**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第913回配信分2021年10月25日発行 高知市にある成岡父親実家の墓終い 〜相当の準備と覚悟が必要〜 **************************************************** <はじめに> ・先週末は父親の実家があった高知市に出かけた。用事は「墓終い」だ。今週 は、この珍しい「墓終い」に関して書こうと思う。毎週のビジネス関係の内容 とは少し離れるが、結構年齢的に参考にされる方も多いのではないだろうか。 父親の実家の「墓終い」を思い立ったのは、今年の春ごろだ。知人の方から、 実家の墓終いを行って結構大変だったとのお話しを伺ったのがきっかけだ。そ の方は、中国地方の実家の墓終いを行い、実家に残っていたお母さんを京都に 呼んで、いま一緒に暮らしている。そのため、もう実家に戻ることはないと決 心して、実家の近くにある先祖のお墓の「墓終い」を行ったのだと言われた。 まさに、成岡の父親の実家のある高知市のお墓も同じだ。これは、考えないと いけないと覚悟した。 ・そこからいろいろと準備に時間がかかった。まず、そもそも「墓終い」とは 何をするのかを調べた。以前に、高知市の実家の解体、更地、売却などを行っ た際に、仏壇の処分を行った経験がある。そのときは、高知市に出向き、知り 合いの不動産屋の方と一緒に大型の仏壇を軽トラックの荷台に積んで、お寺に 届けた。仏壇の中には多くの位牌があり、それらも一緒にお寺に持参した。そ して、仏壇は引き取ってもらい、多くの位牌はひとつにして、「成岡家先祖 代々」という位牌にひとつにしてもらった。そのための供養のお経をあげても らい、お寺の近くの仏壇屋で新しい位牌を作ってもらい、その位牌に字を書い てもらった。仏壇は永代供養と言う形で、そのお寺で供養のお経を読んでもら い、神妙にその間本堂で座っていた。合体した位牌は、京都に持ち帰った。 ・これだけでも結構な費用、時間がかかった、ほぼ丸一日かけて父親の実家の 後始末と、仏壇の始末、位牌の合体、永代供養などを一日で行った。知り合い の不動産会社の社長さんに手伝ってもらい、何とか無事に済ますことができ た。現地に誰か動ける人がいないと、相当難しいだろう。ついでに言うと、そ の後空き家になった実家の解体、蔵の解体、などに別途の時間と経費が相当か かった。具体的な金額は省略するが、これも現地の解体業者の段取りから交 渉、日程の確定、準備など、相当の時間とエネルギーがかかる。高知市の現地 に知己がいないと、これを円滑に行うのは難しい。結局、空き家の解体から仏 壇の始末まで、相当の時間と費用がかかった。半端な金額ではない。 <数年前の空き家の解体> ・しばらく更地になった土地はそのままだったが、そのうちに買い手が見つか り、何とか売却できた。高知市はご存知かと思うが、南海トラフ大震災がひと たび起こると、成岡の実家があった地域は完全に津波で水没する。そうと分 かっている土地を購入するのは、よほどの理由があるはずだ。なかなか売れな かったが、金額を調整した結果なんとか買い手が見つかり、無事に現金化でき た。この取引にも、売り手の責任者は現地に赴かないといけない。土地の売買 と言うのは、簡単ではない。どういう人が買うのかと言うのが問題になり、金 額もさることながら不動産の売買は非日常の最たるものだ。素人が関知できる ものではない。信頼できる不動産業者との連携が欠かせない。 ・実家の解体、蔵の解体も大変だった。特に蔵は非常に頑丈に造ってある。竹 を何重にも斜めに組み合わせ、それを漆喰で塗り固める。非常に硬く塗り固め ているので、重機でないと解体できないが、不幸なことに重機が入らないほど 狭い場所だったので、人力で手作業での解体となった。また、解体で発生する 廃棄物を搬出する仮の道を作らないと、搬出する車が入れない。仮の搬出道を 作るのが、また大仕事になる。実家の解体は、解体の専門業者に一任する。仏 壇は既に持ち出したが、解体ではすべてが廃棄物になるので、蔵も母屋も持ち 出すものは事前に持ち出しておかないといけない。廃墟に近い建物から持ち出 すとなると、懐中電灯から作業服まで多くの準備と段取りが要る。 ・高知市に出向くには、都度伊丹空港から飛行機で行かないといけない。朝の 始発の飛行機に乗るには、自宅を相当早い時間に出ないといけない。往復の飛 行機のチケットを予約でゲットすると、特に帰りの飛行機の時間は絶対だ。作 業にどれくらいの時間がかかるか読めないときは、飛行機ではなくて深夜バス で戻ったときもあった。仏壇の搬出から、位牌の合体、蔵の解体、母屋の解体 などの段取りをスムースに行うには、相当の準備が必要だ。急に思い立ってで きることではない。数年前から周到に準備して、週末を完全に空けられる日程 を確保し、間違いない予定を確保し、実行する。天候の影響もあるし、数ケ月 前から準備していても、急に突発の用事が入ることもある。臨機応変な対応が 必要だ。 <墓終いの親戚の了承> ・実家の処分が一段落したので、あとは墓終いの段取りに取り掛かった。成岡 ももうすぐ70歳になるので、子供たちが今後成岡の父親のお墓を現地に訪ねる ことはないだろうと、容易に想像がつく。高知の実家の墓終いは、成岡の代で 決着をつけておかないといけない重たい課題だ。金閣寺にあるお墓の守りはで きても、四国の高知市に残った父親のお墓のメインテナンスはできないだろ う。また、それを強制することも得策ではない。いま、子供たちはみんな散り じりになって、一堂に会することも少ない。誰が今後父親の実家の墓を守るの かと言う重たい命題を、誰に押し付けるのも良くない。そう考えて、誰にも責 任を持たさないためには、成岡の代で父親の墓の行く末に決着をつけておかな いといけないと覚悟した。 ・さて、誰に高知市の山の中腹にあるお墓の始末を頼むのだろうか。いろいろ なケースがあるだろうが、一般的には墓石を動かす必要があるので、お墓の石 を扱う石材店さんが一番妥当で無難なのではないか。成岡の場合は、従来から 地元の石材店さんにお墓の周囲の清掃を依頼していた。春、秋のお彼岸を中心 に年に2回は最低草刈りをしてもらっていた。もちろん、一定の費用はお支払 いしていたので、都度清掃が終わると写真を撮影し、こちらに郵送してもらっ ていた。その石材店さんのご主人に連絡をとり、先日アポイントを取って現地 で面会してきた。この打ち合わせが今回の高知行きの最大の仕事だった。ここ ですべてを決めて段取りをつけないといけない。 ・実はその以前にもうひとつ厄介な仕事がある。親戚メンバーへの了承の取り 付けだ。成岡の父親のお墓の「墓終い」に関して、成岡が勝手に決めていいも のではない。先祖の骨壺が納まっているお墓をなくすのだから、関係する親戚 縁者に事前に了承をもらう必要がある。最近、法事もしていないので、突然こ のような提案をしても簡単ではないだろう。思案したあげく、関係する親戚の 方々に事前に了承を得るために、長文の手紙を書いて郵送した。どうして今回 このように父親の墓を始末することに思い至ったのかを書いて送った。しばら くして、数人の親戚から手紙をもらい、全員了承をいただいた。ここで、誰か が反対したら困ったなと思っていたが、無事に関門を通過した。ほっとして、 この手紙を持参して高知に出向いた。 <現地の石材店との交渉> ・現地の石材店さんのご主人と打ち合わせをした。2時間くらいかかったが、 おおむね円滑にできそうな予感がする結論になった。最大の課題は、納まって いる骨壺の処理だ。事前に石材店のご主人が墓石をずらせて、いくつどのよう な骨壺が納まっているのかを調べておいてくれた。成岡の父親の骨壺は分骨し たもので、これは後日京都に送ってもらうこととした。それ以外の骨壺は、ひ とつひとつ経歴を調べ、それぞれの処分を決めた。骨壺の処分が決まったら、 次は墓石をどうするかだ。平地にあるお墓なら墓石の処理は簡単だが、高知市 のお墓は300メートルくらいの高さのある山の中腹にある。ここから墓石を担 いで下へ降ろすのは並大抵のことではない。急な山道を降ろすのは、相当な作 業になる。 ・相談の結果、墓石はその場で解体し、寝かしておくことに決まった。墓石に 彫ってある家名の石を一番下にして、その上にお墓を解体した石を順番に乗せ る。お墓の歴史を刻んである「墓誌」は担いで石材店に運んで、粉砕すること になった。墓誌には、それぞれ先祖がいつ死んだという歴史が刻んである。墓 誌の石は、厚みが10センチくらいある分厚い意志で、重さも50キロあるとい う。二人で担いで降ろすことになるようだ。これだけでも半日はかかる仕事に なる。永代供養のためにお寺にお願いするのは、石材店さんのご主人のアドバ イスで今回見送ることにした。もう、お寺との縁もほとんどないし、10年前に 仏壇の始末や位牌の合体で、きちんとすることはしてあるとのアドバイスで、 今回見送ることにした。 ・骨壺の始末が終わったら、早速年内に墓石の解体と墓誌の処分をお願いする ことにした。見積書を出してもらい、おカネに関しても事前にきちんと合意し ておく必要がある。京都に戻ってから、事前に通知した親戚に打ち合わせの結 果を文書にして、郵送した。同時に、現地で撮影した写真を数点同封した。や はり丁寧に説明し、後日トラブルが起こらないように配慮する必要がある。こ れは成岡家の長男の務めだろう。ここまできちんとやったら、先祖も納得して くれるのではないだろうか。すべての決着がついたら、京都のお墓に報告に行 くつもりだ。相当の費用もかかり、時間も手間もかかるだろうが、誰かが責任 もって決着をつけないといけない仕事だ。これが完全に終わったら、高知市と は縁が切れるかもしれないが、精神的には開放されるだろう。おそらく、ほっ とするに違いない。