帰り奥さんの実家に居候する。祖母の 実家は上京区の医者をしていて、患者の一人に京都市長を歴任した方の二号さ んがいて、父親がその方に娘の旦那の就職先を依頼して、二代目島津源蔵さん との縁が出来た。 ・そして、当時のベンチャー企業であった島津製作所に就職し、源蔵さんの秘 書を永年務めた。その後一緒に日本電池に移籍し、永年日本電池の総支配人を 務める。その間に、北区の家を購入し引っ越すことになる。それが昭和27年。 成岡が生まれた年だ。その前年に金閣寺が放火で消失し、再建のプロジェクト が立ち上がる。たまたま祖母の祖先が岐阜県で遠縁の伊藤氏が金閣寺再建のた めに執事長で赴任した縁から、金閣寺の檀家になった。長くなったがその縁で 浄土真宗から臨済宗に宗旨替えした。そこから、お盆の行事が始まることにな る。縁とは不思議なもので、関東大震災に遭遇しなければ、浄土真宗のままで 臨済宗とも金閣寺とも縁がなかっただろう。人生とは、つくづく不思議な縁で 結ばれている。 ・そんな縁で母の実家のお墓は金閣寺の中にある。実は、成岡家の父方は高知 の出身で、実家は真言宗だ。法事で何回も高知市内の父親の生家に行ったこと があるが、立派な仏壇がありお墓は山の中腹にある。真言宗も仏教だが、密教 なのでお墓は習慣的に山の裾野から山頂にかけて設けられている。墓参りは実 は山登りになり、母が高齢になってからはこのお務めも成岡が担当して、年に 1回はお墓参りに出かけていた。真言宗のお盆の過ごし方は知らないが、やは り習慣としては臨済宗や浄土真宗とは違うだろう。父は高校を卒業し、大学を 京都に出てきたので長男ではあったが実家は父のお姉さんが守っていてくれ た。お盆の行事や先祖の弔いは、すべて叔母さんが面倒を見てくれていた。 <薪は護摩木> ・さて、京都の実家のお盆の行事だが、仏壇をきれいに掃除して先祖の霊をお 迎えする段取りをする。この間は約一週間。毎日、毎日お水を替えて、ご先祖 の好物だった食べ物をお供えする。祖父はお酒、祖母はスイカが好物だったの で、毎日お供えを新しくする。そして、小さなお膳にご飯と総菜を手作りし、 小さなお椀とお皿に盛ってお供えする。そして、毎日決まった時間にお経をあ げて線香と蝋燭に火をつけてしばし仏壇の前で手を合わし、先祖に感謝の気持 ちを表す。この一週間は家の仏壇で先祖と一緒に暮らすことで過ごすことにな る。ご先祖の霊は、しばし実家の仏壇でくつろぎ、8月16日の大文字の送り火 と共にあの世に戻ることになる。この間に、成岡が京都にいなかった時期には 子供を連れて帰省し、仏壇の前で手を合わすことになる。 ・さて、16日の大文字の送り火だが、成岡の実家は北区の衣笠にあり、左大文 字の真下になる。お墓のある金閣寺まで歩いて5分。金閣寺の境内にはテント が張られ、この数日間地元の保存会の人たちが揃いの法被を着て、テントで護 摩木の受付をする。護摩木は長さ40センチくらいで直径10センチくらいの丸太 の木材。この木材に願い事を墨で書いて無病息災や家内安全、商売繁盛などの お願いを書き記す。1本確か300円くらいだったと記憶している。親戚の分ま で書くと、10本くらいになり、この護摩木を保存会の人に預けて、送り火の当 日に点火する薪として「お山」にかついで持って上がってくれる。大文字の送 り火は、実はこの護摩木が集められたものだ。 ・大文字当日は早めに夕食を済ませ、20時からの右大文字の点火を見守る。昔 は実家から右大文字も十分見えていた。しばらくして、近所に高層のマンショ ンが建ち、残念ながら右大文字は見えなくなった。次に点火される「妙法」は 左京区の松ヶ崎にあり、角度的には絶対に見えない。その次の「船形」は西賀 茂で、これは二階からわずかに見える。そして、20時15分くらいに地元左大文 字に点火され、次に嵐山の「鳥居形」に点火され、一連の送り火が終わる。点 火は文字の中心の大きな火床に点火され、そこから一斉に大の字の形になって いる各所の火床に点火される。天気がよく薪が乾燥していればきれいに火が付 くが、雨天であったり直前に夕立があったり、必ずしもきれいに火が付くとは 限らない。 <ショーではなく宗教行事> ・点火されて約30分くらいはきれいに燃えている。いつぞや風の強い年に、向 かって右側の一番先端の火床から火が飛んで、周囲の樹木に燃え移り結構大き な火事になったこともあった。そのため、麓には消防車が数台待機して、不測 の事態に備えている。送り火の最中は先祖の霊が家の仏壇から、また極楽浄土 のあの世へ戻っていくので、それを見送る意味でずっと手を合わせて先祖の霊 をお見送りする。宗教的には非常に大事なイベントだが、観光客にとっては点 火のショーのようなものだ。20時の右大文字の点火が始まると、市内の送り火 がよく見える絶景スポットに車が順番に移動する。以前は五山の送り火鑑賞バ スというのがあって、多くの観光客を乗せて、点火の時間に合わせて市内の絶 景スポットに移動する。 ・20時から約1時間くらいは、その車両の移動ラッシュになり市内各所は大渋 滞が始まる。時計と反対廻りに市内をぐるっと回る観光バスの列は、実家の二 階から見ていると結構壮観だった。実は、市内ですべての送り火が一か所で見 られるスポットはないと聞いている。京都タワーなどの高所に登れば別だろう が、いずれかの送り火は見ることができない。それでも、遠目に4か所が見え る場所はある。右大文字が一番きれいに見えるのは、鴨川の出町柳から丸太町 くらいで、そこから妙法も見えるはずだ。例年、鴨川の河川敷は早くからこの 大文字鑑賞の場所取りで大いに混雑する。昨年、今年も大文字の送り火は実施 されたが、超簡素になり例年の風情が感じられないのは、極めて残念だ。 ・送り火の翌日の朝、地元の我々はお山に登って火床に残された「燃えがら」 つまり「炭」を持ち帰る。これでご飯を炊くと病気をしないという言い伝えが あり、律義に毎年翌日に登山して炭を持ち帰っていた。現代ではこれでご飯を 炊くわけではないが、習慣とは恐ろしいもので、毎年やっていることをやらな いと、何か気持ち悪い。かくて、翌日は早朝に一家で山登りし、火床に残され た炭を有難くいただいて帰るのが習慣だった。これで一連のお盆の行事は無事 に終了したことになり、9月のお彼岸には今度はお墓にいるはずの先祖に会い に金閣寺のお墓に花とお供えを持って墓参りに出かけることになる。この良き 伝統も、数年前に母が鬼籍に入り、北区の実家から右京区のマンションに引っ 越して、すべてのお盆の行事がなくなった。お墓にいないことは分かってはい るが、お盆の墓参りは続けている。