**************************************************** ・・・・・経営の現場から・・・・・ 【成岡マネジメントレター】(毎週月曜日発行) 第929回配信分2022年02月14日発行 成岡自身が体験した両親の逝去と相続その3 〜そのために1冊のノートを用意しすべてを書き込む〜 **************************************************** <はじめに> ・2週連続して両親の看取りと相続に関連した話題を書いた。特に50歳代のこ れからこういう状況を迎えるであろう人たちから、多くの反響をいただいた。 最近少し減ったが、いっときビジネスマン向けの週刊誌の特集は、毎週相続や 両親の看取りのテーマで満載だった。今週はこのテーマの最終回として、前2 回で書ききれなかったテーマに関して最終回として書こうと思う。看取りと相 続は、一生の間に何回もあるものではない。常識で考えると、両親が順番に亡 くなっていく場合に、最大でも2回遭遇するだけだ。長男、長女でなければ、 喪主の立場でなければ、あまり子細に関与することはないかもしれない。そう いう経験、体験なので、どうしてもぴんと来ない。税理士さんも、頻繁に遭遇 するテーマでもない。 ・父親、母親が80歳を超えたら、いつ、何が起こってもおかしくない。高齢に なると、突然いろいろなことが起こる。事前に準備が出来て、用意万端整って その日を迎えることなど決してない。想定外のことが起こり、想定外の事態に 陥る。すべての状態に準備はできないので、最大限起こり得ることを想定し、 そのための準備を怠りなくすることだ。まず、各自が所有する財産のすべてを 書き出す。それも、一回ですべてが明らかになることは少ない。忘れていたな ど、多くの漏れが生じる。そのために、毎年5月ごろに来る固定資産税の評価 証明をきちんと掌握しておくことは非常に大事だ。毎年、そう大きく変わるこ とはないだろうから、どこかで財産の棚卸しをしておく。そして、それを税理 士さんに見せておおよその相続税の把握をしておく。 ・固定資産は比較的わかりやすいが、金融機関にある口座の現金資産も把握し ておく。次には健康保険証、介護保険証、その他の証明書、年金関係の書類な ど、死亡後大事な書類、証書が結構分散している。どこに何がどのような状態 であるのかが、分からない。特に親と子供が別居しているケースが多いので、 日常生活の把握がままならない。成岡の場合も、両親と別居していたので、と きどき訪問する都度聞き取りはしてはいたが、まとまってきちんと引継ぎをし た記憶はない。メモでもなんでもいいので、とにかくその時聞いたことは忘れ る。両親も、年齢を経るに従って記憶があいまいになり、物忘れも激しくな る。少しボケが始まると、もう手が付けられなくなる。その前に、大事なこ と、大事なもののありかを掌握しておく。 <最悪の事態を想定し準備を> ・当然パソコンの操作などはできないから、住所録などは手書きのノートにな る。成岡の両親は比較的こまめに住所録のメンテナンスをしていたから、結構 新しい情報に更新されていた。また、高齢になってからは年賀状ソフトをこち らで管理していたので、そこに入力されている情報は鮮度が高かった。これを もとに、誰にどうやって連絡するのかを把握しておく。あるいは、友人、知り 合いなどのカテゴリーに分けてキーマンを聞いておく。全員にすぐには連絡で きないので、まずキーマンに連絡しその周辺の友人、知人に連絡してもらう。 親戚だけはこちらで把握しておかないといけない。これは他人には頼めない。 親戚も、比較的若い人を誰かグリップしておけば、その人に頼んで周囲に連絡 してもらう。 ・お寺さんとの付き合いも把握しておかないといけない。亡くなった時点で、 いったん自宅に引き取るのが普通だ。住居の関係で物理的に不可能なら仕方な いが、自宅に連れて帰るのが一般的だ。当日の夜はお寺さんに来てもらって、 「枕経(まくらきょう)」をあげてもらう。自宅でのお通夜みたいなものだ。 一晩、ずっと傍で誰かが付き添って線香を絶やさない。お寺さんは適宜帰って もらうが、家族は誰かが交代で付き合って線香と蝋燭を絶やさない。誰に依頼 するかを事前に相談して把握しておく。連絡先の電話番号、携帯番号などをき ちんとグリップしておかないと、混乱して時間がないなかで、手際よく運ぶに は日常こまめな管理が欠かせない。それ用に1冊ノートを作って、そこにあら ゆることが書き込まれている。情報を分散させない。 ・葬儀をどのように進めるかは、多少事前に関係者で相談しておくことが必要 だ。関係者が多いと、話しが決まらない。しかし、時間はあまりない。特に、 相続人である親族の間で、誰がそれを仕切るかを事前に合意しておく必要があ る。成岡の場合は、相続人が少なく、当方の意向でほぼ決着することができ た。しかし、兄弟が多くその兄弟の夫や妻がいろいろと口をはさんで来ると やっかいだ。葬儀は家族葬、呼ぶ人の範囲はここまで、香典は取らない、写真 はどれを使う、お花はどうする、誰が喪主をする、火葬場に行くのは誰と誰な ど、いろいろと決めごとがあるが、瞬時に決定しないといけない。ちょっと 待ってくれは効かない。そういうドタバタを取り仕切るには、事前におおよそ の想定をしておく必要がある。 <仏壇の処分は悩みの種> ・家族葬でも結構ややこしい。親戚も日常付き合いのない親戚だと、誰が誰か 分からない。前日のお通夜、当日の告別式は意外と葬儀社が仕切ってくれるの で、ある意味楽だった。火葬場から戻り、遅めの昼ご飯を参加者と会食して、 夕方から素知らぬ顔で市役所での会議に参加したのを覚えている。当日は終 わってしまえばそれまでだが、四十九日くらいまでは後始末で結構煩わしい。 亡くなった本人の携帯電話を預かると、何件か電話が入りメールが送られてく る。あるいは、知らない人が何らかのアプローチをしてくる。後で知った人が ご丁寧に香典を現金書留で送って来る。あるいは、本来知らさないといけな かった人に手紙を出さないといけない。6月に亡くなったが、夏のお中元を 贈って来る人もいる。それらに丁寧に対応していると、時間が結構必要だ。 ・そのうちに四十九日の法要をして、納骨をする運びになる。父親の時は、す ぐにお墓がなくて1年間実家の仏壇に遺骨を置いたままだった。母親の時は、 四十九日の法要の際に納骨した。仏壇に遺骨があると、何か落ち着かない。四 十九日は親しい親戚は全部呼んで、盛大に法事をした。まだ亡くなってから日 が浅いので、想い出もある。法事は一周忌まではきちんとやった。父親の7回 忌と母親の3回忌をセットで執り行い、公表してはいないがそれ以降法事は執 り行わないと決めた。参加する人も限られてくるし、遠方からわざわざ高齢者 の親戚に来てもらうのも気が引ける。法事をしない代わりに、毎月命日近くの 休日には必ずお墓のある金閣寺の墓地にお参りをする。お花を買って、お墓の 掃除を簡単にして、線香をあげて、お経をあげる。 ・仏壇の処分には当惑した。実家の仏壇は立派で、実家を売却するのにどうし ようかと困った。菩提寺の金閣寺に収めたいと思ったが、お寺は引き取らない という。仏壇の中の仏さんだけは引き取ってもらった。この本尊は、金閣寺が 焼失したときに残った木材から作った仏像だと聞いていたので、これだけは金 閣寺に引き取ってもらった。立派な仏壇はそれを購入したW仏具店に来ても らって、引き取ってもらった。位牌と写真だけにして、小さなマンションサイ ズの仏壇を買って、いまの住まいの書斎の部屋に置いてある。毎日蝋燭に火を 灯している。夏場には窓を開けてお線香をあげる。これほどしていれば罰は当 たらないだろうという線を、自分で決めて実行している。自分自身が納得して いればいい。 <誰かがシナリオを作っておく> ・相続は10か月以内、相続放棄は3か月以内だから結構慌ただしい。成岡の母 は10月に亡くなったから、期限は8月のお盆ごろ。遺言書を開けるのを5月連 休明けと決めて、4月から行動を起こした。毎週どこかで時間を半日作り、そ の半日で朝からできることを始めた。母の戸籍謄本を生まれてから死ぬまでを 全部切れ目なく揃えるのに、2か月かかった。よって、遺言書の開封は6月に ずれて、この遺言書の内容に関して東京に嫁いだ姉と少々の揉め事が発生し た。しかし、何とか押し切って8月のお盆前に相続税を納付して、終わった。 多少とも現金を残してくれたので助かった。実家の土地、建物は姉との共同名 義になり、2年後売却したときに大いにまた揉めた。兄弟とは揉めるためにあ るのだと実感した。 ・相続は少額でも多額でも、揉めることを前提に早く行動を起こすべきだ。ほ とんどの人は相続を経験していないと、どれくらいことが大変なのか分からな い。誰かが中心になり、ボランティアで動かないと、誰もやってくれない。税 金の計算は税理士さんの専管事項だが、その計算に行くまでの道のりを誰かが 作らないといけない。兄弟が多いと、誰かが損をして、誰かが得をする。どう しても、損得が発生する。動いた方が損をするようなことになるので、なかな か事態が進展しない。まだ、成岡の場合は兄弟が2人だったから、良かった。 これが3人や4人となると大変だ。2人ならAさんとBさんの話し合いで解決が できるが、4人となると同時に4人で話し合いができるタイミングはほとんど ない。それも、30分や1時間では終わらない。誰かがシナリオを作っておかな いと、手ぶらで話しをすると延々と時間がかかる。 ・東京の姉とは実家の売却で相当揉めたので、その後親戚付き合いがほとんど なくなった。仕方ないと割り切っている。それもあって、法事はやらないこと にした。揉めないようにと遺言書に書いてあったが、現実はそうはならなかっ た。現在では、もうさっぱりして、揉めたことは超越して、現在の生活をきち んと送ることに集中できている。闘病、施設生活、突然の死去、そして葬儀と 後始末。その後の相続と、病気の発症から相続の完了まで短くて5年、長くて 10年を費やす大仕事だ。その間、自分の仕事もきちんとやらないといけない。 我々はサラリーマンではないので、忌引きという有給休暇はない。一番どうし ようかと思ったのは、大学の授業と社会人大学院の講義がきちんとできるか だ。幸い、運よく亡くなったのが土曜日で、ちょうどその前週に社会人大学院 の講義が最終週だった。終わったのを見届けて、あの世へ逝ったのだろう。本 人も安心して。